fatimariaの日記

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また調子悪い。神に尽くす事柄について。

対話性幻聴「なんでもいいけどなんでもいいけど(繰り返し)」
対話性幻聴「なんでもいい…け・どなんでもいい…け・ど(繰り返し)」
対話性幻聴「ありがとーございましたゆーても(繰り返し)よくわかりましたーゆーても(繰り返し)」
なんでもいい のに、けど ってなんだよ?
 
園のすべての木から実を取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。
(新共同訳では命令形。原文は「食べてよい(独立不定詞+未完了形の強調表現の 大いに食べてよい)」)
ただし ってなんだよ。すべて(コル Kol) ってゆってるじゃん。命令どおり行っただけで御座います。
 
善悪の知識の木の実以外のすべての木の実をとって食べてよい。
とは言ってない。
園のすべての木の実をとって食べてよい。ただし、善悪の知識の木からは決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。
だ。
それが正確だ。
蛇の指摘どおり、食べて欲しくないなら、話す順序が間違っている。
順序を間違われるはずが無い。
 
食べてもらいたかったのだ。黙示録(啓示)の空きポストにはいってもらいたいのと同じ。
黙示録(啓示)の空きポストとは、 「~のようなもの」などだ。名前が書かれていない。
滅びにいたる門が大口を開けて待っている空きポスト。焼却炉の門みたいなもの。
必ずはまり込むであろう事が計画されている、「決して~ならない」の罠。
「~するな」
たとえば「むさぼるな」という言葉がなければ、「むさぼり」を知らなかったであろう と新約聖書にも書いてある。
決して~してはならない と言われていなければ、蛇との問答は無かった。
でもこれを不倫で考えると倫理上問題があるひとがいる。
ステディーの考え方、嫉妬の考え方が、無いひとがいる。そこが問題だ。
独占欲が無い。そのとき気持ちよければそれでいいらしい。
 
神々は、先にトラップをしかけておいて呪いを用意してある。
私は、
「警告しないで、神々の力で、エデンの園に善悪の知識の木を置いておかず、別の場所で大切に栽培しておけ。」と言いたい。
時代劇とかで、最後のアクションシーンに至る前に、事件が起こる事前に解決しろ。と言いたい。
 
食べてもらいたくないものを置いておく阿呆がいるかよ。
小さい子供のいる親でも、はさみとか危険なもの、飲み込んだらいけないものは、子供が目に付く場所とか、子供の触る場所に置いておかないものだ。
どうやっても届かない場所に置いておけば双方安心なのだ。
食べてもらいたくないなら、頭悪いんだよ。
食べてもらいたいなら、呪いを受けるのは正当ではない。不義の世界らしい神々だ。
 
新約聖書にはこう書いてある。
マタイによる福音書25:26
主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
さあ、そのタラントン(お金の単位)をこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
 
ここに出ている任されているこの「金」というのは、「律法や掟や教え」の事だ。
持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
 
蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたなら、主人はそのようにするのだ。
旧約聖書の、呪いである神々(エルは呪いという意味。エロヒームは「呪い達」の意味)が怒りの神々であると思うなら、そのようになさるし、
父なる神は優しい愛の神であると思うなら、そのようになさるのだ。
このイメージの穢れを、けがれと考える事はできる。
 
私は、
産まれたばかりのイスラエルに「生きよ」と言っただけで、女ざかりになるまで捨て置いたすけべえ現金な神々に、
イスラエルの都が、ヨーロッパとユーラシア大陸とアフリカ大陸との通路にあって、非常に交流しやすいところにわざわざ約束の地を作っていながら、姦淫したら嫉妬で憤怒する神々に、
他の国々と姦淫する前に事前に姦淫できないようにできなかった神々に、
阿呆か?
ぐらいしか評価できない。
姦淫して欲しくない、マナだけで養うというなら、テラ・インコグニタと言えるくらい辺境、秘境に、エルサレムを置いておけ阿呆が。ソロモン、その豊かさは異教の神々の国々の豊かさだ。
イェホヴァ・エロヒームは叱られて当然だ。移動手段に空飛ぶ火の戦車を使えるなら出エジプトエクソダス)のときに使え。イスラエルの民を辺境に持って行け。変なところで約束するな。
「イツハクとイシュマエルの子孫を増やす」なら、イスラエルを通路に持ってくるなら、民族が他の神々と姦淫なんていう思想に何故なるのか。
イェホヴァ・エロヒームは「神々の能力、神々の命」だ。
いと高きものの子ら、異教の神々は総力でも絶対勝てない。イェホヴァ・エロヒームは彼らの本体でもあるのだから。
そこまでフルに多様な主、すべてである主が、
イメージのけがれ 関係あるだろうか?
どんな正当な言動しようと、どんな変な言動しようと、どんな矛盾した言動しようと、おかしくない主だ。
実際聖書の記述は矛盾だらけ。
 
 
私は安易に「神々が悪者だ。天使が悪者だ。悪魔が悪者だ。」などと考えたりしない。
 
 
たとえば蜜蜂(ヘブライ語でデビル)は花の蜜を吸う、針で刺す、から悪者だろうか?
花は蜜蜂に蜜を吸ってもらうという花の蜜を用意して、おしべから花粉を運んでもらうというギブアンドテイクで成り立っている。
天使は神に使役されているだけ。
我々が神や悪魔に祈るとすれば、自分勝手なお願い事だ。願い事を叶える代償として、悪魔は魂を、神は信仰心を貰って行く。
じゃあ魂(プシュケー)が無い者は、悪魔にはメリットが無い。という事になる。
信仰心(ピストス)が無い者は、神にはメリットが無い。という事になる。
当然彼らがこわくない。
メリットデメリットが無いものに障る事は無い。
 
私の幻聴は「捧げもの」を「つまらない」と評価している。私の幻聴は何も要らないのだ。何も価値としていない。幻聴「なんだ捧げものか。つまらない。」
魂、信仰心も捧げものだ。
私の幻聴は悪魔や神々とは異なる。
 
何かが欲しいなら、欲していたその捧げものによろこぶ。
でも私の幻聴は受け取ったりしない。捧げた食べ物を持って行く神や仏がどれだけ居るだろうか?
欲している→欠けている ものにどれだけの事ができるだろう?
蜜蜂と同じギブアンドテイクで動くもの達。
普通感謝の気持ちをもって捧げものをする。
だけど私は「言葉だけで感謝されている」。幻聴に。
祈りの言葉は言葉だけ。祈りの呪文は言葉だけだ。
私を実質養っているのはとうさんとかあさんだ。
じゃあ私が二人に感謝するかというと、していない。言葉だけの感謝など、やっぱりむなしいと思う。
実質の物での感謝など、働いてないのでお金ではできない。機能性幻聴「もういいから(キーボード入力音)」
でもかあさんなら、言葉だけの感謝でも、身体の糧にはならないが、心の糧にはなる。
お返しの品(お返しの事柄)というのは結構悩むものだ。
相手に感謝の気持ちが伝わればいいけど、「邪険にできない要らないもの」というのは多い。特におみやげやお歳暮やお中元に多い。素直に言うと邪魔なものが多い。残るものはかさばらない方がいい場合は多い。
私は親が海外旅行に行くときは、だいたい現地の風景などの写真集を頼む。取り繕った観光用の写真が手に入る。きれいではある。
お返し…肩たたきしたって揉み返し(症状)が来るだろうし。
親の二人は、「どういう風に社会に貢献できるか というのが問題であって。」と具体案は示せない。示しても私はやらないからだ。言えば逆に興味を持ってくれない事に気付いている。自発的に私が何かするのをじっと待っている。
私はこの世界が下らない世界だと思っている。
河豚は食べたいほどのものではなく、こわがって食べないほどのものでもない。
この世界のいろんな事柄も、必要だから絶対手に入れなければならない というほどのものではなく(いつか死ぬ)、死ぬのをおそれて手に入れないほどのものではない。
基本の生活の基調の方が大事なのだ。普段がどうであるか、が大事。
大部分の時間は、普通の、普段の生活なのだ。
 
日本人は昔から百済(今の韓国)からの輸入品は価値が高いとして、百済のものでない→価値が無い→「くだらない」としている。じゃあ百済物であればいいのか→百済は今無い。
(京都の都を上方とし、江戸などの地方を下とした事から、(都から)下らないもの という説もある。)
 
見返りを求めない というのは、お返しさせてもらえない とは異なる。
でも「要らないもの」をあげても迷惑になるだけだ。
魂や信仰を「つまらないもの、要らないもの」としているものに、あげる必要は無いのだ。対話性幻聴「やったっ」
私も、今突然 魂や信仰を あげる と言われても、要らないというよりは 困る と思う。応える力を持っているという自信と実績がない。
 
だから私は幻聴に何もあげる必要が無いし、感謝されるいわれは無いのだ。
ずっと幻聴が私に感謝している事に、私のどういたしまして の言葉が届いてないような気がするよ。
対話性幻聴「生意気ゆーてもわからない」
生意気だと思うやつに数え切れないくらい感謝してるんだろ?
本当に数え切れないよ。
 
どんな代価を払って命(息、プシュケー)を取り戻せようか。と言うが、命(ゾエー)の方が命(息、プシュケー)より価値が高いのでしょう?
プシュケー(息、命)で、あなたの神、主を愛(アガペー)しなさい(命令形)。→愛(アガペー)とは、見返りを求めない愛。
プシュケー(息)の好きにするだろう。
臭い息で愛されても…とか思うでしょ?
取り戻そうとするから、失うまいとするから、失うのだ。
みんな息(プシュケー)してるでしょ。
悪魔がすでに手に入れたなら、息はしていない。
だいたい悪魔はプシュケーを死んだときいただくだろう。
ではすでに所有権が決まっていたなら、いただく事はできない。
悪魔は臭い息でも持って行くのか?
息が臭かったら悪魔と交渉もできないだろう。
 
私の息(プシュケー)が臭いかどうか、臭い嗅いでみるか?
歯磨いてないときにハーってしてやろうか?
にんにく食ったあとがいいか?
メイドカフェのサービスみたいにふーふーしてやろうか?
それともひょっとこみたいにふーふーしてやろうか?
それとも臭いが濃縮するようにためてからハーってしてやろうか?
神を愛せよ。プシュケー(息)で。
対話性幻聴「偉そうにゆーなよーー 偉そうにゆーなよーー」聖書の記述が幻聴にとって偉いのか。キリストが偉いと思っているという事だね。
対話性幻聴「ちょっとなんかいゆーたらわからないらしい ありがとう御座いました」
聖書に書いてあるんだよ。すべての息であなたの主なる神を愛せよ って。どうにかしてもらおうと思わない愛。
どんな息か とか書いてない。