みんなが
ちょっと脂肪分高いの食べたときとか、
ちょっと糖分の高いの食べたときとか、
罪悪感が…。
って聞いて、違和感を感じている。
それ、誰に対する罪なの?
自分様に対する罪の事について言ってるの?
意味わからんのよ。
殺された肉食べちゃって、肉になった動物の命に対する罪悪感とか、
殺された植物食べちゃって、食べ物になった植物の命に対する罪悪感とか、
ならまだわからんでもないかもだけど、
いろんなみんなが言ってる罪悪感って、
自分様が太るかもなのに食べちゃった罪悪感
でしょ?
太るも痩せるも自分の事でしょ。
それ、罪じゃないです。
自己責任なだけです。
困るの自分だけです。
罪なのは動植物を殺して食べている事そのもの。
食べる事は身体を維持するのに必要不可欠なので、
食べるという罪を犯しても「生かされているという事実に感謝する」気持ちを忘れない様に「清廉する事」によって、宗教的でない罪は贖われる。
洗礼を受けているなら一生分の宗教的罪はもう贖われてしまっている。
歯で噛んで殺したかたい物も柔らかい物も食べられる様にするのが、
ファティマ(離乳させる)だ。
人間の食事は動植物の殺しありきだからだ。
牛乳など乳製品や無精卵はそうではないけどね。
自分様が1番大事だ というひとしか、
そういう
「自分様が太るのに多く食べちゃった罪悪感」
の様な表現のし方はしません。
食べ物になった動植物の命の方が問題なのに、
お前が太るか太らないかトカ関係ないだろ!
私はそういう命の問題を勘違いしているエゴイストや自己中心的思考のひととは、関わりたくないです。
みなさん、そういうひとかどうかは注意深く聞いておきましょう。
食べる事そのものが罪なの。
多く食べようが少なく食べようが罪です。
その食品は命を殺されてそこにあるのだから。
生きているのに調理されてあるなら、そっちの方が罪は重い。
そしてもっと大事なのは、
拒食になって自分の命をないがしろにするひとはもっと罪が重い。
罪だけど食べて良いのです。
あなたが産まれたからには、
生きる義務と権利があり、
その為には罪を犯してでも食べなくてはならない。
それをうながすのもファティマの役目です。
乳を飲むしか出来ない羊達に、殺した物も食べる様にうながすのも、私の役目です。
動植物を殺した罪悪感を感じながら、感謝しながら、楽しく食べて下さい。
初代教皇ペテロが鶏の鳴き声をおそれるのを解消させる為の保護措置として、
ペテロの夢(幻)の中で、
鳥を提示して、
(鳥を)屠って食べなさい。
と3回言った。
屠らないので鳥は引き上げられた。
起きたとき初代教皇ペテロは何を勘違いしたのか、
偶像に捧げられた肉を食べない様にしよう
と考えたらしい。
(ほんま阿呆やでこいつ)
鶏の鳴き声がこわいなら鳥を殺して(屠って)食べなさい。
という教えだったのだ。
キリストによるアフターフォローだ。
爆音バイクや爆音自動車の音がこわいなら、
爆音バイクや爆音自動車を殺して食べなさい。
とか、
暴力団やはんグレがこわいなら、
暴力団やはんグレを殺して食べなさい。
という教えに拡大解釈出来る。
人間は鮫がこわいから鮫を食べて来たのだ。
熊がこわいから熊を、猪がこわいから猪を食べて来たのだ。
悪魔や魔王や大魔王がこわいからそれらを処理して食べる。
普通に今迄やって来た事だ。
日本狼は絶滅したよ。