fatimariaの日記

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具体的な幻聴の相殺

具体的な幻聴の相殺
 
依存を煽る言葉には、依存を煽る言葉でいい。
疑問形、断定形には、疑問形で返す。
さあ?
とか、
そうですか?
とか、
ほんとにぃ~?
とか、
うっそ~?
とか。
 
今回のエコーの相殺の改正
 
保存、依存側 「ちょっと待ってくれ(命令形)」には、ちょっとでいい。
 
決別側でも何度も聞こえるのは私に依存側 「さようなら」には さようなら。
凄い自信過剰なんだね。二度と戻ってくるな。永久にいとましなさい。いつになったら永久にさようならするの?嘘つき。さっさと暇しなさい。永久に声聞こえないようにしなさい。
 
プライドに依存側 「冶(や)なやつ」「冶(や)な感じ」と「さようなら」
普通は自分にとってヤナやつかどうか確認してから、一線越えるものだ。訪れるものだ。普通はね。わかりそうなものだが。
 
私の言葉に依存側 「そうですか」「ああそうですか」と さあ?
私の言葉に依存側 「そうです」と そうですか?
私の言葉に依存側 「そうですね」と そうですか?

プライドに依存側 「なんか猶太(ゆうた、ユダヤ)?」には さあ?
 
私の言葉に依存側 「ほんとに~?」には さあ?
ほんとに~ は依存を煽る、不安定にして隙を作ろうとする言葉だ。依存を煽る言葉には、依存を煽る言葉でいいんだ。

過去に依存側 「遅かったな」と「ほんとに~?」「なめとんちゃうんか!」
 
遅かった事や、
過去形の事は、
もう過去形なので、かかわり無い。
悩む必要無い。
 
もう遅かった事など、何も考える必要なし。無いのと一緒だ。誰も関係無いじゃんか。 
もし遅かったのが気になるなら、遅かったはずの事を実際にあらゆるそれぞれもすべてきっちり解決、訂正してから、
「遅かったんだけど遅かったはずの事をきっちり解決してきました」と、誇らしげに訪れなさい。そんな事も出来ない無能ですとしきりに訴えている。
 
過去に依存側 「惜しかったな」と「ほんとに~?」「なめとんちゃうんか!」無かった事と同じ。 
 
惜しかったなのものの本質は、「(過去などに)依存させたいもの」
 
心昔→「惜」
心宿=昔 → 「惜」
心=昔 → 「惜」
 
惜しかった → う~ん、そりゃそうだ。そりゃ惜しかったね?
 
惜しかった事など、結果、無かった事と同じ。誰も関係無いじゃんか。 もし惜しかったのが気になるなら、惜しかったはずの事を実際にあらゆるそれぞれもすべてきっちり解決、訂正してから、「惜しかったんだけど惜しかったはずの事をきっちり解決してきました」と、誇らしげに訪れなさい。出来もしないのに偉そうに訪れるな。無能ども。
神の名がどうであろうが、どこの神話のどこの神が居なくなろうが、実際の失った過去が、時間が、かえると思うか?
きっちり、きっぱりすっぱり「あきらめて忘れたら、遅かったとか、惜しかったとか、そんな言葉出て来るわけ無い」。=過去のものである栄光に依存している。

いつまで依存している?何故離乳しない? 何故、忘れない? さっさと忘れたらいい。

プライドに依存側 「なめとんちゃうんか!」「なめとう」と 「偉そうにゆー」かなり有効だった相殺。
私の言葉に依存側 「ふざけとる」「趺坐蹴んな(ふざけんな)」と「いい下弦に星(いいかげんにせえ)」、 「いい下弦に星(いいかげんにせえ)」と「ふざけとる」「趺坐蹴んな(ふざけんな)」

過去に依存側 「だから往ったのに」と「ほんとに~?」   いつ? 結果、どうだった? 関係なかった。それが事実。それが成績。
 
過去に依存側 「世克ったね(よかったね)」には そお? よい方は1だけである。私ではない。

現在に依存側 「やった」と「ほんとに~?」
 
過去に依存側 「ありがとうございました」 と 「ほんとに~?」
現在に依存側 「ありがとうございます」  と 「ほんとに~?」
 
現在に依存側 「もうわかりました」 と 「ほんとに~?」
 
決別側 「寝めた(やめた)方がいい」と「ほんとに~?」
 
過去に依存側 「下らない抵抗」と「あーそーだったんですか?」
プライドに依存側 「下らない抵抗」「無駄な抵抗」には、「あーそーだったんですか?」
 
プライドに依存側 「何を聞いてもわからないらしいなぁ」には、うん。わからん。

決別側 「もう終わりにして」には もう終わってる。
「もう終わった」「終わりました」昔も聞いたけど、
 
「すでにこの世界に生まれてる」という事実が、すでにもう終わってる。誰でも。
産まれてる事実じゃなくて、生まれてる事実。
 
なんべんゆーてもわからないらしいなあ~(男性)のものと、やったー のもの(現在進行形に対して)。下らない抵抗 のもの、無駄な抵抗 のもの 相殺。
下らない抵抗、無駄な抵抗、のものは「抵抗してる」のは聞いてる方だと思ってる。
 
抵抗→「変圧可能な電気抵抗、オーム、Ω、オメガ」
下らない→「価値としていない、ひきおろせない、下がる事が無い」
 
「無駄なせいかく」
 
無駄
「無駄」→「無と駄がある」
「駄」が無い→「無」無の境地。
「無」は無い→「駄」サクラ肉には使える → 役に立つ。つまり、「駄」は、「役に立たない」の意味じゃない。私は太ってない。性格や抵抗が太っているらしい。ズ太い?
 
このうち、どれであるかは、「無駄な」の言葉では、はかれない。
 
あきらめ側 「駄目だこりゃ」には 自分が、駄目。→ 無駄目?
 
「誰でもいいから」  には 誰でもいいらしい。言うのは私じゃなくていい。
「なんでもいいから」 には なんでもいいらしい。どうでもいいらしい。

基本的に詳細な返答をできないのだから、疑問形で返せばいい。
それが幻聴に対するかわしモード。
 
で、
 
 
「幻聴がいつも言わない項目」 で質問する。

いつ?
何が?
何に?
何へ?
何を?
 
とか。
 
さあ?

だいたい幻聴は俺がどういうやつかわかっていなかったくせに、不満や文句だけ訴えてる。
わかってて、頭の中に、訪れるものだ。

有能なものは相手にあった、ピンポイントに最適に的確な指示だけして、去る。
 
 
 
全知者、全知っていう能力を持った全能者、全知全能者は、
 
過去、現在、未来のあらゆる事を、すでに完璧に御存知で、ピンポイントに機械的にしか動く必要無い。
わかりましたトカ、下手な鉄砲トカ、無駄弾トカ、無い。
 
「こっちが、そっちが、言わなくても、聞かなくても、すでにわかってます」
いちいち、
知恵が起こらなくても、知性が働かなくても、知識をためなくても、
すでに知ってます。すでにわかってます。
これが、全知者、全能者、全知全能者。
 
 
 
幻聴側が依存しているから、幻聴側から「不満が出る」のだ。

運命は、自然は、ただその運行をそのまま行っているだけ。
あなた方もその一部に過ぎない。
不満や関係無い事は自分にだけ言え、幻聴よ。私に言うな。
「私に依存している」から「私の言葉に反応する」のだ。
反応するという事は、私に声を発するという事は、私を完璧に無視できない、私を居ないものとできない、私を感じないようにできない、私が気になっているらしい。
早い話が私が邪魔なのだ。私を煩っている。
どんなに憎まれ口たたこうが、征服欲や優越感を発しようが、
私に気にさせたい時点で、私に気がついて欲しい時点で、私にアピールする時点で、私にアクセスする時点で、
 
私に依存している。私にとらわれている。

疑問形には疑問形で返す。
依存させようとする言葉には、依存させようとする言葉で返す。
過去や現在に依存させようと煽る言葉には、
「ほんとに~?(不信による、確定、断定を、曖昧、延長へ揺さぶり)」
 
だった だと、だった事は肯定断定変更的に聞こえる。
ほんとに~?だと、当初から信じてない。疑ってかかってる。
 
幻聴はその声を信じてるから煽って依存させようとするんだ。自分につらいなら、「はじめから疑ってかかればいい。」もしかしたら「害するもの」かもしれないのだから。