fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

雑談。

あーちゃんが勧めてくれた本を読んでたら、
2歳で小児癌で亡くなった子の事で泣いていた著者の話を読んでいて、
母さんが亡くなっても泣いてなかったのに、何故か涙が出てきた。
すると少し心が軽くなった。

母さんが亡くなってはじめてお坊さんがお経を読むときも徹夜だったので居眠りしてて、あーちゃんに肘打ちされて起きたんだけど、
母さん長い事苦しんでたから、亡くなる前から覚悟してたから悲しくなかったのに、誰かの話を読んで涙が出るのはどうしてだろう?

必要な、他人と自分との境界がきっちり出来てないんだね。


あーちゃんが昨日病院に来てくれて、
今回入院してはじめて家に帰った。

私の部屋は、私が考えていたよりもっと荒れていた。
誰か他の者が荒らしたのではなく、
暫く病院内の清潔な生活を送ってから、
戻ると、私の状態がかなり酷かった事には気付いた。
断食自殺企図に近い状態で、幻聴の声だけと会話していた生活は、生活とは言えない状態だったようだ。

ゴミが散乱し、食べてなかった食物(しょくもつ)は腐り、
避難時用のリュックだけはきっちり置いてある状態。
いったい何が緊急避難なのかも、疑問に思うような状態なのに。

ただ、ゴミの分別さえすれば、私の部屋は私には使えそうだ。

とうさん(東國惠。東南光)は右脳の脳梗塞だったので、関東で、車椅子で左半身のリハビリ中だ。
書道の添削も出来たらしいので、書道をまた出来るかもという状態だ。

とうさんが家に帰るかどうかは、まだわかっていない。
しかし車椅子が入れるかどうかの話になるので、業者が家の居間とダイニングと台所を片付けるらしい。


話変わるけど、
ぬいぐるみと着ぐるみはちゃうからね。
私もぬいぐるみと着ぐるみの異なりに気付いてなかったけどね。


入院する前の夜、
スープを缶のまま飲むか容器に入れるかどうするか聞いて、ステンレスの銀色のスプーンと、袋に包まれた黒いプラスチックのスプーンを見せた。私は缶のまま飲む事にすると、
あーちゃん「普通は容器に入れるねん。」
あーちゃんは、
「容器」に、缶からスープを「注いで」、
その容器に「銀色のスプーンを突っ込んだ」。
それを見て私は、私「そんな早いスピードで処理しないといけないの?」
あーちゃん「気にしないで食べてるひと達と、気にして食べられないひと達がいるねん。みんなは気にしないから食べられるんやんか?」

それを聞いて私は、「もっと鈍感になれ」と言われたと思った。

その後、前金曜日に入院中外出して家に帰ったとき、
あーちゃんは、
私が、女性やみんなのニーズが敏感にはわかってない
と言った。
鈍感になれと言われたと思ったから、素直に鈍感になったのに。


自分自身が自分自身に陥落しても、別に誰も気にしないんじゃない?
幻聴「ストップ」