fatimariaの日記

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混ぜたぶどう酒と、「キリスト教の神の実体」とは?

混ぜ物なし→飲むとバビロンの容疑
混ぜ物なし→新しい皮袋に古いぶどう酒→無駄になる
混ぜ物なし→古い皮袋に新しいぶどう酒→無駄になる
混ぜ物→新しい皮袋に新古混ぜたぶどう酒→問題なし
混ぜ物→古い皮袋に新古混ぜたぶどう酒→問題なし
 
 
旧約聖書の世界は不正のコスモス。舌。ソーマ(体)を汚し、人生を焼き尽くす火。
 
 
ヘブライ人への手紙12:29 実にわたしたちの神は焼き尽くす火(pur プル)です。
 
ヤコブ3:6 舌は火(pur プル)です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身(すべてのソーマ)を汚し、移り変わる人生(人生の車輪)を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。
 
聖典で、正典で、
「わたしたちの神=不義の世界」 って言い切っちゃうところがすごいよね。
ちなみに からだのあかり、ともし火である目 の、ともし火は、luxnosルクスノス で、ルキフェル、ルシファー、ルキアと同語根だ。プルとは異なる。
 
わたしたちの神=体(ソーマ)を汚すもの=火=舌=不義の世界=不正のコスモス=旧約聖書の世界
父なる神=エン(1)=洗礼
体を汚す火(舌)である洗礼=父なる神=不正のコスモス(世界。この世)
自らも地獄(ゲヘナジャハンナム)の火(舌)によって燃やされる。
エンは火なのだ。水の洗礼じゃない。→魔女は火あぶり。
 
 
 
父なる神とは「わたしたち自身の舌」の事だ。これがキリスト教の神。
 
 
 
日本は火葬が義務付けられている。
火を汚そうとしてもそれは難しい。
ローマの神マルスだって、ヴェスタ自身を汚す事はできなかった。火傷するだけだ。結局火の巫女を妊娠させた。
その実体は空気より居心地の悪い場所だ。エン。火だもの。
 
舌そのものはしゃべる事も無く、不平不満も言わず、わたしたちに仕えるようにしている。でも我々は無意識に使っている。舌が無いとうまくしゃべる事はできないし、うまく食事はできない。
開いた口が塞がらない? はい、あーんして。はい、触手みたいなミミズ。 雌鳥がヒナ達を集める。集。
 
第一の掟 神を愛(アガペー)する事。神の御国を求める事。
第二の掟 同じように隣人を愛(アガペー)する事
 
アガペーとは見返りを求めない愛。具体的にどうしたらいいか。
食べる?舌は食べないよ。捧げられるけど。我々は動植物の死骸を食らう(触れる)もの。神のものは神に。
豚肉だって食べられるよ。すべてのものは清い。汚れていると思うから汚れているのだ。
衛生的なものと
心理的なものと
食べ物より命(プシュケー)の方が大切。
衣服より体(ソーマ)の方が大切。
プシュケーもソーマも地獄で滅ぼす権限のある方をおそれなさい。
地獄では蛆(skolehcsスコレークス)が尽きず火が消える事も無い。
地獄をおそれなさいとは書いてない。地獄で滅ぼす権限のある方をおそれなさいと書いてある。
父なる神自らも地獄(ゲヘナ。geenneh ゲエンナー 女性形単数。ジャハンナム。)の火(舌)によって燃やされる。
つまり父なる神は地獄(女性形単数)にディープキスされて体を汚されて燃やされる。
この地獄がレヴアたん(ヘル)だ。
地獄では蛆(skolehcsスコレークス)が尽きず火が消える事も無い。火は神だ。
地獄で滅ぼす権限。
ヘルとデウス
ヘラとゼウス 
ヘラが下界にゼウスを探しに来たときは、映画「ロードオブリングス」で「シャイア…バーギーンズ…!」って来たときのような感じ。みんなはおびえて隠れるしかない。かかわらない方が安心だからだ。
どの神話読んでも、ヘラのだいたいの役割は「呪う」。ヘラはパリスの審判により、トロイア人が憎いのだ。そしてゼウスと自分以外の女性との不倫の子が憎くて仕方が無い。
「あんのスケコマシがー!!どこ行ったー!!」
(ヘーラーが有無を言わせぬ力でヤヌスの門を打ち、扉を突き破ったという話もある。)
憤怒と嫉妬の刑気に身を包み、血眼で探し回る女神。
そこがかわいいトコなんだけど。
私「ちょっと待て」
私「ん?」
私「かわいい?」
私「うん。かわいいじゃん。ヘラ。」「凄い」
言っとくけど、ユウナ とか ウノ とか モナ とか モノ とか マネー とか、全部ヘラの別名だからね。
お金好きでしょみんな。
ユーノーは当時のローマのコインだから、今のお金(マネー)関係ないんだけどね。
イェン(YEN 円 \ まどか)とかね。
 
ローマでは
ジュピターのアニマのミネルヴァと
ジュノーのアニムスのマルスが結婚する。
でもローマを建国したのは
ウラノスのアニマ)ウェヌスの子でも
(ジュピターのアニマ)ミネルヴァの子でもない。
ウェスタの巫女の子。
 
漫画「魔法先生ネギま!10巻」に、
ネギ「フレンチキスの事を日本ではディープキスって言うんですねー ところでディープキスとフツーのキスは何が違うんですか?」
 
 
古いぶどう酒とは旧約聖書の内容
新しいぶどう酒とは新約聖書の内容
これを混ぜたのが聖書の内容
の事だけど、
むしろ混ぜるからなんとかなるのだ。
 
これは当時の事であって、
今となっては新約聖書も、クルアーンも、古いのだ。
古い文字によるものだ。
 
新しい皮袋に古い混ぜたぶどう酒。裂けるかな?
 
16年前、国立市プロテスタント教会に、「伝統あるプロテスタントの教会です。」って書いてあって、
伝統ある=古い
プロテスタントカソリックより伝統が短い
何をセールスポイントにしてるんだか…。
その教会の横を通ると、吠えてる飼い犬に、牧師「うるさい!!」って言ってました。うるさい理由があるんだろ…。
あんまり伝統の落ち着きと品を感じない牧師でした。かなり野生的だった。
 
カソリックの教会(西方教会)では、
外国から来ているひとなのか、黒人だけど、日本語ペラペラで、別の外国人の神父さんはきちっと服を着ていたけど、そのひとは安物のTシャツがほころびていた。かあさんはそれが気になって仕方なかったのか、Tシャツをプレゼントしようとすると、「そんな事はなさらないでください!」って言われたらしい。不用意に貰うわけにはいかないみたい。いろんな教会でも、そういうのは結構いろいろ厳しいようだった。
使えなくなるまで丁寧に着るのは、むしろ清貧な生活には相応しいのかもしれない。
 
オーソドックスの教会(東方正教会)では、
私「ヒゲ剃っておられるみたいですけど、ヒゲを剃るのはいいんですか?」と聞くと、
聞いて欲しくない事聞かれたというバツ悪い重い感じになって、
祭司「私はね、こんな顔でしょう?ヒゲを伸ばしても似合わないんですよ。」と言った。
私「(そんな理由でいいのか…?もっと正当な理由の返事が返ってくると思ってた。)」
どの教会からもヒゲを剃っていい正当な理由を聞いた事が無い。
てゆーか、若い牧師は律法をよく知らない。
ヒゲの両端を剃るなっていう律法は、古い文字によるものだけどね。
それ以前に、神のものは神に。神の律法も神に。神の掟も神に。
我々動植物の死骸を食らうものには、律法や掟は高尚過ぎるのだろう。
 
葡萄ジュースより葡萄酒の方が保存がきくから節制可能なんだろうけど、
新約聖書には、「酒を飲むな」 ではなく、「酒に酔うな」 って書いてある。
酒を飲んでいながら酔わないなんて、酒を飲む意味があまりない。
(仏教でも不飲酒(ふおんじゅ)は代表的な戒の五戒のうちにある。代わりに別の戒(不邪見。誤った見解を持つなかれ)を当てる方もある。不邪見の方がまもるのが難しい。でも不邪見はかなり現代科学的でもある。)
新約聖書では、身体が弱っているときだけ気付け薬として飲むように書いてある。
その事について、「若草物語」のビデオでは、パーティーで、若草の姉妹「お酒は飲んではいけない」というのを、男性「気付け薬という事にすればいい。」と酒をすすめるシーンがある。
身体が弱っていたら自分で飲めない。
 
最後の晩餐の、
中性形単数「杯 potehrion(ポテーリオン)」
これは、受難と復活、殺されと生き返りの聖杯(つまり早い話が「死」)なのだけど。
数年前かな?の映画「パッション」を観れば、受難とは、聖杯を得るとは、どういう事か、見たまんま気付くと思う。金属の鞭で打つシーンが痛々しい。複数の鍵爪状になっていて、鞭打ったとき刺してからはらうのだ。
本当かどうか知らないが、痛めつけて衰弱しないと磔刑だけで死なない可能性もある。
別に脅しとかじゃない。聖杯を得たいと思うものに、ゲツセマネの園でのキリストのように、本当に必ず死ぬ覚悟ができているか疑問なだけだ。それぐらいの覚悟とかじゃない。聖杯は必殺だ。
死んでいなければ聖杯を得ていないのだ。聖杯が機能していない。
ヨブは幸福な生活を取り戻した。
アブラハムはイツハクを生かしておけた。
が、キリストは殺された。他ならぬ父なる神の計画によって。聖杯の力によって。
屠られる家畜はだいたい一撃で気絶させられるか、殺されてから解体されるのに、キリストは痛めつけられてから死ぬまで放置された。そしてヘブル人に何の役にも立たない肉(サルクス)は食用にはされなかった。
そういうのを屠りというのだろうか?
 
新共同訳聖書には、最後の晩餐でも、「酒」とは書いてないんだよね。
「杯(さかずき)」って書いてある。
「葡萄の実から作ったもの」って書いてある。
文語訳聖書には酒杯(さかづき)と書いてあるけど。
「葡萄の実(tou genehmatos tehs ampelou トウ ゲネーマトス テース アムペロウ)から作ったもの」
なら、別にぶどうジュースでもいいのだ。
呑兵衛(のんべえ)には無理な話だ。
 
聖杯が過ぎ去ると「死ぬ事」は去る。
聖杯が停滞すると、「死ぬ(殉教する)」のだ。
fate聖杯戦争とか意味わからん。
前回聖杯を手に入れたものが生きているというのは、手に入れてない証拠だ。
聖杯が聖杯を手に入れたものをこの世に生かしておくはずが無い。
聖人の誰一人この世に生きてはいないのだ。
殺すのが役目であって、聖杯が聖杯として機能するという事は、手に入れたものを殺すという事だ。
この世で殺してあの世で生き返らせる。他の機能はない。 
 
最後の晩餐後、聖杯はキリストにターゲットをロックして人々が法的に正当に殺す為に逮捕しにやってくる。
キリストは逮捕前夜、できれば死にたくなくてゲツセマネの園で神に祈る。
 
カリスマ者は死ぬ…か。
十三階段を駆け上がるもの達。今は十三階段じゃないのかも。
カリスマの十三螺旋階段をのぼるもの達。十三段しかないんかい。