fatimariaの日記

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ゲヘナがプシュケーを滅ぼす事が出来る。

祝福と殺人の天使サタンは、

命までとるなと命令されたにも関わらずにヨブの家族を殺したという殺人を行なっているので、

命令に背いたとして、

悪魔扱いされる様になったのだろう。

しかしヨブを殺せなかった点は、正しいひとを殺せない事を物語っている。

しかしキリスト教の殉教聖人達は皆清廉で正しいひと達なのだ。

そこがキリスト教や殉教者達が勘違いをしている点だ。

不正の世界(不正の世)がキリスト教の父なる神プルなので、

世に染まらないでキリストのみを信仰するのは、

おかしい。

しかし、

キリストもプル(男性形)も1(一つ)の中性形なので、主(男性形)ではない。

信仰するのが父なる神やキリストではなく、

主が、

「地獄(ゲヘナ)で体(ソーマ)や魂(プシュケー。息)を滅ぼす権限のある聖霊

であるなら、

聖霊こそを尊ぶべきであって、キリストはそれをすすめているのだ。

蛇の様に賢く、鳩の様に素直であれ

 

怒りを発したり、とっさに我慢したり、意固地であったり、頑固であったりするのも、

怒りの感情や我慢の心や意固地や頑固に素直。

人間が素々持っている感情や心の動きに、

 

心がどう動いても結局

素直に動いている、

あるいは素直に動かされている事になるのだ。

 

つまり、

主である聖霊が、

素直に、

ゲヘナ(女性形)でソーマ(中性形)やプシュケー(女性形)を滅ぼす権限のある方

と考えたらいい事であって。

ソーマ(体)とプシュケー(息)をゲヘナ(地獄。悲嘆の谷)に負けさせる権限があるのであって、

権限があるけど行使するかどうかは書いてないけど、

息が無くなるのは、今迄数え切れないくらいの生物が息が無くなって来たのだ。

 

または、

ゲヘナ(ゲエンナ)のゴミ焼却や遺体焼却の悪臭で、息が止まってしまう事を、

ゲエンナでプシュケーを滅ぼす権限と表現しているとも考えられる。

 

しかし体(ソーマ)をゲヘナで滅ぼせるなら、

ソーマは弱い、

心は燃えていても体は弱いという事だろうか?

 

息(呼吸)をしない者が、死ぬ という概念があるかどうかはわからないけど、少なくとも人間や動植物は息をしなくなれば、死んでいる。

 

で、ゲヘナとは、ゲ・ヒンノム(ヒノムの谷)の事で、

遺体焼却場、ゴミ焼却場であった場所。

 

ヒノムは英語で

lamentation 悲嘆、哀悼、悲嘆の声、悲嘆の言葉(詩歌など)、ピエタ(Pietà)。

旧約聖書の哀歌がLamentations

 

ゲーは、

谷、谷間、渓谷。

 

ゲヘナとは、悲嘆の谷。ピエタの谷。

という意味。

 

ゲ・ヒノムなのか、

ギ・ヒノムなのか、

ゲイ・ヒノムなのか、

ゲア・ヒノムなのか、

ギア・ヒノムなのか、

ゲイア・ヒノムなのか、

母音が無いのでわからない。

モレク(マリク。天使、王、仕事)へ捧げる為に自分の子供達を火の中に入れた場所とも言われている。

自分の子供を捧げる点は、旧約聖書ではアブラハムとイツハク(イサク)の話で避けられている。

しかしキリスト教ではキリスト自身が殺されている点から、

人身供儀が尊いとされて殉教文化となって来た。

日本では恵比寿神弟橘媛など、お馬流しや流し雛の様に、

犠牲を水に流して清める。

しかし人身供儀(人柱)はあったのだ。

宥めの香りやカパロットの儀式など、

犠牲を火に焼べる文化は大陸から来た文化だろうと思う。

罪を犯した者の遺体はヒノムの谷に埋められ、

普通の遺体やモレクに捧げられた子供達はヒノムの谷で焼かれ、

ゴミもヒノムの谷で焼かれる。

つまり、

普通の遺体やモレクに捧げられた子供達

=ゴミと同列

=宥めの香りの犠牲と同列

という事になるだろうか?

不正の世界(コスモス)が

「火(プル。PR。舌)」

なので。

「ゴミを舐める火」な訳で、

日本でも、燃えるゴミも、遺体も、火で焼く事になっている。

火の形を舌にたとえているので舐めるという表現になっている。

それはキリスト教も同じ。

ゴミと宥めの香りの犠牲は、火でベロベロ舐められるという同列で、

舐められる場所がゲヘナ(地獄)な訳だ。

そして、

ゲヘナによってプシュケー(息)が滅ぼされるという事は、

火で燃やされるか、ゲヘナに埋められるか、

すれば、

プシュケーは滅ぶという考え方。

キリスト教では、洗礼を受ける事によって、水のコーティングをして、火の洗礼によって、焼ける事を無効化する事で、

プシュケーが滅ぶ事を避ける意味合いを持たせている。

その為、キリスト自身もヨルダン川(海蛇座)で水の洗礼を受けている。

 

火(PR。キリスト教の神)が消える事の無いゲヘナ(ヒノムの谷)は、

キリスト教にとってエルサレムの至聖所よりもキリスト教の聖地であるはずなのだ。

しかしそこにもう火が無いのであれば、

新約聖書の効力が疑われる事になる。

 

ゲヘナエルサレム市の南側と書かれている。

糞(ダン)の門がエルサレムの東側にあるのだ。

ゲッセマネの南西、糞の門を更に南西、

聖墳墓教会やシオンの門や最後の晩餐の部屋の南に位置する場所の様だ。

 

ヒノムの谷とギデオンの谷とチロペオンの谷で、

親指と人差し指と中指を立てた形の丘を形成している。

グーグルマップで調べている途中に、

どこかからの干渉で、グーグルマップに地名が表示されない様にされてしまったので今は確認出来ない。