歯車をはめたら、同じ方向(ベクトル)に回るでしょそりゃ。
接点が下に向いて歯車が回っていたら、接点、関係は、両方下に向いて回るでしょ。
はめるトコ間違えたんちゃう? って寝てるときの幻聴は、どーでもいいように言ってたからね。
接点が上に向いて歯車が回ってたら、両方上に向いて回るでしょ。「凄い」
両方接点の反対側は、常に上に上がっている。「なるほど」「そうです」
接点がある間は、どちらかが動力を伝えているけど、
接点の反対側とかが、他の歯車に接点があるかどうかは別問題だ。
それ、何の為に回してるの?
「幻聴が徒労だ」って言ってる理由だ。
ギアチェンジしたって、効率よく下に回ったって、回ってるだけじゃんか。
空回りタイプ。
どう考えても、動力を伝えてるのは、幻聴の方だ。
下げの、挑発による、煽りによる、闇タイプ魔法。
魔法、魔の力 ってのは、かつてのペルシャの光の神、夜の太陽、水天ヴァルナ、海龍、の阿修羅マズダの法だ。
その歯車の状態、「図」で想像してみろよ。
こっちの方が!いやこっちの方が!私が!私こそが!いや、私こそが!
ほら!!効率よく、速く回った!!
「回ってる歯車」の状況見ろよ。
どっか他に接点があるか?
回ってたねぇ。
それがどうした?
360度変わってしまったのです!
それがどうした?
水のおもてに、エンを描いて?
歯車は、「闘病中」。
いつ回るのが、「止まる」「止める」のかな~~って、回ってるだけ。
どこで止まろうが、「歯車は、変わらない」。
何の成長も無い。動力のとおり、「そこで回ってただけ」なんだから。
なんべんゆおーが、同じ場所でやりなおそうが、関係無い。
「幻聴」なんだから。
ひとびとが聞いてきた、 「いつもどおり」だ。
0+1-1=0
1+1-1=1
0-1+1=0 (無洗礼の受難と復活?)
1-1+1=1 (放蕩息子。受難と復活)
0=0 (審判の無いイノセント状態?)
1=1 (ケアしている放蕩息子の兄弟)
何か違うのか?
それだけの話だ。
「何にも無くても(繰り返し) ありがとう御座いましたー(別々に繰り返し)」
オッケー?
多分「馬鹿にしてるだけ」なんだよ。
「ありがとう御座いましたー(別々に繰り返し)」
ひつこいな…。
関係無いんでしょ?
過去形なんだし。
何故私が感謝されないといけないんだ…。意味わからんし。
ま、どっちにしろ、公が公にできるわけないんだし。