fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

勤務中ずっと幻聴聞いてたけど、

幻聴「東君の職場の若い既婚の女性が辞めるそうです (新しい人員)募集してたら、乙女が東君と職場で親密になって東君を手に入れるチャンス」


幻聴「東君をかたって先に手に入れ様とするやつも狙っています」


幻聴「東君を手に入れる為に色々乙女達が画策をしてると思います」


職場は人員募集を出してないらしいよ。

私がそのひとの穴埋めの為に毎日の仕事が6時間になって勤務日数が少なくなる可能性があるとの事。

(ならないらしい。今後もまだ4時間。)

人員が足りてないから、チャンスは見守る必要はありそうだけどね。


私は相手の方にその気が無ければ絶対手を出さないので、

乙女が家に呼んだりするとポイント高いだろうけど、

乙女の方から押し倒すとか、しないと私は奥手なので難しいかも。

乙女が私を手に入れるまではその乙女は付け狙われる可能性もあるかも。

乙女が私を手に入れる瞬間に乙女に憑依する事を考えてるのもいるだろうけど、

猫のよーこちゃんが、死んだ理由は、

よーこちゃんの頭に複数の霊的な、

コンピュータで言えばDoS攻撃をかけられた様で、

よーこちゃんの脳のキャパシティーを超える霊が入り込んだ事でよーこちゃんは死んでしまった様子。

そのとき普通の痙攣ではなく、頭を起こして目を閉じているのに、頭が揺れる様に振動する様になっていて、

動かなくなってから

私「よく頑張ったね。」ってなでてあげたけど、

脳のキャパシティーを超える霊がいっぺんに憑依で入り込むと脳死状態になる可能性があって、

その私の初めてを争奪するときに、乙女の精神争奪戦をすると、

乙女が脳死状態になる可能性があるので、


そういう意味では私がどんなに乙女に無防備でも、乙女そのものが無防備では乙女が私を手に入れられる可能性が低くなってしまうので、


私は今も童貞なのです。物質界ではね。


確かに物理的にさっさと私とロストヴァージンで私の童貞を奪ってしまえば、

あとはそれ以上の最初の女性はいないので、


処女でもないのに私を手に入れようとセックスしたとしても、

「私が乙女を手に入れた経験が無かったら、私は乙女を得ようとしてしまう」

だろうから、結局童貞だけ奪っただけの女性では私は手に入らないので。

その場合童貞は奪う事は出来ても、私を奪えない。


私に処女膜を破らせる乙女という以上の女性はいないので、

その女性に依存する事は間違いないです。


上記の事に気をつけないといかんけど。

幻聴「こわい!!」

幻聴「おかあさんこわい!!」


幻聴「何故東君はDos攻撃でも無事なんですか?」

私は溢れてしまう位霊が入れば私の他の霊が溢れて出てしまうので、

私の精神自体は特に変わらずに子供の様に素直で正直な状態を保っている様だよ。


逆に考えると、私という容れ物そのものが私の精神と同体なのかも。

私という容れ物は私を失わない訳ですよ。


でも一瞬眠ったときだけ聞こえる幻聴のときは、

幻聴は聞こえているけど私の精神は身体を動かす事に関してはストップしてるよね。

眠ってるんだから。


夢を見ずに眠っているときは私の精神は働いて無いから、そのとき私の精神がどこにあるのかは知らない。


「私を一瞬だけ眠らせて一言だけ言葉を聞かせる」

という事が出来ているやつがいるみたいだけどね。

誰なのかは知らん。

私を良く思っているというよりは、利用価値や手段価値や目的価値としか思ってない可能性もあるやつらだ。


私の事を好きなら、もっとその幻聴に愛を感じとれると思う。

幻聴「馬鹿ちゃん?(馬鹿と違うか?)」


一瞬眠ったときの男性幻聴「いちいちゆめタウンに!しよーーー(しよーーーの部分だけ別の幻聴)」


乱暴な男性の幻聴「おーーい!!」

幻聴「やっぱ死ぬか…」


Dos攻撃の実験してみたな?ひょっとして。


幻聴「東君の中にあるのを人に施せばきれいになるというのは その「中」というのが「洗える足(feet)の表面」な訳で 心の中から出て、口から出るものによって汚れるというのが  やばい!! やばいなぁ…」


足に口ってあったっけ?

そういや足に目の様な相があったけど穴が開いてる訳ではないし。


幻聴「そのとき足は汚れても全身は汚れない」

全身どうのより、人を汚すかどうかでしょ?

人が汚れても足を洗えばきれいになる。


右足 金星の領域

左足 水星の領域

足 牡羊座の胃宿(女陰。D。デルタ。百合座。北蝿座。)

足 魚座


洗えばきれいになるかなぁ?って象徴もあるな。



今日は精神的に襲って来る漢はいたみたいだけど、

私は物質界の男なので、

精神的には童貞ではない私を精神的にどうしようとしてもどうにもならんよ。


私が童貞なのは物質界での事。

おかあさんの、マテリアルの世界の事。


日本で女性の方から男性を性的に犯しても、犯罪にはならなかったらしいけどね。

年齢制限はあるけど。

18歳未満の男性でも女性でも性的な事を教えたり性的な事をしたりすれば法律で犯罪になったと思う。

青少年育成条例だったかな?


私を女性が性的に犯すのは犯罪ではないという事になるよね。

でもそれは物質界での事。


私を物質界で犯す様なそんなひとには出会った事は無いよ。

幻聴「腹立つ」


精神界での結婚については、

物質界とは何の関係も無いからね。


物質界では物質界でまた別に結婚出来るし。


幻聴「いい加減にせえ」

こっちのセリフだ。適度な加減を知らんのか。

毎日毎日ごちゃごちゃと!


精神界でどんなに大きな間違いを犯そうとも、

それはsinに関する事であって、

物質界の日本のクライム(犯罪)には関係無いんだよ。


私はそうやってはっきり分けてるんだよ。

区分けしてるの。



幻聴「心の中が足の表面だったらどこに入るんですか?靴に入るんですか?靴下に入るんですか?」


「靴や靴下は心の外」にある。

「体内も心の外」にある。


靴下に口ってあったっけ?

履き口とか言うだろうか?

靴下や靴そのものは心の「中」ではないから。

靴下や靴は外なので。

中から出る様でも、

外の事だ。


体内や衣服は、心の外(out)なんです。


足に口は無い。

足の表面が心の中ならね。

もちろん傷口とか作れるけど、


血は「足の表面の外である体内」の血管から出るんだ。


表面(ひょうめん)だからね。

足の皮じゃない。足の表面。正確には

足々の表面。

汗は汗腺から出るし。口じゃないんだよ。

毛も毛穴から取れる。口じゃないんだよ。


でも傷口から血や血をかためる為の液体は出るよね。

水で洗えばとは書いてない。

「洗えばいい」のだ。

アルコールで拭こうが、洗剤で拭こうが、きれいになる。


腫れ物に触れる様に傷口に近づかない。

それを「けがれ」と説明してるだけだ。

月経中の女性は乱暴には扱えない。

なので安静にさせる為に「けがれなので近づくな」と説明してきたに過ぎない。

血が出ようが汚れている訳ではないのだ。


月経が済めば子宮内はさらにきれいになる。

人間はからだの外側は涙や新陳代謝や洗う事などで、からだの内側も新陳代謝や食事排泄や血の循環などできれいになる。


心も、涙や笑いやお喋りなどできれいになるでしょ。

笑いやお喋りを聞いてるときの私は、なるほどと思って聞いているけど。

何聞いても勉強にはなるよね。

応用は得意ではないのかもだけど。


血に関して、

B型肝炎のひととか、体液感染するHIV患者とかは、実際に血に触れない様にみんなは避けなければならなかった。

そういう意味での「避けるべき事柄」っていうのはあっただろうけど。


エイズのひとの唾液とかは、バケツ3杯くらい飲まないとエイズに感染しないとか、松原が学校で習ったって言ってたと思う。


触ったりキスしたりぐらいでは感染しないんじゃないかな?



内側のものをひとに施せば清くなる って言うのは、

言葉で懺悔すれば清くなるのと同じで、

心の中の鬱屈や鬱憤などは誰かに話したり、

伝えたりすれば清くなるという意味。


ひとに伝えずに考えだけめぐらせていると、

どんどんモヤモヤが増えて行くのだ。

でも誰かに伝えて行けば、改善されて行く問題もあるのだ。

伝えないとみんなはわからないという事はある。


足が無いひとは足が汚れる事が無い。



そこで、口で足を噛む、舐める事についての問題があるのだけど、


足の表面だけが心の中であるなら、

「口や口の中も、心の外」

足の表面から出て、口から出る

という事を、

足を口に突っ込んで、口から出すという、

普段やらない事をやってみたとしても、

「足を洗うだけできれいに(清く)なる」のだ。


私は身体柔らかいときには自分の足の指を咥えて舐めたりしてたけどね。



伯母さんから電話があって、

伯母さん「ちゃんと食べて、身体も洗うんやで。」

と言っていたので、

心は足だけ洗えば清くなるが、

今の日本では、身体はある程度の日数経過すれば、洗ったり拭いたりしないと新陳代謝や発汗などで臭くなったりするので、

身体を洗ったり拭いたりするのは別にいいだろう。

そろそろお風呂入ろうかな?伯母さんに言われたし。


私に私との関係がある為にも、自分の足を自分で洗おう。



お風呂入ってる間、

足関連の象徴が、きれいになるかならないかについての問題を指摘されたけど、


空気中に汚れや菌は、ある訳で、

人間が生きていて、

「汚れない事」

ってまずありえない。

汚れない所作 という方法もあるけど、

「出来るだけ汚さない事」と、

「汚れてもきれいにする事」

というのを人間はほとんど毎日やってるのだ。

いわゆる衛生的な問題。

生きる事を衛る方法だ。


これは心の問題も同様で、

心が汚れて来たら、まわりに、浄化プロセスであるトラブルが発生して来る。


心を出来るだけ汚さない様に気をつけるひともいる。

もうひとつ大事な事は、

心が汚れても心をきれいにする事。


誰かに強姦されたりして「汚された」と思っている女性がいたとする、

その女性に何か落ち度があっただろうか?

心のどの辺が汚れているだろうか?

強姦されて悔しいのは普通で正常だ。


放蕩息子はすすんで放蕩生活をしていただろう。

それでも父親は生きて帰って来たら嬉しい。

というたとえもある。

放蕩息子は放蕩に明け暮れるという落ち度、過失、ミス、大きな間違い、をしているにも関わらずだ。


キリストは

罪を犯した事の無い者から(姦淫の女性に)石を投げなさい。

と言って、結局誰も、誰も石を投げなかった。

キリストも何も咎めなかった。


たとえばもし、娼婦が娼婦である事が汚れだともし自分で思っているなら、その娼婦である事の苦しみや葛藤の、どの辺が汚れているのだろうか?

もう既に苦しんでいるなら苦しむのはもうそれでいいじゃないか。

既に苦しんでいるなら、苦しみが報われる方向を模索すればいい訳で。

娼婦なんて若いうちしか出来ない。

歳とったら娼婦だったか娼婦でなかったかなんてわからなくなるのだ。

楽しんで娼婦の仕事をしているひとだっている。

そのひとは娼婦に適性があるのだ。

娼婦をやっている事に苦しみや葛藤がある、楽しくない、なら、向いてない、適性が無い、のだ。



私もアダルト作品を同人ソフトで出そうかと思っていた頃もあったけど、

男性向けのアダルト作品って、

男性しか寄って来ないんだよね。

それは異性愛者の男としては全くこれっぽっちも嬉しくない。


私の描いた絵を見て、あるいは私の描いた絵をイメージして、ヌく男性が私以外にいるなら、

私は嫉妬で発表出来ない。

私はそれで描けなくなったんだよね。

それも私に適性が無いのだ。

幻聴「馬鹿野郎」


ピュグマリオンが、自分の好みの女性の彫刻を誰かに渡すだろうか?


普通しないよね。私もしたくない。



私はゴミ拾いなんかで自分の手が汚れたとしても全然気にしない。洗えば、そして新陳代謝すれば済むだけの事からだ。

きれいになる。


子宮内だって、月経で毎月きれいになっている。



「仕方のない事」「もう仕方のない事」について私はあまり悩んだりしない。

「仕方なかった」=「最善を尽くした」

だからだ。


困った問題については、どうにかしようはないだろうかと、常に考えてはいるよ。


精神病的に

「万全に用意してどれもミスしない様に事を運ぶ」とかはかなり難しいので、


このミスがあったときはこうする、この対応に時間とられたときはこちらの方法で時間短縮の対応する、

など、

ミスしない様にだけでなく、

ミスした場合にどうするか、

という事も考えたりする。


それが、

汚れない様にして、汚れたら汚れたまま とか勘違いしているひとには、

「汚れない様にする」だけでなく、

「汚れた場合にきれいにする方法(清めの方法)」

を、先日のブログで説明したのだ。


罪を犯したら、あるいは堕ちたと思ったら悪魔になるとでも勘違いしてるひとには、

「キリストが罪に定めない」為に「みんな罪を犯せなくなってる」事に、気付いた方がいい。

もう何者も悪魔になれないのだ。


「心の中で思った事がある」という事実は、事実としてかたいので事実そのものは壊れない。


しかし、

「心の中で思った内容」が、

必ずしも

自分の本意(本心)」

とは限らない。

私は「(私の本意とは異なるな)。」と感じたときは、

「心の中で思った内容」の方が、間違っていて、

自分の本心ではないのに、

何かに

「思わされた」

ので、

自分に落ち度はなく、自分を咎める事も、自分を責める事もしない。

本心(本意)では思ってないから。


パソコンやスマホiPhoneが、同意や了解する様に表示してきて答えても、

それが自分の本意だとは思ってない。

同意とは言ってくるけどほとんど脅迫みたいなもんだから。

私はいつでも本心では同意や合意や了承や了解や承諾や承知や委任や委譲や移譲などはしてないよ。


事実は壊れないよ。

しかし私は私の本心や本意がかなり健全で健康的で平和的な事に気付いているので、

それを信じている。

多分本心はそんなに間違った事はあまり考えないだろう。

私の普段考えている事がどこをどんなに間違っていても、

私の本心(本意)は、常に私の理想と私が理想としない事を区別している。

私は私の理想が、他の普通のひと達にとってもある意味理想的だと思っているので、

私は私の理想を信じている。


このブログは理想も書いてるけど、雑多な考えもそのまま書いているので、

このブログ内容全部を私の理想だとは思わないでもらいたい。



自分の理想を他のひとに押し付けると、

その理想から外れたひとには価値がないのかとか思うひともいるかもだけど、

それぞれの価値観やそれぞれの理想というのは、

ひとそれぞれが自分で持っていたり見つけたり出会ったりする事なので、

そのひとそれぞれの紆余曲折などのドラマこそがそのひとそれぞれの個性の一部なのだから、


私は私の理想を持っているけど、

たとえば、

太っている自分は理想とは異なる体型だけど、

「軽肥満の方が長生きする」という統計もあるし、

少し太っている位の方が、

ギスギス、カリカリ、イライラ、など、あまりしない。

ある程度心に余裕がある状態になるのだ。

なので、

フォルムやスタイルなどを、

自分の美的感覚では

太っている自分は受け入れ難いのだが、


太っている事を気にし過ぎる事も、


自分の容姿や、

自分にストレス圧がかかったとき考える内容が、

自分の理想とかけ離れている事を 気にし過ぎる事も、


自分の精神衛生上よくないだけなので、

むしろ気に病むより、

その「あんまり気にならない性分」を手に入れたのだから、

いい感じだったり機嫌よかったりした方がみんなも悪い気にしなくなるので、

つらそうだったり、眉間にシワ寄せてたり、イライラしていたりすると、

周りにもあまりいい影響はないので、

それよりは自分も周りも機嫌よくいた方がいいと思っている。

泳がせてくれてるみたいだし。