何年か前、
とうさんが亡くなって、
家の書道用具(文房四宝)を処分する為に、
家に書道関係者やとうさんのお弟子さん関係のひとが集まっていた。
そのとき、外国製の自転車に乗る事がある、ある奥さんと話をした。
島田さんという名前だっただろうか?
島田さん「何でこんな重いん!?」
私「それは安いから…。」
トカ言っていた。
まさに丈夫で値段が安いけど、重い金属で出来ているからで、
カーボン製やアルミ製ならもっと軽いのだろう。
島田さん「今度自転車で一緒に走りましょう!〜という会があって〜。これです。」
私に会の名称を見せてくれたけど、
それに肥満がひどくなってきていて重いので、
高額な軽いロードバイクについて行ける訳がないと思ったので、
そのときはオーケーしなかった。
私はみんなと一緒に自転車で走るというのには憧れがあった。
なので、
痩せて、ロードバイクをいつか買ったら、
島田さんのグループと一緒に走ってみたいかも、
と思っていた。
その為に、
痩せる努力と、
ロードバイクを手に入れた。
しかし中国製のロードバイクのカノーヴァーのアドニスは、走っているといつ分解するかもわからない程きしむし、重さがエスケープと変わらない。
エスケープが重かったのだから、
当然アドニスは島田さんのグループのロードよりかなり重い。
このロードではあかんわ…。
と思っていた。
そして島田さんが癌になり、手術した事を聞いた。
その後、島田さんに会えたが、痩せ細り、目は潤んでいて白目が無い印象だった。
私は島田さんが自転車に乗って走るのが、生命力を削る事にならないだろうか?と、
そのときも同じコースを自転車で走る事を躊躇った。
またその後、うちの書道用品をさばいてくれている社長づてに島田さんから自転車で走りませんか?とお誘いがあった。
しかし私はバイクの教習期間中で、とても無理なので断った。
そしてある日、
徳島新聞のおくやみの欄に、
島田さんの名前が載っていて、
聞いた事ある名前だ。誰だったかな…?
と気になっていた。
後日、うちの書道用品をさばいてくれている社長から、
社長「島田さんって、自転車のお誘いされてた方、亡くなられたそうですよ。」
私は、あの痩せ細った身体から、亡くなるのは容易に想像出来たが、
私「とうとう一緒に自転車で走るのは出来なかったな。」
と少し寂しくなった。
これから、他の誰かとみんなで走るのは出来るかもしれない。
でも最初にみんなで走るのに誘ってくれたのはあのひとだったから、それがかなわなくて、寂しくなったのだ。
私「ロードバイク…無駄になってしまった…。
もっと軽いのを買っておけば…。
でもコロナ禍で自転車が手に入らなかったし…、
軽いの買っても島田さんの身体を気遣いながら走るのって、楽しくなかったかも…。
もうつんでたんだね。」
島田さんの御冥福をお祈りします。
旦那さんもつらかったでしょうね…。
私は125ccのハンターカブに乗り、
自転車で走らないので、
肥満はますます治らなくなっている。
中国製の自転車いくつ買っても、結局走るに不安であまり乗らない。
乗ってる最中に自転車が分解する事を心配したのは、中国製だけだ。