ネガティヴからは解放されている。
私は以前の記事でこう思って書きはじめたのだ。
人間を神とたたえるなどと、
神をおそれぬ所業で、
人間は軽々しく使うけど、
罰が当たっても知らんからねほんま。
と。
その意図を汲んでくれて、
ネガティヴから解放された。
罰を当てる心の狭い神様とか思うだろうか?
それは勘違いだ。(下記に続く)
日本では神様は現世御利益の神様が神様とたたえられるけど、(下記に続く)
ヘブライ語で「神」をあらわす「エル」という単語は、「呪い」という意味なのだ。
「エロヒーム」は「呪い達(呪いの複数形)」。
「YHWH・エロヒーム」は、「呪い達の命」という意味。
障らぬ神に祟りなし
と昔から言うけど、
人間などを神とたたえる行為は、神に障る行為になるよ
と言ってるんだよ。
そこでユダヤ教徒やキリスト教徒や日本じんが考えた便利な言い方は、
「あのひとは神の使い(天使)かも知れない。」みたいな使い方だ。
日本では狐がその役割を担う。
狐は天使だったのだ。
でも、私はこれも引っかかる。
たたえたいから天使様と言うのではなく、
その役割として天使様である場合に天使様なのだ。
私を何度も救ってくれた天使様が多分居る。
いつも姿(喋らせるひと)を変えているけど。