fatimariaの日記

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雷と電気。と、「価値」について。

過去の記事に、雷が電気と同じように書いてあった。
自然の雷と、
人間の電気と、
異なるんだよね。
 
雷と電気をはっきりと区別する為に、過去の記事を書き直した。
実際人間は「雷」と「電気」を別の語として使っている。
 
人間にとって
雷は一瞬の自然災害だけど、
電気は消費する、人間にとって便利なものだ。
 
雷はまだ人間の味方にはならない(人間の自由にはならない)が、電気は人間に使われる。
 
幻聴は、「電気信号」であって、「電気そのもの」ではない。
私は過去を自由に変えられる。「決まったね」
幻聴には変えられない。「あそーですね」
不純物を取り除く事も可能だ。というか取り除く。洗う。「そうです」
過去(私)を洗って不純物や惜しかった事を取り除き、癒せば、現在の状態は改善する。
旧約聖書には全身浸かるだけで、汚れ、穢れ、が無くなり、きれいになると書いてある。「あらそーですね」
 
まだ脳は未知の領域で、自由にはできないのだ。
 
しかし私の暗示には七曜すべて含まれる。海王星も含まれる。氏は変えられるが、誕生日や名前は変わらない。変えられない。
物質界の事は何も変わっていない。
ファティマがアリーの妻で、子供を産んでいる事も、
聖母マリアが聖ヨセフの妻で、キリストを産んでいる事も、
何も変わっていない。
戸籍上のとうさんの妻のかあさんが、戸籍上の兄と私を産んだ事も変わっていない。
 
でも精神的な不純物は、取り除けるのだ。精神は洗える。
 
「堪えとき」私が事態が改善するまで堪えるわけがない事気付いてて、軽々しく言う。
私が聞き入れるわけないから、
幻聴の本体のおかあさんに選ばれたんだろうが。幻聴の本体にくっついている。私は関係ない。
「堪えときっても堪えときっても」そうそう。
 
無駄な抵抗、やめときなさい、やめた方がいい、堪えとき、もういっから のものも、
「諦めさせタイプ(活動を止めるタイプ)」だ。
 
私はすでに「諦め」であって、「諦めさせ」を受け入れるもの とは異なる。
 
ビナーの座を狙う、
止めるタイプ(諦めさせタイプ)、理解系、は多いんだ。「そうですね」
 
多くいたって、関係ないもん。
いつでも理解系だもの。理解なんかしてない。
まあ私の頭の中にいたらそうなるわな。
 
諦めさせ と 悔しがらせ タイプは、相反する。しかし諦めさせタイプも、悔しがらせタイプでもある。
「過去に依存させようとしている」事になるからだ。
 
どっちのタイプでも、私は「過去(東。俺自身)を愛する」ようになっている。「そうですね」
遅かったね、惜しかったね 惜しかってするのを、そうだったんですね、と言われる度に、
私は「過去(東。俺自身)」に注意を向ける事になる。
堪えとき やめときなさい やめた方がいい と言われる度に、
私は「過去(東。俺自身)」に注意を向ける事になる。
 
ずっと後ろ向きなのだ。ずっと内向的なのだ。「すごい」
 
「諦めるような事態」、
「惜しかった事」、
 
つまり、
過去を「価値無いもの」のように言う事によって、
私の怒りを煽り、悔しがらせようとしている。「さよなら」
 
現在や未来(北、敗北、北斗、破軍星、北極星、辰星(水星)、玄武、ミカエル、ヴァルキリーの鎧、スカト)が、
過去である私より魅力的であったなら、悔しがったりしないだろう。
 
「過去の価値」を「幻聴が定めようと言っている」事に腹を立てている。
利用価値にも思っていない。
過去の価値は私が決める事だ。
私は過去を「唯一希少価値としてくれる者」が好きなのだ。
なので、それに近い、すごい のものが かわいい と感じるのだ。「すごいっ」
 
ちょっと待ちなさい(待てば改善しますから待ちなさい) のものや、
ちょっと待ってくれよ(それでは困る) のものは、
止めるタイプだけれど、諦めさせタイプではない。
 
私は「過去である自分の価値」について勝手に低い価値に決められる事に腹を立てている。
私が決める事なのに!!!!
まあ私も幻聴を、偶像としての像は無いけど、無価値としている感じがあるけどね。
他の者の評価を聞くのが腹立つ。
 
私が幻聴を、価値の無い者としていて、
幻聴が私を、価値の無い者としている。
その評価をアピール(主張)してしまっている。
 
仲のいい歯車が噛み合ってない。
合わないんだよね。はっきり言って。
大事にし合う、希少価値としてないんだよね。
 
私は、
ファティマの手の手相のしるしも、千手千眼の一の手相のしるしも、童貞も、未婚も、結婚可能な者も、戸籍も、生理現象も、確かにある、
「物質界」を価値評価して、「精神界」に価値を置かず、大事にせず、注意を向けていないから、
精神的なものである幻聴は、必死に心の中に注意を向けさせようとしている。
 
疲れるんだよね。ストレスいっぱいだ。合わない相手と一緒に過ごすのは。
 
 
以前から言っているように、
 
唯一希少価値
希少価値
価値
利用価値
価値無し
 
という評価基準がある。
 
 
私は精神を、価値、利用価値、あるいは価値無し、と評価している。
つまり、確かなもの でない精神的な存在である女神達や幻聴よりも、猫のよーこちゃんの方を大事にしている。
 
精神的なものは裏切る可能性はあるが、物質界の処女膜は1回しかない。「そおですね!」
物質界の妻はそのとき一人しかいない。
必然的に唯一希少価値となるのだ。
 
精神界では、
デウスや月の女神はたくさん、他の多くのひとだって暗示を持っている。
しかし、物質界では、
千手千眼の一の手相と、ファティマの手の手相を、両方持っているひとは多分、私だけだろう。
物質界では、私は唯一希少価値なのだ。
 
でも「幻聴達は私を価値無しとしている」。「精神的なもの」だからだ。
「偉そうにゆーなよ」
ね?
「私に価値が無い」んだよ。「私が大事なものでは無い」んだよ。
 
くだらない とか、無駄とか、
「私にとってお前に価値は無い!お前を受け入れたくない!」って宣言しているようなものだ。
自分を価値としてくれないものからは、心は離れて行く。
心が離れて行くのに、距離が離れないから、憎しみをぶつけあってしまう。
「いい加減にせえよ」ふざけんな。
 
ブログで女神とのお茶のシーンはあっても、食事のシーンは無い。
でも猫のよーこちゃんには「毎日」餌をあげている。大事にしている。
猫のよーこちゃんは物質界に居るからだ。食べないと死んでしまう。
私がどうこうしなくても、女神は放っておいても死ぬ事は無い。
 
誰でも自分を大事にしてくれるものを大事にしようとする。猫でさえ。
自分を傷つけ続けるものを、憎みこそすれ、大事にしようなんて思わないだろう。心は離れて行く。
 
精神的な聖母マリアより、物質界の美処女のマリアさんが私を好きになってくれるなら、私はそっちの方を大事にするだろう。
精神的なヘラより、物質界の、ヘラさんや他ヘラの別名の人や、月の女神の名前を持つ、美処女のひとが私を好きになってくれるなら、私はそっちの方を大事にするだろう。
 
私は何度も、女神達や気に入った幻聴に、物質界の美処女に憑依して私と結婚して性交する事をすすめている。
その度に、精神的なみんなは、拒んできた、あるいは無視してきたのだ。
 
どうやって大事にするの?
見えないから、傍に居るか居ないか、わからないのに。
 
私が唯一希少価値としている物質界の事を、私が、また私を、価値以上としていない幻聴にいちいち口出ししてもらいたくない。
どうせ私を価値以上としていないのに。私を大事に思っていないのに。
私を大事に思っていて、そういう態度を常にとっているなら、私は大事にするだろう。
徴税人でも自分を大事にする者を大事にするだろう。
 
「惜しかった(繰り返し)」はぁ…。
私の過去を価値以上としていない。なのに、私に、聞こえるように、言う。
聞こえないように言ったって、私の傍を離れなければ同じだ。「すごい」
「遅かった(繰り返し)」ね?
「他方がいい(繰り返し)」他方がいいなら居なくなってくれまいか?「くっ!だらない抵抗」
ね?価値の無い場所に依存している。「そうです」
ね?自分で価値が無いと言っているんだ。
私の場合、私の精神は、物質界に逃げられない。行けないんだ。私はここに居るしかないもの。「そうです」
でも、誕生日は変わらない。「そうですね」
名前も変わらない。「そうですね」
どんなに主張しあったって、
私は私が今唯一希少価値とする場所には行けないんだ。ここから出られないんだよ。
聖母が私を大事にしてくれるなら、私は聖母を大事にするだろう。
しかし、ほったらかしだったら、裏切るなら、私は価値以上に置く事ができなくなってくるかも。
ね?
幻でどうやって私を惹きとめておけるんだよ?
 
私はもっと「確かなもの」が好きなんだ。
私のまわりに、精神界でも、物質界でも、どこに「確かなもの」があるんだよ?
 
ファティマの手の手相や、千手千眼の一の手相は、手相が変わってしまったら、もう関係なくなる。
価値はあっても「確かな支え」にはできない。
 
じゃあ、誕生日や名前や出身地(出生地)は、変わらないでしょ?
誕生日は、同じひとが居る。
名前も、同姓同名のひとが居る。
出身地(出生地)も、同じひとが居る。
どこが唯一希少価値なの?
 
私が美処女の女性と結婚破瓜子授け子育てしたがるのは、
結婚したら、すぐにでも「唯一希少価値の存在が手に入る」からだ。
はじめての女性が。
 
でも心は、精神界から出られないし、幻聴も心の中に引き止めておこうとした。
 
猫を大事にしたって、猫は私を大事にしない。「すごい」
徒労だ。
誰も私に「支えとなる確かな大事な者、安心して大事にしていい者」を与えてくれない。どこにも見当たらない。
しかも精神的な支えはすべて奪おうとしている。
 
戸籍上のとうさんかあさんは私より先に死んでしまう。
戸籍上の兄夫婦は私を大事には思っていない。
不運になる未来は目に見えている。
 
それでどうして他を祝福できるだろうか?他を幸せにできるだろうか?
他を呪ってしまうよ。他の足を引っ張ってしまうよ。他を罵ってしまうよ。
多く愛されたものは、多く愛せる。 環境の問題だ。
 
私は多くの恵まれた環境について、恵まれた環境であるという価値を見出していない。
幻聴が私の価値を常に低く評価しているからだ。
その私の態度にまた他のものが苛立っている。
こんなにいい目見てるのに自殺したいだと!?って感じだ。