fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

幻聴の座標的広がり

今の空間区別をしようか。
 
家では人間からの幻聴はほとんど無いので、あとで名称を聞いた、「機能性幻聴」だけの判断。
 
 
 
近い
 

鼻息や寝息(明確に場所的に聞こえるけど、身体的生活音でもある)(あとで精神科医に機能性幻聴だと言われた)
 
身体や耳元や付近など (明確に場所的に聞こえる)(あとで精神科医に機能性幻聴だと言われた)
キーボード入力音(明確に場所的に聞こえるけど、生活音でもある))(あとで精神科医に機能性幻聴だと言われた)
 
席の左(南西)、ベッドの北、の空間
バックグラウンド
の場所的に聞こえる音声、2層(明確に場所的に聞こえるけど、ファンの風の音である生活音でもある)(あとで精神科医に機能性幻聴だと言われた)
 

遠い
 
つまり、
生活音(機能性幻聴)と、
バックグラウンドのオートリピート可能幻聴(機能性幻聴)と、
テレビやラジオや誰かが誰かとの会話などのきっかけで出るタイプと、
3種類かな?今。
 
スタミナの無いタイプは、生活音タイプやバックグラウンドタイプじゃないんだ。
歌の結界ではなくて、
言動に対して発動するタイプの結界。
部屋の外などの生活音(水の音、ドアの音、風の音など)
生活音幻聴は、生活音の地点のその地点から聞こえるので、
 
身体などの摩擦音
水の音(水と別のものの摩擦音。水を止めるといきなり聞こえなくなる。上下水道、飲料水などの音)や、
ファンの風の音(ファンと空気の摩擦音。パソコンや換気扇。電源落とすといきなり聞こえなくなる)や、
ドアの摩擦音
 
生活音っていうのは、摩擦音なんだ。
 
でも、ときに、生活音関係無く、幻聴は声かけてくる(他の物体などの勢いによる脳波刺激など)。
 
他の物体などの勢いによる脳波刺激の前に、
自分の精神状態が変化させられて、勢いや音声や物事が起こり、
会話してるように聞こえたり、何かが起きた、何かを「自分が考えた。自分の決めた事だ。」って思わせるシステムでできてるときがある。
タイミングよく鳴る、発生するなら、こっちは決めてない。
 
 
 
考えてみたら気づく。
タイマーの音とか時計音とか、「決まってる時報」だ。それに、こっちの思考があわせてるんだ。
隣りの家の仕事作業音が鳴るとか、こっちが決めてない。
向こうの音に、こっちの思考があわせてるんだ。
だから、「自分が決めてない」んだから、自分に責務は無いし、不安なら、その内容も、信憑性は無い。
 
 
 
これは、「依存を残したまま、巧妙に遠ざける」為に向こうがしている感じで、
 
 
幻聴が、
ほんとに「遠ざけたいだけ」なら、「ただ単に聞こえない」あるいは、確実なのは「死んだ感を出す」
ほんとに「離れたいだけ」なら、 「ただ単に聞こえなくなるようになる」
から。
 
この「上の二つをしない」という事は、
 
 
幻聴の目的は、「依存させる事、惹く事」
その為に手段を選んでないっぽく聞こえている。真意はわからない。
 
奪ったぞーって主張しながら、
奪ったものの傍におらず、
「患者から離れない」
おまけに、不規則に寝てるときに「私に衝撃が来てる」→奪ってない。
不規則なんだから、普通生活者じゃない。
って事は、
奪ったと主張するものの、他の傍に居るか、奪われてない可能性の方が高い。
そいつも奪われてるかも。
奪われてるか奪われてないかは、当事者に聞けばいいだけだ。
奪われてて、どれかでも聞こえてるって事は、そいつは奪ってないか、そいつは、傍に居ないって事だ。
奪ったと主張しながら、実際とは違うなら、「実際が実際」だろ。→ 幻覚、幻聴は、「幻」。
 
昔の同じ学校のOBの家に電話してみた。
平和な日常が広がってたよ。
心の中でいろいろなってる患者の精神状態とは、別の世界が、広がってるんだよ。現実には。
 
悲鳴や歓声などとあわせるのって難しいんだ。
何故なら、普段、「1音声しか出力できない」から。
 
おもな音声は1音声のみ。
かわいいのも、きれいなのも、おばさんくさいのも、陰湿なのも、大勢タイプも、1回に出力できるのは、1種類しか聞こえない。
そのため、芝居チックに聞こえるんだ。
バックグラウンドと2層ぐらい。
 
だいたいテレビとかは、叶えるつもりは無いけど、処理はしておきたいだけみたいに、
私が終わらせるんだ!私がトドメさすんだ!私が!私が!
 
 
そういう音楽もある。
「魂鎮めの音楽」でな。
あまりにその地域からの触媒からの幻聴ボリュームが多いと、
触媒が頻繁に行く地点に流して、「魂鎮め」する為の音楽を流しておく。
 
メロディーが、「節々で、いつでも終われる、いつでも終われる」、そういうメロディーがあるんだ。
小さい穏やかな山の下りを、フェードアウトを長くしておく。
その「下りの鎮めの秒数」を長くする事で、短気で、生意気で、青臭いエネルギーを、我慢できなくして捕らえ、一緒に緩やかに下げて行く。鎮めて行く。穏やかな鎮魂歌。子守唄。
 
見え見えだ。
魚釣るにしても、
「いと」が見えてるんだ。
そんなんで全員、終わるわけがない。「不本意」なら、「いつでもまた再発する」もんだ。
 
いつ不本意になる?
 
ね?
出られるか?
 
不本意な事」って
「無理矢理思わされてる」
でしょ。
 
たとえば、
食べ物屋とかの、CMとか、広告とか、看板とか、
見てお腹空くとするでしょ?
 
「見なかったら空いてないかも」
 
ね?
つまりね、大事だと無理矢理思わせておいて、奪って依存させて、惹く。
これが、
 
0+1-1=0
1+1-1=1
「なのに、依存している」事に、気がついてないんだみんな。
 
みんな最後の-1にしか気が行ってない。
現状は変わっていないハズなんだ。
 
これが、作品や商用や権力に使われているシステムだ。
 
ね?
時間は、労力は、okaねは、無駄にしたかもだけどね。
 
たとえば、
わざわざ、ホラーアトラクションやホラー映画に、全身緊張で挑んだりするひと居たりするでしょ?
ジェットコースターや絶叫マシーン、何故乗るの?理由は?
それ、時間や労力やokaねの無駄なのか?
 
別のたとえすると、
くそ長いシミュレーションゲームとかも、プレイしたりしてたけど、
TVゲームって、時間や労力やokaねの無駄と思ってするものか?