1月2日の「もうあかん状況について。」に、
私が2005年か2006年頃書いたエロ小説の内容設定のごく一部を載せました。
何故新月でないといけないのか、についてを。
男性幻聴「決まりませんでした」
書き足しました。
小説ではかあさんが4月産まれでとうさんとの結婚指輪か婚約指輪がダイヤモンドリングだったから
ダイヤモンドリング日食にこだわって書いてあるけど、
別に私が4月産まれ外の女性と結婚する事を考えるなら、
ダイヤモンドリング日食にこだわる必要はない。
文章続く
4月産まれの佐藤さんとはもう小学生のときに別れてるんだし。
なので私は小説に縛られなくてもいいハズなんだ。
小説は魅力的だけど、今生きてるひと達が現実に可能かって、難しいと思う。
それよりも、フィクションという枠組みであるなら、「誰」という事に悩まなくてもいいと思う。
幻聴達が主人公やヒロインの座をかすめ取ろうとしている精神界が醜くて、精神界を好きになれない。
私は、もっと私の現実を、もっと物質界の私を、大事にしたいし、充実させたいのだ。
そうすれば精神的に充実するでしょ?
奪い合いする様な天国があったとして、
どれだけ数億ウラノス(天)が居ようとも、
結局ひと組しかカップルは成立しない。
そんな希少な国である天国(物質界。地球)の方からやって来る約束が、
キリスト教の洗礼なのだ。
王国は地球なので、
しかも我々は地球(天国)に既に居るので、
「天国(地球。大地)は近づいた!」
なんか嬉しいですか?
なんかこわいですか?