今日23:00頃眠ってるとき見た夢
私が徳島の建て替える前の自分の部屋で、
部屋の片付けをしていた。
1階なのでありえない下の階の酒が入って下びた笑い声が聞こえる。
だいたいがとうさんが無理くり戸棚に入れた物で散らかっていた。
丸々ツヤツヤと太った馬の木彫りの像が戸棚に入っており、
そのときちょうど、(亡くなった)とうさんがやって来たので、
私「勝手に入れんとって(こういう像を勝手に私の部屋の戸棚に入れないでおいて)。」
とうさん「ああすまん。」
と木彫りの馬を持って行った。
(建て替える前は私の部屋の位置だが、建て替えたあとはとうさんの部屋の位置なので、時間軸が交差しておかしな現象になっていたのかもだけど)
私は建て替える前の私のその部屋で、出勤(通学)前に大きいお皿の大きさの、赤茶の漆の素塗りの木の裏の鏡が倒れているのを壁に立てかけた。
するとまわりみんなにあちこち亡くなったひと(幽霊)の様な像が見える様になったらしく、
通行のひとみんな戸惑っていたが、
私はやった本人なので気にせず出勤(通学)した。
しかしすぐ途中で大きい方のトイレに行きたくなり、
店に戻って店のトイレではなく、奥の、流すレバーの無いトイレに構えた。
すると現実では見た事ない老男性の店長がやって来て、帽子を脱いで、
老店長「そんな暇があるんだったら!」手伝ってくれと言わんばかりだけど、
用ぐらい足させてくれ。
私「(私に言いに来る)そんな暇があるんだったらその間に仕事すればいいじゃん。」
老店長「おかしーないか?慰問」
そこで目が覚めた。
私は慰問について辞典で調べた。
慰問
見舞って慰める事。
不幸な境遇のひとや、災害・病気で苦しんでいるひとなどを見舞う事。
慰めるために訪れる。見舞う。
病院や老人ホームなどへ。
私はまだこの言葉(「おかしーないか?慰問」)の意味がわからない。
ウクライナのひと達の事なら、私はウクライナを訪れていないのだから、慰問にはならないし、
とうさんは特に不幸な境遇という訳でもなさそうだ。
私が結婚出来てない不幸な境遇で、亡くなったとうさんが木彫りの馬に乗って慰問に来たというならわからなくもないかも。
私はウクライナに行く許可は出ないだろうし、
行っても何の役にも立たない。
ボランティアとしても役に立たない。
英語もウクライナ語もロシア語も喋る事が出来ないし、医師免許があるわけでも無いし、記者でもない。
何とかしたいと思っていても、
足でまといにならない様に自分の能力を考えて、
何も出来ないでいるのだ。
屁理屈ごねてる様に聞こえるかもだけど、
理屈じゃない。勘でも理性でも、自分が役に立たないと思っているのだ。
数十円、数百円、募金する程度が関の山だ。
腹は立つけどね。
聖母マリア様が結婚出来ていない不幸な境遇の私を慰問した(?)内容が おかしい
と言うなら、
何故答えを示すのではなく私に考えさせようとするのか。
聖母マリア像は御自分の右足を欠けさせて私を受け入れてくれたけど、
私は物質界において誰ともまだ結婚出来ていない。
私は精神病で、自分の精神を信用出来ず、
精神世界に身を委ねられない。
なので私は物質界にこだわっているのだ。
メッセンジャーとして店長らしき老男性が来たのなら、メッセンジャーとしての機能は果たさないだろう。
何故なら私は男性の言う事など結果的に聞く耳持たないからだ。
広告も同じ。
男性の広告は、よく見ないか、棄てるか、試してみてすぐ棄てるタイプのものだ。
「男性恐怖症の私に男性の広告を持って来た」という事の苛立ちのみが残っている状態。
その苛立ちによる世界への悪影響は避けられないだろう。