1995年の20歳で洗礼受けてから、26年。
私は3月27日までと一昨日の精神年齢は26歳だと思ってたけど、25歳だった。
昨日から26歳。
私が身体年齢が45歳で精神年齢は25歳だった様で、
45歳と26歳が重なるときは無かった様だ。
身体年齢46歳
精神年齢26歳
になった。
私はアダムの年齢は終わったが、
私は昨日からYHWHが始まっている。
私は足し算引き算も出来てないのに。
産まれ年
誕生月日
産まれ年度(学年関係)
の前後関係は、考えるのが面倒だ。
1年前後を間違えたりする。
みんなどうやって暗算してるの?
私は紙やコンピュータのテキストに書かないと計算出来ないよ。
二桁以上の数字とか頭の中のメモリに置いておけないよ。
私が頭の中で計算出来るのは
0〜10が限界だと思う。
11-1とか、
12-2とかならまだ暗算出来るけど、
12-3は?って聞かれると、
私「え…!?」ってなる。
私「10-3=7 7+2=9 だ。」って計算してしまい、20秒位かかる。
私の算数能力はその程度だ。
でも答えが頭の中に浮かんでるときもある。
特にひとの感情は頭の中に答えが浮かんでるときがある。
何故そんな表情をしたのか、すぐに気がつく事が多い。
なので意識的に無表情や負の感情の表情などは、見ているととてもしんどい(つらい)のだ。涙脆い=感情移入しやすい。
私は五行陰陽の動物占いでは
「感激屋のコアラ」だったと思う。
ちなみにアダムがアドニス(アドン。「ご主人」という意味)だったとして、
アレスの嫉妬の猪で殺されるのは、
美女妻(戦場)の若いご主人が戦争で亡くなる(戦死する)事を表している。
嫉妬の猪はガブリエル。
私は46(白)歳でYHWHなので、
太陽系の惑星の領域で考えると、
白い天側の海。
雲海は白が下にあるので異なる。
大地を家の中で説明すれば、
天井の白い壁紙側が天側の白い海。
雲海は床(ゆか)付近の気化中のドライアイスみたいに考えたら。
大地側の海は普通に海なのでたとえないとして。
もしくは、
太白(金星。阿修羅)かリネン(月)の白。
など。
PC98アダルトソフト「アンビバレンツ」の白髪のキャラがシュラで、
ガブリエルの室宿(ペガサス座の片方)が修羅だったと思う。
なので室宿に月のある日の産まれの松原隆仁は、アンビバレンツのセーブデータを細かく整理してはまっていた様だ。
私はそれを見て「力の入れ方が異常だ」と当時感じた。
松原隆仁は射手座ではなく蛇使い座に太陽のある日の産まれなので、
純粋なペガサス星矢とは関係がない。
射手座に太陽があり、ペガサス座に月がある日の産まれとかになって来ると、
本来は1月の産まれとかになるはず。
とうさんとか1月産まれなので射手座に太陽がある日の産まれ(純木星)だ。
とうさんとかあさんの星宿は両方確かペガサス座の壁宿だったと思う。
とうさんの方が松原隆仁よりずっと聖闘士星矢としての星に近い。
しかし、
車田正美さんの聖闘士の公式誕生日は、
歳差運動を考慮に入れない誕生日の設定に思う。
つまり衝撃の事実は、
星矢は誕生日からすると、
射手座ではなく蛇使い座に太陽のある日の産まれなので、
星矢は、
射手座ではなく蛇使い座の星の下に産まれている。
という事。
劇場版や本編とかで散々射手座の弓で矢を放って来た星矢だが、
射手座ではなく蛇使い座なのだ。
射手座はアンタレスを狙っていない。
アンタレスは帝で、
横の2星は太子と庶子。
射手座は蠍の尻尾の付け根辺り(后妃)を狙っている。
矢は箕宿(皇太后)だ。
つまり皇帝のお家の嫁姑女問題なのだ。
ちなみに私は
ペガサス座の壁宿の方向に太陽がある日
の産まれ。
修羅はサンスクリット語で天とか神とかいう意味で、
複数形が天部(神々)の事だ。
阿はサンスクリット語で否定形(非ず)。
阿修羅は非天、非神の意味になる。
修羅道は、
「阿修羅の略が修羅で、修羅の道」
ではなく、
「天部(修羅)である帝釈天が必ず勝つ道」
なので
なのだ。
今日は洗礼受けた次の日に精神分裂病(統合失調症)を発病してから、
26年になるメルクリウス(水星。仏陀)の日。
私の病気の症状は専門学校生の26年前(1995年)の1月頃(阪神淡路大震災の頃)や
高校生のときに出ていたが、
はっきりと症状(ディアボロスによる猛攻撃)が出たのは洗礼を受けた次の日の1995年5月15日なのだ。
なので私は自分で5月15日を発病記念日とか決めているけど、
もっと以前からの発病記念日としては高校生のとき捨てられるはずのギデオン協会の新約聖書を私が拾った日なのだ。
新約聖書を拾ったとき、いい感じだったはずの少しだけ高齢の女性教諭が少しだけ無意識に嘲笑ったのを覚えている。
その日が何月何日なのかは覚えていない。
メルクリウスである水星(仏陀)は、
ヴィシュヌ神として
マツヤ(山羊座。タロットNo.15「悪魔(ザ・デビル)」)なので、
ディアボロスが最大の能力を発揮した日だったのだろう。
中傷の猛攻撃が起こり、私は何が起こっているのかわからないので、
ロザリオの祈りをずっと唱えたり、
ヨハネの黙示録を声に出して読んだりしていた。
私はキリストが男性であるなら、
もしくはキリスト(教会)が女性であっても、あらゆる男性がキリストの「妻達」で、
キリストがあらゆる男性の夫(結局男性)であるなら、
結局私はキリストを独り占め出来ないし、男性に興味が無いので、
私は女神の方が好きだし、
私「私はキリスト教徒(クリスチャン)ですよ。」
と言う必要は無いのだけど、
改宗や脱宗してないのだから、
まだキリスト教徒(クリスチャン)。
という意味で、
私「私はキリスト教徒(クリスチャン)ですよ。」
という事実だけをまわりに言っている。
もしかするとまわりは誤解しているかもだ。
洗礼を受けたひとは、
罪を犯した、あるいは汚れた(穢れた)から、
洗礼を受けたけど悪魔側になってる
と勘違いしてるひとがいるかもだ。
洗礼を受けて、罪を犯したり汚れたり穢れたりしても、
キリスト教の他に改宗するまでは、
キリスト教徒(クリスチャン)なのだ。
聖女モニカの子の聖アウグスティヌスは、洗礼を受けてから妊娠させたりマニ教に影響受けたりした後で、キリスト教会の重要な役職に就いている。
この聖女モニカと聖アウグスティヌスの親子は、
処女や童貞じゃないのに聖人や聖女なの?
っていう問題になる。
知らないひとも多いかもだけど、
そういう事は重要ではない最大の理由は、
初代教皇ペテロが、キリストと出会う頃には妻帯者で、娘が既にいたという事。
初代の教皇は童貞ではなかったのだ。
キリスト教聖職者のトップとも言えるシモン・ペテロが童貞ではないのに、
キリストに「(全身を洗ったので既に)あなた方は清い。」
と言っている。
ペテロが既に妻帯者であった為に、
マグダラのマリアへの恋愛の心配も無かった点が、
キリストに大事にされたうちのひとりである理由にもなっている。
イスカリオテのユダがキリストの十二使徒の中で1番最初に死んだのは、
キリストの器にキリストと共にパンを浸していた為で、
その師弟に無神経な言動も関係するが、
キリストの杯は聖杯(殉教。殺される事)であるからなのだ。
聖杯がマグダラのマリアだと考えるのは乱暴な見方だ。
キリストはご自分で、
十二使徒達が「あなたの行くところには何処にでもついて行きます!」と熱心に言うので、
キリスト「あなた方は私の杯を受け継ぐ事になろう。」
とあっさり言っている。
この事はキリストが十二使徒達の気持ちを裏切っている事には十二使徒達は気付いていない。
読者よ 気付け! と悲鳴の様に新約聖書に書かれているのは、
統合失調症や幻聴への特効薬が当時も今も無いのに、
キリストが「天国」と称して「賢くタフで若くないと気力的に生き残れない危険で不安定でワイルドな幻聴の世界」を説明している事実は、
みんなの心には隠されていて、
みんなは気付いていないからなのだ。