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何度も言う様に、
私は専門学校生の頃までは、
歳差運動(さいさうんどう)の事を知らず、
3月28日は、3月21日の春分の日を越えているので、
自分は、白羊宮、牡羊座の産まれで、
自分の守護星は軍神の火星(朱雀)だと思い込んでいた。(下記に続く)
でも歳差運動があるので、今の時代、
守護星は、海王星と木星だという事を、20歳過ぎて発病したあと星の本にのめり込んでいる頃(ころ)に気がついた。
しかし、
私には家族で私だけ臍の緒が見つからない事、
「母子手帳を棄てた」とかあさんが言い訳していた事、
兄貴を妊娠していた事は気付かれたのに、
「双角子宮だからお前を妊娠している事は誰も気付かなかった。」と言い訳していた事、
「昔は産まれた日にちの届け出の日付はいい加減だったんや。」と何度も言って、
何度も、私の誕生日が必ず合ってるかどうかをはぐらかしていた事、
届け出の誕生日を年度末ではなく年度始めにしておけばよかったとか何度も言っていた事、
私の事を「ソプラノボイスで可愛かったん!や…。」とまるで私を拾った子供の様に説明した事(ただし出生届出日は昭和50年4月9日(4/9は鈴乃木凛の誕生日)なので、私はそれまでには産まれている)、
などから考えて、
1975年3月28日が、私の実際の誕生日であるとは限らないので、
私の誕生日の守護星が海王星と木星とは限らない事が考えられる。
必然的にセレス(デーメーテール)が
子供を産んだ関係も、
私とは関連が無くなる可能性がある。
かあさんはセレス祭の産まれで、デーメーテール自身と考えられても、
私が海王星や木星でないなら、かあさんとの関係もそんなに密接な関係ではなく、
普通に健全な
「育ての親と育てられの子」というだけの関係になる。
なので地震津波を引き起こすポセイドンである海王星と私を結びつけるのは間違っている。
粗暴で荒々しいポセイドンの性格と私の性格は全く異なるし、
ポセイドンと同じく粗暴で荒々しいアレスの性格と私の性格は全く異なる。
私は発病がきっかけであがり症は無くなり、お金や人間関係に関してなどは ある程度無遠慮に図々しくはなったけど、
基本的に、内気で繊細で、自分にも他にんにも当たりはゆるいけど犯罪は結果的にいつまでも許せない感じなので、
火星も海王星も私には合っていない。
機関などに
確認の為に産まれた生年月日をお願いします。
と言われた場合、
産まれた生年月日(として登録されている日)
を言う という、
「として登録されている日」
は省略されている。
という事は前提になる。
誰もまだ目の開いてない自分の産まれた生年月日から今迄をタイムマシンで同じ時間かけて確認してから生年月日を言って下さいとは言わない。
登録されている生年月日を聞いているのだ。
登録された日が実際に産まれた日かどうかなんて誰が確認出来ようか。
問題は新しい誕生日の洗礼日なのだけど、
教会の洗礼水(海蛇座ヨルダン川。ステュクス。ファフニール(海蛇座)の血)から産まれたキリスト教徒達のうち、
私は、
新しい誕生日が
1995年5月14日(May月の母の日)の、
20:30位?(真っ暗で明かりが点いていた)で、
水星の母のマイア、メイ、マヤに惹かれたのはそのせいだろうけど、
誕生日が母の日というのは、
「私が母」という事になる。
私の洗礼日の星宿(二十八宿)は
氐宿(モトぼし、ともぼし)で、
天秤座を水牛の角(三日月クレッセント)とした星座。
セーラーヴィーナスのクレッセントビームは、
この氐宿のクレッセントと天秤棒(ビーム)から名付けられている。
また、
「冬の寒さと乾燥と冬枯れの神モト」の星とも意味の後付けが出来る。
モトが乙女(アナト。アテナ)に惨殺(磔刑)される事によって春が訪れる。
キリストの場合、
マグダラの乙女マリアが、高価なナルドの香油を、容器を割ってキリストの頭に注ぐ事によってイエスはキリスト(メシア。「油を注がれた者」という意味)とされるが、
この「乙女が香油の容器を割って」という表現が、イエスによって破瓜という意味になっている。
キリストはこの出来事を自分が殺されて贖いとなる日の為の(塗油の)儀式だと表現している。
キリストが乙女に殺される事によって春が訪れる。
マグダラのマリアはキリストが死ぬ事までは知らなかっただろうけど。
私の洗礼日のティティ(月齢)は十五夜で、
これはシッダールタ(成就した、吉祥な)という意味で、
釈迦の本名「ゴータマ・シッダールター」の、
この「成就(シッダールタ。吉祥な)」に基づく。
当然意味として毎月十五夜と陰暦三十日は吉祥天(ラクシュミ)の日となる。
私の洗礼日は吉祥天(ラクシュミ)でもある。
男性の場合、月が妻を表すので、
満月の日が
ラクシュミを妻とする産まれ日になる。
女性ならラクシュミを母とする日になる。
その為、仏陀(水星)のしるしとしての誕生日が天秤座に満月のある日の産まれとされているのだ。
幸運の女神ラクシュミは
不幸女神アラクシュミー(毘沙門天。子(ねずみ)の宮毘羅(くびれ)大将。黒闇天。)と
ジェミニの聖衣の様に表裏一体とされている。
もとぼし、ともぼしは、元々、
本、根、根元、という意味で名付けられているそうで、
友星(ともぼし)という意味は無かった可能性がある。
しかし「日本國(ひのもとのくに)」からすると、
弥勒菩薩(太陽神ミトラス)が「友(とも)=契約」という意味も含める為に、
もとぼしとも、ともぼしとも言う様になったのかも。
友は太陽神ミトラス(陰暦の二月七日が誕生日。陽暦12月25日が記念日)なのだ。
ちなみに私は契約社員だ。
ミトラスの意味「契約(テスタメント)」は、
旧約聖書は「いにしえの契約の聖なる書」
新約聖書は「新しい契約の聖なる書」
でも私は洗礼は受けたけど、
聖書にサインしていない。印も押していない。
最初に拾ったギデオン協会の新約聖書には
名前と日付を書く欄があるんだけどね。
書いてない。
ステュクス(洗礼水)のゲーシュ(誓言)に違反した者は、1年間の仮死状態におちいるという。
私は引きこもりを何回した事か。
私は何回自殺しようとして酷い目にあって来ただろう?
私は自殺してはいけないらしい。自殺しようとすると酷い目にあう。最近気付いた。
守護星なのだけど、
星占いでは、
私の洗礼日は、金牛宮、牡牛座になるけど、
実際の星の位置を見てみると、
金牛宮、牡牛座と、
白羊宮、牡羊座の、
ちょうど境目に太陽がある日で、
守護星は、
火星(♂朱雀)と金星(♀白虎)の両方(両性)と、その間(中性、土用)
という事になる。
洗礼日がポンティウス(ポンタ君)の記念日で、
守護対象がフランスのニース(Nice。勝利の女神ニケNikeから名付けられている)。
でもこの5月14日はカソリック側が十二使徒中の魚座の聖マッテヤの記念日に変更している(私のせいかもだけど。この日をヴィーナスとエロスの魚座にするしか無かったのかも。)。
しかし私はこの勝利の女神関連の日であった事に運命を感じている。
聖闘士星矢が流行った頃、
私は男性達みんながアテナに惹かれてアテナで吐精する中、
鳩座の聖闘士として
誰も注目しなかった女神ニケに惹かれて女神ニケを妊娠させている。
鳩座はギリシア神話ではなく、キリスト教社会で旧約聖書から設定された星座。
女神ニケは、
キリスト教の信仰(ピスティス。1の女性形ミア)であり、
鳩は、
洗礼者ヨハネの母エリザベトと聖母マリアの両方を妊娠させた多情の淫らな聖霊で、イエス・キリストの父親であり、キリスト教を発生させた発頭。
つまり、父なる神であるエン(1の中性形。洗礼)の事なのだ。
イエスが洗礼を受けたとき、聖霊が天から鳩(ペリオテラ。女性形単数)の様に降りて来てイエスにとまり、この子は心に適う子である事を宣言した。
鳩は女性形単数で表されているので、
多情で淫らな聖霊というのはある意味異なっているのかも。
霊は中性形単数で表されている。
鳩が女性なら、私の鳩(ヨナ。47歳)としての役目がもうすぐ終わるのは、納得だ。
私は男性なのだから。
精神病発病してボロボロになって悲鳴をうったえる事で、
兄貴にけなされて育った私が
あわれみや愛情で褒められて回復し、
今は勤務して生きて行ける位になった。
数え切れない多くの方々に感謝しています。有難う御座いました。有難う御座います。
そのあわれみや愛情はきっと、何処かで無駄にならず報われると思います。