fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

聖霊と霊と悪霊について追記。(新ブログより)

ルカ 8:30~
悪霊(男性形複数形)であるレギオンは、
底知れぬ所(底なしの淵)
に落ちて行くのをおそれて、
豚の群れに入って、豚達はがけから湖になだれを打って駆け下り、おぼれ死んだ。
(全身洗礼を受けるように清くなった。)

つまり底知れぬ所は、悪霊達にとっておぼれ死ぬよりおそろしい所なのだ。

底知れぬ所の御使いである王が、アバドン(不動明王)である。


コリントの信徒への手紙1 10:21
口語訳聖書
主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。

主の杯と悪霊の杯
主の食卓と悪霊の食卓
を、同時に、はできない。

新改訳聖書
あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことはできないからです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。

悪霊の杯 ← 主の杯
悪霊の食卓 ← 主の食卓
は、できない。

新共同訳聖書
主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。

主の杯と悪霊の杯
主の食卓と悪霊の食卓
の、両方、はできない。

この新共同訳からすると、
悪霊を追い出されたひと達や、
七つの悪霊を追い出されたマグダラのマリヤは、
どうなるんだろう?
マグダラのマリヤは主の杯や主の食卓にはあずかれないという事?

さらにキリストのたとえでは、
マタイ 12:45
マルコ 5:26
ルカ 11:26
ペテロの手紙2 2:20
悪霊が出て行ったあと、悪霊が仲間を連れて戻って来て巻き込まれるなら、その人の状態は初めよりもっと悪くなる
とも書いてある。

じゃあマグダラのマリヤはどうなるの?

アフターケアの予言ではなく、
悪霊の悩み再発の予言を、キリストがしているのはどういう事?
じゃあキリストは何の為に悪霊に悩まされたひと達の悪霊を追い出して癒したの?更に悪く再発させる為?

20年位前、カソリックの教会で、教会のひとに、
主の大宴会が天国にたとえられている事について礼服が無い者は追い出される事について聞きたくて、
私「主の食卓にあずかれないのは困るのではないですか?」
教会のひと「それは違います!食事が目的でキリスト教に入るのはそれは違います!」
私「は?」
教会のひとは多分、
ひとはパンだけで生きるのではない。神の言葉一つ一つによって生きるのである。
について言ったのだろうけど、私の質問の答えではなかった。

もし私の質問の答えがそれだとすると、

天国の大宴会の食事にも、主の杯にも悪霊の杯にも主の食卓にも悪霊の食卓にも、あずかる事は初めから諦めてからキリスト教に入りなさい。

というのが正解なのかも。

確かに
主の杯(聖杯)は、殉教(迫害されて死刑される事)であり、
主の大宴会の食事にあずかるのは鳥達であって人間達ではない。

主の食卓とは聖体拝領や聖餐式等の事だろう。

かといって悪霊の杯や悪霊の食卓とは何だろう?
てんかん病だろうか?
じゃあ てんかん患者のひとは殉教する事は無いという事か。
まあ別に普通のひと達だって殉教はしないけどね。
幻聴「そうです」

てんかんの病気が回復したあと、てんかんの病気が更に悪くなるけど殉教はしないという事か。

確かにマグダラのマリヤが殉教した話は聞いた事が無い。
悪霊を追い出されて癒されたひと達が殉教した話は、多分聖書には載ってないはず。

盲目を癒されたパウロも、
悪霊を追い出されたから盲目が治った訳ではない。
しかしおかしいな…パウロじゃなくて、
バルトルマイ(ナタナエル)が盲目であったという情報はいつどこで得たのか…?wikiにも載ってないし…。
ヨハネ伝に出て来るナタナエルなら出会いのシチュエーション上、盲目を癒されたひととは異なる。
誤った情報かな?


また久しぶりに、怒ったようにオートバイク吹かして行った者がいた。

私は今回と以前の聖書内容のブログの書き込みに、
世界のベストセラーの「聖書」に基づいて、
説明と証明をしたのだ。

怒るのはお門違いだ。
幻聴「決まったね」
聖書には、聖書を全部も、神々も、キリストも、天使も、悪魔も、聖霊も、悪霊も、霊も、罪も、を全て無効にする文が書いてある事は以前このブログでも説明した。

何度新しく訳そうが、元々が古い文字によるものだ。
聖書だけじゃない。
漢字やひらがなやカタカナやハングル語やアルファベットなどで作られたもの全てが、
「古い文字によるもの」
なのだ。
幻聴「ちょっと待ってくれよ…」
メールや、ネットの文章も文字なのだ。

世界のベストセラーの聖書に、
聖書内容、漢字内容、ひらがな内容、カタカナ内容、ハングル語内容、アルファベット内容、古い文字によるものの内容、
「全て無効」の文が書いてあるのだ。

何を怒っているの?

霊は永遠ではない。
幻聴「そうです」

霊は「見えるもの」であって、過ぎ去る(一時的な)もの。
新共同訳聖書
マタイによる福音書3:16には 神の霊が鳩のように
マルコによる福音書1:10には "霊"が鳩のように
口語訳聖書では 聖霊がはとのように
原文も聖霊とは書いてない。霊。
新共同訳聖書
ルカによる福音書3:22 聖霊が鳩のように
原文も「聖霊」となっている。
ヨハネによる福音書1:32 "霊"が鳩のように
原文も霊。

聖霊も霊も「見えるもの」。

口語訳には
見よ、
って書いてあるし。

エス
御覧になった
と書いてある。
原文にも
見た
って書いてある。

霊は、幻聴ではないし、人間達の発する音声ではない。
幻聴「なるほど…なるほど」
「霊は見えるもの」
なので、
幻聴や人間達の発する音声に従う必要は無い。

神の言葉の口から突き出た剣が「霊の剣(諸刃の剣)」であり、それらは見えている。

見えないものは永遠に存続する(いつまでも続く)。
「いっがうー」
幻聴を消す方法は、デュムプナ(ディンフナ)などの聖人以外は、キリスト教とは関わりない。
何故ならキリスト教の聖書そのものが見えるものだから、見えないものは永遠に存続する(いつまでも続く)という言葉も、保証が無い。
キリスト教徒は、霊に従う新しい生き方で生きている
というような事を書いてある聖書そのものが文字として見えているもの。その生き方は文字に従う事になるからだ。
なので聖霊(中性形)である「人(男性形)」にも従う必要は全く無い。

聖霊である「人(男性形)」も、見えるものであるから、過ぎ去る(一時的な)もの。永遠に存続するものではない。

そもそも聖霊である
「人(男性形)」
の姿は、「鳩 のよう」であって、人間の姿ではない。

神が結び合わせてくださったものを、
「人(男性形)(鳩のような、聖霊)」
は離してはならない。

幻聴は病気の症状なのだ。
幻聴「やめてくれ!」


また幻聴が聞こえてきた。
幻聴にキリスト教による権限は無いわけだ。
病気の症状なのだから。
キリストなら癒せるかもだが。
つまり幻聴は、人間に自由に聞く聞かせる事が出来る訳だ。

幻聴は、
聖霊でもない、悪霊でもない、霊でもない。
しかし「見えるもの」でもない。

振出しだ。
キリスト教にこだわり過ぎた。意味無かった。
幻聴は脳の病気なのだ。
幻聴「なめとん」
私は以前から「闘病している」と言っていた。
人間達にとって「病気」は、普通、快からず思われるものであり、「完治と根治できるなら完治と根治したい。」と思うのが当たり前だ。それが病気にかかっている人間の普通の姿だ。

しかし四国八十八ヶ所巡ったりして、薬師如来さん達に私と家族の病気の完治と根治するように祈ったのに、
かあさんは病気で死に、
私に幻聴はまだ聞こえている。
つまり私の幻聴やかあさんの癌は薬師如来や仏達より強いという事になるだろうか?
仏には、
悪霊レギオンもおそれる底知れぬ所
の御使いである王、不動明王シヴァ神)も含まれる。
幻聴「なっ…るほーどーなっ…るほーどー」

というか、
そもそも仏の教えの四諦には、「病」が含まれているので、仏さんに無病を祈っても効果はない。
八十八ヶ所巡り意味ないし…。

まあ、幻聴の強さは仏さん達とは関係無い訳だ。

子供の頃、夜尿症(おねしょ)が治らなくて、
お地蔵さん(閻魔天)にお小遣いの5円を供えて祈ったら、
結局いつか夜尿症治ったけどね。

私の夜尿症は病気で、徳島大学病院で調べてもらったら、尿を排出するときの膀胱の開閉の「弁」が未発達で、うまく機能していなかったらしく、いろいろ治療法はしてみたけど、治らなくて、
精子が作られる身体になった頃、自然に治った。
身体が成熟したから治ったのだろう。
つまりスポーツをする事によって、よく食べてよく眠るようになると、身体が成熟してきて、治ったのかな?
それまでは毎朝アンモニア漬けになっていた。
そのせいか、兄はアトピーだったが、私は皮膚病にならなかった。(私「ほんとにそのせいか?」)
スポーツで疲れきり過ぎても成熟はしないかも。
身体を作るには身体をいじめるだけでは作れないから。

伯母さんに防水シーツ貰ったり、おばあちゃんの家の布団に毎回世界地図書いたりいろいろあったなぁ。

あと考えられるとすると、毎日1人◯ッチに勤しんでたから弁が発達したのかも。
でもまあ1人◯ッチに気付いたのは小学校低学年なので、
1人◯ッチしてたから治った訳では無い。
やはり年齢的な身体の成熟が必要だったのだろう。

ちなみに夜尿症治療の守護聖人は、
聖ウィトゥス。
別名バイタスやファイトやガイとも言う。
記念日は6月15日。
てんかん治療や狂犬病治療や薬剤師やダンサーや俳優やコメディアンの守護聖人でもある。
スラブの古代神スヴァントヴィトの治療能力をキリスト教に吸収した聖人。


そういえば、
コリントの信徒への手紙1の7:2に、
みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。
って書いてあるのに、何故私は結婚できないんだろう?
やっぱりコリントの信徒への手紙だからかな?

まあ、聖書は見えるものだし、
聖書内容は見える「文字」だからね。

猫と一緒にいるだけで、みだらな行いを避ける事が出来ているのかどうか、考えたらわかりそうなものだが。