NHKの番組を見た。最近のエジプトについてだ。
イスラム教のエジプト、イランと、
民主主義のアメリカと、
それぞれの立場と思惑がある。
エジプトがイスラム教の手に落ちたか。
他の宗教に対して好戦的なジハード思想は、すぐに戦争の原因になりかねない。
ありえないだろうが、もしひとつの宗教が世界を統一したとしても、それは一時的な事で、やがて思想の異なる者達が分派し、結局宗教はひとつとはならなくなる。
人間はそういう生き物なのだ。
それぐらい目に見えている。
私にファティマの手の手相がある間は、私はイスラム教の勢力が大きくなるのは困らないけどね。
あるいは私のファティマの手の手相が無くなったときに、私はアズハルでは無くなり、イスラム教の勢いが急激に低下するのかも。でも私以外にもファティマの手の手相があるというひとはネットで見つけたけどね。
それが本当なら、「ファティマは私ではいけない」という判断かもしれない。
私はクルアーンに書いてある、「異教徒が従わないなら ところかまわず殺してしまえ。」という文に注目してるからね。
他のひとか私がファティマの手の手相を持っている間、イスラム教の勢力は無くならないという事だろう。
私はクルアーンの、貧しいひとに施しを与える「喜捨」とか、いろんないい点には着目していない。そういうのは他の宗教によくあるからだ。他の宗教もやっている。ユダヤ教にそういうのがあるかどうかは聞いた事無いけど。
すでに約束の地は、ノアによって呪われた、血で染められた地なのだ。そんな夢みたいな理想郷とはかけ離れている。
民主主義国は、宗教は自由とし、西暦太陽暦を使うが、
原始キリスト教は共産。みんなが全財産を出し合って、働けるひとが働いて、ひとつの家族のような形だ。大きな国になったらそういうわけにもいかなくなる。
民主主義は、盛隆時だけを使い捨てである競争を活発化するけど、熟したあと腐れ落ちるまでの道を早くしているだけなのかもしれない。
女性も自由に働けるのはいい事なのだが、その頃になってくると宗教は腐敗してくる。少子高齢化も進む。
アラブの春で若者達が目指していたのは、自由と、働ける豊かな生活だったのだろう。
先進民主主義国のどこを見ているのだろうね? 同じように就職難だよ。物価、税金。
何か…不快な予感が消えない…。
私が訓練所のひと達にきらわれて居場所が無くなる程度の事なのか、
私が木の芽時で不安定になっている程度の事なのか、
もっと他の事なのか、
私にはわからない。
何か、来る! と思っても、「車が横を通る」くらいの事だったりするからね。
気圧に弱くなってると、気の流れに敏感になっていると、その程度で心が拘束される。