fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

イスラム教国と他の宗教国考察。

NHKの番組を見た。最近のエジプトについてだ。
 
イスラム教のエジプト、イランと、
民主主義のアメリカと、
パレスチナ人のガザ地区(今のパレスチナ人は、昔の旧約聖書に出てくるペリシテ人とは関係ないらしい)と、
 
それぞれの立場と思惑がある。
 
今度のエジプトの憲法は今後イスラム教独裁者を作る可能性があるという。
エジプトがイスラム教の手に落ちたか。
他の宗教に対して好戦的なジハード思想は、すぐに戦争の原因になりかねない。
 
ありえないだろうが、もしひとつの宗教が世界を統一したとしても、それは一時的な事で、やがて思想の異なる者達が分派し、結局宗教はひとつとはならなくなる。
人間はそういう生き物なのだ。
それぐらい目に見えている。
 
私にファティマの手の手相がある間は、私はイスラム教の勢力が大きくなるのは困らないけどね。
あるいは私のファティマの手の手相が無くなったときに、私はアズハルでは無くなり、イスラム教の勢いが急激に低下するのかも。でも私以外にもファティマの手の手相があるというひとはネットで見つけたけどね。
それが本当なら、「ファティマは私ではいけない」という判断かもしれない。
私はクルアーンに書いてある、「異教徒が従わないなら ところかまわず殺してしまえ。」という文に注目してるからね。
他のひとか私がファティマの手の手相を持っている間、イスラム教の勢力は無くならないという事だろう。
 
私はクルアーンの、貧しいひとに施しを与える「喜捨」とか、いろんないい点には着目していない。そういうのは他の宗教によくあるからだ。他の宗教もやっている。ユダヤ教にそういうのがあるかどうかは聞いた事無いけど。
 
イスラム教の聖典にある、他の宗教と異なる特色を考えると、やはりジハード(聖戦)の思想だろう。
ユダヤ教選民思想は今ではユダヤ人だけ(イスラエル十二支族中ユダ族だけ民族名として残っている)のもので、ユダヤ人でないとあまり関係ない。
イスラム教はイスラム教徒ならオッケーなのだ。
解釈の仕方では、聖戦と称してイスラム教が積極的に他の宗教国家に侵略戦争やテロができる。
でもイスラム教国が目を向けるのは東南アジアなどの仏教国、ヒンドゥー教の国への侵攻ではなく、
やはりイスラム教にとっても聖地であるエルサレムのあるイスラエルと、イスラム教テロ集団が目の敵にする民主主義国だ。
打倒ユダヤ教国、エルサレム奪回、民主主義への報復を目指している。
 
もしイスラム教各国がイスラエルを軍事的に倒してイスラム教の国にしたとしても、ユダヤ人は世界中にいるのだから、ユダヤ人テロによる軍事的衝突はまた起こるよ。
逆にユダヤ人がイスラエルで頑張っていたって、イスラム教国はまた目の敵にするだろう。
すでに約束の地は、ノアによって呪われた、血で染められた地なのだ。そんな夢みたいな理想郷とはかけ離れている。
 
キリスト教国が鞍替えした民主主義の各国は、キリスト教色を政治に全面的には出さないようにしている。
そこがキリスト教イスラム教より積極面が弱いところなのだ。
民主主義国は、宗教は自由とし、西暦太陽暦を使うが、
イスラム教国は、国教をイスラム教とし、陰暦を使う。
 
原始キリスト教は共産。みんなが全財産を出し合って、働けるひとが働いて、ひとつの家族のような形だ。大きな国になったらそういうわけにもいかなくなる。
 
 
アラブの春」は民主主義化ではなく、イスラム教化していく原動力となってしまった。
民主主義は、盛隆時だけを使い捨てである競争を活発化するけど、熟したあと腐れ落ちるまでの道を早くしているだけなのかもしれない。
女性も自由に働けるのはいい事なのだが、その頃になってくると宗教は腐敗してくる。少子高齢化も進む。
アラブの春で若者達が目指していたのは、自由と、働ける豊かな生活だったのだろう。
先進民主主義国のどこを見ているのだろうね? 同じように就職難だよ。物価、税金。
 
 
何か…不快な予感が消えない…。
私が訓練所のひと達にきらわれて居場所が無くなる程度の事なのか、
私が木の芽時で不安定になっている程度の事なのか、
もっと他の事なのか、
私にはわからない。
何か、来る! と思っても、「車が横を通る」くらいの事だったりするからね。
気圧に弱くなってると、気の流れに敏感になっていると、その程度で心が拘束される。
だいたい私がすごく調子悪くなるのは大地震の起こったあととかで、大地震の予兆とかはわからないのだ。