眠っているときの夢の中での誰かのナレーション
「物質界で何が起ころうと、精神界では。」
眠っている夢の中で誰か「精神的に強張ったときには、両手を前に出して、両手を上下にブラブラさせましょう。」
起きてやってみた。
鬱屈したストレスが散って行くのに気付ける。
テレビで見たやつだ。
アレグラみたいなのでひと前では出来ないよね。
吸血鬼の城の執事みたいな老齢男性(ヴァンパイア?でも老齢。血を吸ってない。)が親切に説明してくれた
執事老齢男性「(死んでる私が)毎日毎日(毎朝毎朝吸血鬼の城から現実世界へ)通る道の、崖が見えないんですよね?」
私には、切り裂かれた様な(化繊が溶けた様な)バグった風景の、切り裂かれた(溶けた)部分だけ、崖の谷底が見えていた。
乗り物を待って、乗り物に乗るから谷底に落ちない。
マッパの大将がマッパである事を知っているとすれば、知っているから知っているのであって、知らなければ自分がマッパである事など知らない。
私は私の裸を見られると
「法的にマズいかも」
とか
「見た相手は迷惑かも(私を見て不快に思われるかも)」
とは思うけど、
「恥ずかしい」
とかもう思わない。
「恥ずかしいと思う気持ち(恥じらい。恥の心、恥の文化)」を失ってしまっているからだ。
自分の失った「恥じらい(ヘセド)」を持つ女性を見ると、
興奮するのだ。
吸恥じらい状態?
多分、漫画「かりん」の吸血鬼の血の嗜好について言及があった様に、
私の性癖の嗜好も、
恥じらいだけに限らず、
(邪無く)喜んでいる女性が好きとかいうのは、
持って生まれた嗜好なので変えられないんだろうね。
そして、男性の吸血鬼が「嗜好の血の女性に限らず、嗜好の血の男性にも反応しているから苛々する」という点も、
なる程と思った。
私は男性女性に限らず、
恥じらってる(初々しい)
私のした行動で(邪無く)喜んでいる
という表情を見ると満たされる。
これは健全で普通の事だと思う。
それが嗜好になっているから、
普通に競争率が高くなり、
現実の女性の事では食いっはぐれているのだろう。
(はぐれメタル)
現実の女性に物理的に本命チョコ貰った事が無いのは、
「何故か競争率が高かった」という事もあるのかも。
「東君が欲しがる女性って流行る」
とすれば、
流行ってるのに希少だったら、
末端の私まで到達しなかったりはした。
まあ流行ってるのは
みんなが名前を幻聴で聞いているだけ
なので、
私の好み関係なく、私が呟いた(言った)名前だけが流行ってるのであって。
流行らせている理由はわからないけど、
私からすれば役には立たない現象だよね。
私はCMなんかでも、
聴いたらそのまま口に出している、心に流れている、だけ
なので、
私に試聴させるだけで流行る訳だ。
勤務先の男性がいつも見ているテレビ番組を私もそのまま見ているだけであって、
私の嗜好とは関係ないからねぇ。
見たいテレビ番組ではないので流行らせてあげようとして流行るのはおかしいよね。
毎日毎日勤務日は見たくないテレビ番組を見ている。
私は後輩なので文句は言ってない。
その先輩男性が辞めたら、その先輩男性が見ている8ch見るのはやめると思う。
でももっと先輩の年配女性はNHKの朝ドラ見るので、
見たくないけど私は見ている。
私はCMの無いニュースを見ようと思ってるだけ。
私ではなく、先輩年配女性「バイキングとかはタレントやが適当に言うだけでぇなぁ。私はミヤネ屋の方が好きじゃあ。専門家がきちんと(真面目に)解説してくれるでぇなぁ。」
とか職場で聞いている。
統合失調症患者は、いきなり
「ドラマ」を見る
とかはキツく思うらしく、
「ニュース」を見る
とか何かで読んだ事がある。
私はドラマとか見ると人間の見憎い部分ばっかり見えてしまっていて、
楽しめない。
人間を好きでいたいのに、
人間が見憎く見えてしまうからだ。
美しいものが好きなので、
見憎いのは見たくない。
ニュースは事実しか言わない(という事になっている)。
私は事実が好きなので、ニュースが見たいと思う。
この世界の事象を曲げて伝えるのは殺したい程憎い。
脚本とか脚色とか編集とか、
そんなのは
脚本書いたひと、脚色したひと、編集したひと、
などの都合だ。
そんなのは見たくない。
私は、混じり気の無い、純粋な、
「この世界そのまま」が好きなのだ。
私の都合で書いた私の世界は、
私に合わせて編集した世界なのだから、
この世界とは異なっていて当然だ。
私が好きなこの世界は、「私に合っていない」。
なのでこの世界の住にんは、私が困るのだ。
「私がこの世界に居なくてもいい」と私は思っている。
不適合なこの世界から居なくなる為に自殺企図を何度もした。
この世界は手段を選ばずに私をこの世界に引き留めた。
この世界は煉獄より酷い、牢獄なのだ。
死ねるひとはやっとこの世界という牢獄から解放されるのだ。
死ぬのはむしろ祝い事なのだ。
みんな死ぬひとや自殺者が死ぬ事は悲しい事とか勘違いしている。
それはこちらの世界の都合や感情なのだ。
私だって高所恐怖症という事は、
今は死ぬのがこわいのだろう。
あれ程不快で気に入らなかったこの世界がやっと好きになりかけているからだ。
ゆめタウンの勤務や、ゆめタウンの同じ職場のひと達が私に丁寧に接してくれたからというのもある。
みんなのお陰で、私はやっと、死ぬのがこわくなって来たのだ。
早朝のNHKの山々や星々を撮影したそのまま流している番組を食べながら楽しんで見ている。
猫のそのままを映している番組も楽しみ。
説明はある程度だけで充分。
ナレーションが常に喋り続けてじゃかましい番組もあるけど、
そんな番組よりも、
猫の自然な魅力を引き出している映像を撮れているという事で充分カメラマンの実力に気付けるから。
YouTubeなどの子猫映像は、見ていたらどんどん時間が過ぎて行くけど、
猫を飼えない家のひとにとって、見る事が無駄な時間ではないひともいる。
いい猫カフェが近くに無いとか、いろいろ事情があるし。
人間が見憎く見えているときには、
ペットや家畜など、動物を見て安心するひとびとがいる事はおかしくないと思う。
人間のみんなは人間と接する事に疲れているのだ。
プライベートくらいは人間と居たくないと思って独身でいるひとが多くても仕方ないと思う。
人間より動物の方が心が美しく見えるからだ。
私も最近、人間よりも、女神や人形や絵や猫やうさぎの方がかわいくて、
人間=勤務だけの関係
になっている。
私がテレビ番組を見てると、テレビ番組内容に気をつかう、あるいは攻撃的な内容になるから、
いい番組にならなくて、
出来れば近い放送は見たくない。
そういう事を気にせず見たい。
近い放送内容は私との関係がギクシャクしたり、攻撃的になったりすると、
私は過ごし難いのだ。
テレビやラジオや新聞や雑誌やネット配信などメディアが、
私に近づき過ぎる(考え方を制限する邪視で見る)と
私は生活が窮屈になって 痛いし しんどい ので、
私は出来るだけ関わらない様にしている。
なので番組などを見ない様にしている。
番組内容なんかが歪んで来るのを見たくないからだ。
それはメリット云々よりも、歪んだ放送内容を発信するというデメリットを避けた方がいいと思う。
私はそう思って試聴や購読を避けている。
NHKの番組や記事や、徳島新聞のニュースなどは最近あまり(私の邪視などで)歪まないので、見たりはしている。
吸血鬼の城か…。
ひょっとして最近水を飲む様に葡萄ジュースを飲むのは、
葡萄ジュースを飲まないと皺が目立っているのは、ひょっとして…。
鏡を見てると覿面に皺が出て来る。
注射の日だったので、昼間担当医に「若い。30代に見える。」
と言われたけど、
帰ってきて鏡を見ていると、
さっきまで無かった額の皺が見る見るあらわれてきて。