fatimariaの日記

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魔女についての説明。

今日はひだまりスケッチを見たあと、

ここ数年ぐらい?魔女が流行ってるみたいなので、

ジブリのアニメ映画「魔女の宅急便」を見ている。

私の魔女のイメージは悪者ではない。

私の子供の頃の魔女のイメージはこの「魔女の宅急便」だからだ。

 

むしろ昔、

魔女裁判や、

魔女と決めつけられたひとへの拷問が、

人間の異常さが表れていると思っている。

かなり冤罪が多かったはずだからだ。

魔女と決めつけられたひとへの拷問は、

人間が人間を拷問している訳で、

魔女という濡衣を着せられた人間が、人間に拷問されている構図が、

魔女裁判の本を読んだだけですぐ気付ける。

どっちが悪者かは、

人道的に普通に考えて、

拷問している者が悪者だと思うのは当然。

なので私の魔女のイメージは悪者ではない。

 

だからってキリスト教キリスト教徒が悪者なのではない。

今のキリスト教会はほとんどが慈善事業施設となっている。

キリストが自称した様な柔和なひとも多い。

その柔和で人当たりがよくて、いい感じの印象、

それが私のキリスト教キリスト教徒のイメージだ。

私が洗礼を受けたイエス之御霊教会の様な酷い対応の教会とは根本的に異なる。

なので、

キリスト教を否定されたり批判されたり、悪魔を肯定されると、憤りと反感が起こる。

 

なので、

キリスト教も、

魔女も、

私にとっては

どちらも

悪者ではない。

 

しかし「魔法少女まどか☆マギカ」の魔女はどギツかった。

なので、「反抗的」という表現を使った。

 

そして、

ディアボロスが中傷なら、

中傷のイメージは悪い。

即ちディアボロスのイメージは悪い。

私の悪魔のイメージはとことん悪い。

 

特に悪魔が近くなると人間からの言葉が醜く曲がって聞こえてくる幻聴になってくる。

その辺の、私が現実に体験する病気の症状が、

私が悪魔を肯定出来ないカラクリになっている。

 

それは私が辿ってきた私の人生の歴史であって、

悪魔を肯定出来る様な人生を辿って来たひととは異なる。

そこは相容れない過去の異なりであって、

そういうひと達と相容れないというより、

辿って来た人生の価値観が根本的に異なるだけであって、

そういうひと達の人生を否定するつもりは私には無いけど、

私は悪魔がかなり痛かったから、私は悪魔を憎んでいるだけ。

悪魔を肯定出来るひと達とは関係無い、私の問題なんだよ。

魔女のイメージは悪くないのに、

「魔」のイメージは悪い。

そういう事なので誤解してほしくない。

 

魔女にもいい魔女と悪い魔女がいる様に言うのは、

状態や時期によって、

人間にもいい人間と悪い人間がいる様に見えるのと特に変わらない。

魔女も人間なのだから。

 

状態や時期によって、

いい悪いがあるというのは、

それは、海産物で人間を養っている海が、津波を起こして人間を害する事もあるというのと特に変わらない。

 

この文を読んで、

魔女=人間=海とか考えるやつは阿呆です。

たとえ話の「たとえている本質」である

「何が言いたいか」を汲めないやつは、

阿呆です。

私もわからないときはあったけど。

 

悪魔を肯定しているひと達は、

「中傷」が好きなんですか?

「ダイモーン」が好きなんですか?

「嘲笑い(イツハク)」が好きなんですか?

リベカ(雄牛)は、

イツハク(笑い、嘲笑い)でもなく、

アダム(エサウ)でもなく、

ヤコブ(足を引っ張る)がお気に入りなのだ。