fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

客観的にこのブログの文章見て、(下記)

NHKの番組「癌だから働けないんじゃないんです!働けます。」
 
癌は治療法が進んでるらしいけどさ、
統合失調症をグズグズわずらってるの、どうにか完治しないのかな?
 
治そうとすると怒っていろいろしてくるし。
自分達が幻聴って認めてるみたいに。
 
ひょっとして、自民党政権交代しないと就職できないの?知らんけど。
まあそんなのは健常者の常識では関連のない事なんだけど。
 
私の心の中の「思い(の気)」が漏れ出て、「幻聴が発動する」みたいなんだよね。心の叫び?
すると私の「思い」に反応するかのように聞こえるわけだ。
 
ネガティヴの子…。「ちーがーう~~~」
 
「ありがとうございました…(不快そうに)」
何度も言うように、
私が御座いました って思ってる状態では私の気力が下がるだけで、現状(私の誕生日が変わらない事)は変わらないんだよ。
不死身(インモータル)なのになんで死ぬんだよ? まあ神々は人間のように死ぬけど。
 
私は死んでない。私の右腕も死んでない。いたって健康だ。
 
どういうつもりなんだよ?木星のどこが死んでるんだよ?千手千眼の一のしるしもあるし、
80歳でエベレスト登頂したひとの訃報も聞いてないぞ。
物質界の天体の木星も太陽との合だ。当然壊れたトカいうニュースも聞いてない。
もし精神的なものだったら、死ぬんだったら、私と一緒に死ぬよ。木星も、ヘラも、海王星も、火星も、太陽も、月も、俊も、ニケも。
 
 
客観的にこのブログの文章見て、
人間達が私を「敵だ」とか「悪者(悪玉)だ」とか「悪魔だ」とか「鬼だ」とか。思うかもだけど、
 
敵  汝の敵を愛せよ。
悪者  純粋悪であるアーリマンが帝釈天(天主。デウス)。
悪魔  サタンの座とは、ゼウス(デウス)神殿。
鬼   俊(蟹座)の積屍気は鬼宿。
 
当てはまっていても責められるいわれは無いんだ。
 
仏教徒には汝の敵を愛せよトカ無いけど。
私が仏教について言った事、間違っているなら、「ここは間違っている!」ってはっきり言って来ると思うんだよ。
コメントいつでもできるんだから。
むしろ正解(真理)で、間違っていなくて、どうしようもないから、怒ってるんでしょ?
 
「仏の道(世俗への依存の無い解脱の道)」「四つの諦め」っていう「どうしようもないシステム(理)」について私は説明しただけであって、何故私が責められないといけないんだよ?
 
「十字架の道」っていう「どうしようもないシステム(理)」について私は説明しただけであって、何故私が責められないといけないんだよ?
自分の十字架を背負って歩いて、カルヴァリー(ゴルゴダ。髑髏。)の丘で正しい律法に殺されて、愛する愛(アガペー)が尽きて無くなってしまうのは、キリスト教の「計画通り」なんだ。別に責められるような悪い事じゃない。
 
 
ブログとか文章書くのに集中はできる。ゲームにも集中できる。それは慣れた事だからだ。
 
じゃあ、職場で、はじめてやる勤務内容は?
私は、今までの契約満了して転々とした職場の経験上は、私が我慢する内容があまりにも多いわけでなければ、もう上手くやれる。戸籍上のとうさんはまだ甘いというが、
 
気力が無い(回復するまでなにかしらの努力が必要)
調子悪くなる(眠るしかない→勤務内容できない)
幻聴が聞こえる(我慢している→ストレス)
易怒性(我慢している→ストレス)
美しくないものや、太っているひとや、男性、を殺したくなる(生理的に受け入れられない)(我慢している→ストレス)
 
これさえクリアできれば、社会的には問題ない。
我慢を休日や退社後でなんとか晴らせば、問題ない。
 
まあ今は気力があるからこんな事が言えるのだが、「日本の職場」はあまり「社員の都合にはよらない」のでね…。困った国だね。
 
 
 
日本人で神経質できっちりしたい小さな事も気になるひとは痩せているひとが多い。
よく言えば細かい事にもよく気がつく。繊細。細やか。
悪く言えば瑣末的な事に拘る。細かい事をごちゃごちゃ言い、大局が見えない。
「気」に敏感なんだね。弱いんだ。ひょろひょろだ。
「気」に鈍感なものはいくらでも自己中心的に厚かましくなれる。空気読まないで突き進む。あらい。
ひとや物の価値をはかる目盛りの尺度が異なるんだよ。話になんかならない。合うわけないんだ。
細かく繊細にピカピカに磨かれたところを、粗いヤスリで磨いたら傷になるだけで、また荒削りからやり直しだ。
それが腹立つ。
 
繊細なものは希少価値を大事にしようとする。
かましいものは利用価値には敏感だ。まわりに利用価値をいっぱい置いている。
価値であろうが、希少価値であろうが、唯一希少価値であろうが、
利用価値か、あるいは価値無しに定めている。
豚に真珠、iぬに聖なるもの っていうたとえは、そういうものだ。
 
唯一希少価値は、唯一希少価値の状態で一番輝くのだ。
希少価値は、希少価値の状態で一番輝くのだ。
価値は、価値の状態で一番輝くのだ。
利用価値は、企業や会社がやってくれる。人間一個人がやる事ではない。
価値無しは、リサイクルの方法を知っているものに渡せばいいのだ。
 
私に仏陀(水星)はもったいないだろう。
私はその真理を読んで気付いたが、私には合わない。
私は独占欲が強い(嫉妬深い)からだ。
私は仏陀を高い価値としていない。
仏陀は王子なので妻子を捨てても妻は生活に困窮しないが、ひとによっては出家したら妻子は経済的に死ぬ事になる例だってある。
出家は誰にでもできる事じゃない。
っていうのは、羨望するような能力的な問題ではなく、命にかかわる問題(産まれや育ちなど含む現在の環境的な問題も)についてだ。
 
戒(シーラ)で誰でもを救えるわけではない。
戒という枠に人間を入れても守れない。これは旧約聖書の律法も同じだ。逆に正しい律法に殺されてしまう。
仏陀もキリストも気付いていただろうけど、ひとを救うには常にオーダーメイドでなければならない。
何もかもが異なるのに、手本(型。枠。)どおりにいくわけがない。それぐらい気付いている。