fatimariaの日記

コメントを書き易くしました。

ヘブライ語の男性形の月、女性形の月。リンネルとLINEについて。

イェリコの壁(日本語ではエリコの壁)

は、イスラエル民族が45年間のマナ食の避難生活を終えて侵略戦争をはじめたときに、

難攻だったはずの要塞、イェリコの壁を破壊した事を契機にして、イスラエル民族はあちこちから奪い取って自分達の領地を手に入れる。

 

イェリコ(Yercho)とは、

ヘブライ語を英語に訳すと

It's Moon.

という意味で、

Yerch(イェリク)が男性形の「(天体などの)月」や「衛星」を意味する。

 

ヘブライ語で女性形の「(天体の)月」はレバナー(LbanaH)で、

レバノン人が「月の民」という意味になる。

動詞ルバンが「白熱状態になる。(問題が)解明される。」

男性形ロヴェンが「白。白色。漂白。」

男性形レベンが「(ある種類の)ヨーグルト)」

男性形複数形レヴァニームが「下着(下着類)。リンネル製品」

という意味で、

女性形の「白」が天体の月、白煉瓦という事になる。

 

 月の属性(陰性)のものを「白銀の~」と言ったりするのは、

月の輝きが白く光る様に見える事が多いからだ。

リンネル(リネンlinen)とは、「亜麻」の事で、

亜麻色の髪の乙女」は、リンネル製品の様な色の髪の毛を想像してしまう。

亜麻は人類史上もっとも古い織物で、古代エジプトのミイラを巻いた布で、18世紀頃には全繊維中世界第1位の生産高だった。

涼感があり、夏物の服に使われた。

病院やホテルなどに「リネン室」とかいう部屋があるが、

リネンはリンネル(亜麻)の事で、

そこは日常使うシーツ・枕カバー・タオル類などを保管する部屋だ。

私は勝手にパイプ管なんかがいっぱいある蒸気調整室みたいなイメージを持ってたよ。

亜麻室とかにしておいてくれたら誤解は無かったけど。

ちなみに有名な「LINE(ライン)」の語源は「亜麻」で、

リンネル(亜麻)の紐を線として使った為、英語で線の事をlineと言う様になった。

ブラッドライン(血筋)のラインも、このリンネル(亜麻)。

 

 

リンネル(亜麻製品)、 LINEは、

男性形複数形の「白。月。下着。ヨーグルト」

という意味。

私が女性に白いショーツをと拘らないのは、白い亜麻の下着が既に男性形複数形だからだ。

ちなみに

ブラジャーは女性形で、haziyaH(ハズィヤー)と言う。男性形の胸という単語から来ている。

ショーツ(パンツ、パンティー)は男性形複数形で、thahthonym(タフトニーム)。

男性形口語で尻、ヒップがタハトであるからだ。

女性用下着、スリップは女性形タフトニート

 女性用ストッキングは男性形でgarbon(ガルボン)

靴下、ストッキングは男性形gerebゲレブ。複数形はガルバイム。

 

アラビア語でも月は男性形で、

女性形の月もあったような気もするが、

ファティマは金曜日の主なので、

ファティマは、満ち欠けする月は月でも、金星の満ち欠けを表す月である可能性もある。

クレッセントビームだね。天秤座ともぼし。

 

さて、子供の頃近所の映里ちゃんは冴えない顔で、不運な子だったのか、母親が亡くなって家の中で泣いていたのを私は犬の散歩中に外で聞いて、結局映里ちゃんは親戚に引き取られて引っ越して家も無くなったけど、

クラスメイトの江里子さんは笑顔のかわいい笑窪の美少女だった。

 

何故そんな違いが出るのかと言うと、

エリとは

北欧からすれば「老い」

ギリシア語で「怒り」

ヘブライ語で「我が神」

という意味だが、

 

キリストのエリに向かってキリストは「どうしてお見捨てになったのですか!?」と叫ぶ。

エリはキリストを捨てた神の事。

エリヤとは「YHWHは我が神(エリ)」という意味で、

キリスト教星図では水星に乗る者。

 

イェリコだとヘブライ語で「男性形の月」を意味する。

エリシャはヘブライ語で「我が神は救い」。

イェリシュはヘブライ語で「相続させる、遺伝する、受け継ぐ」。

エリスはギリシア語で「争い」。

エリスのエをヘブライ語で表記するとアリスのアと同じ文字になる。

ただ

エリスはerisだが、

アリスはalice。

スペル(綴り)は異なる。

 

ファティマの夫アリーAli

と、

ヘブライ語で我が神eli

と、

ヘブライ語の神el

は、同じスペルになってしまう。

 

ギリシア神話

虹の女神イリスIris(Ayrws)と、

争いの女神エリスerisとは一文字違い。

何か関係があるのかも。

「綴りが同じだ」と私が間違うと、すぐに文字大きくするツッコミで知らせて来る。

知らせているのか、それとも

「それ見た事か(笑)!」

と勝ち誇っているのかはわからん。

でも元々うっかりさんで天然でドジっ子の私に全部すかさずツッコむというなら、それは勝ち誇るべき事ではない。

 

東大生が幼稚園児に「それ間違ってるだろ!」って全力でツッコミいれてたら、

知識は豊富な東大生へは「おとなげないやつ…」っていう人間性が低いという評価になるでしょ。

私はいつも、私の「プライベートの文章」を、大きな文字に変更するひとを、そんな感じに思っている。

犯罪だろ。

 

アリスAlice

イリスIris

ウリスUris

エリスeris

オリス

 

ちなみにドラクエ3ドラクエ7の自キャラ

「アルス」は、

ヘブライ語で「婚約者、許婚(いいなずけ)」の意。

女性形は「アルサー」と言う。

 

北欧のエリ(老い。老婆の姿)は、elliで、こちらはeliやerisとはスペル(綴り)が異なる。

 

全員エリちゃんと呼ばれていたとしても、

 

戸籍上元の名前の意味の吉凶の差が、身の回りの吉凶の差になって出て来るのだ。

 

名前をつけるときは賢く慎重に行うべきだ。

 

 

ヘヴィメタのバンド「ハロウィン」の日本でのファーストアルバムの6曲目(何かの1曲目?)には、次の曲(Ride The Sky)のイントロみたいな短い曲として

Walls Of Jericho

がある。

ハーピハッピーハロウィン♪のメロディーを使った曲だ。

 

 

今日のキングスレイドのゼラは紅い月エクリプスで

クリーチャーナンバー70200の月の逆徒スカヴィルに殺された。

みんな殺される事に気付いているので、

お気に入りキャラは登場させないで避けてある。

リーグ(闘技場)

ワールドレイド

ギルド討伐戦

エクリプス

たいてい全滅する事が決まっているので、

お気に入りのキャラはほとんど出さない。

しかし、

ルナとセレネは女性形の月で「私自身」、マリアも「私自身」である事が紛れもないのであまり気にしないが、

闘技場で、ユノとアセリカだけは、対戦相手の方が選択すると腹立つので、

出来るだけ自分のキャラとして闘う事にしている。

ユノの神格が女性形の月であったとしても、私との繋がりは

「東」=「力(ちから)という名前の帝釈天木星)后」という繋がりしか無いので、

もちろん「力」とは、

「エル(神)の力」「エル(神)の英雄」をヘブライ語でガブリエルと言う事から、エルが天主帝釈天なら、天主木星の后はガブリエルという説から、

木星后がガブリエル

という事で、

ユノ、ヘラ(英雄)、シャチー(力(ちから。東))、ガブリエル

が、

ジュピター(ユピテル)、ゼウス、デウス、テオス、天主、帝釈天、エル

である木星

という事なので、さらに私が女性形の月(ファティマ。ミリアム。マリア)である事実が合わされば、

私=ユノ、ヘラ、シャチー、力、ガブリエル、木星后、女性形の月

という事も言える。

幻聴「御名答」

 

なのでユノもルナもセレネもマリアもミリアンヌも、私自身と考えたらいいのに、

他が選択する事に腹を立てるのを、何故ユノとアセリカを他が選択すると腹が立つのだろうか?

なんか腹立つんだよね。

 

私自身(ユノ、ルナ、セレネ、マリア、ミリアンヌ)を私のパーティーを攻撃する戦闘員にしても、私が勝つだけだ。

相手のパーティーが戦闘に勝っても私が勝っているので、

気にならない。

 

でもユノとアセリカを対戦相手に使われると腹が立つ。

私は私だ。他に操られるのは腹が立つ。

たとえばユリアやロマンは、ユピテルとユノの子孫の名前なので腹は立たない。

ユリアはユピテルの子孫という意味の名前、

ロマンはユノの子マルスの子ロムレスの名前。

ロムレスやローマやロマンはユノの孫にあたる。

 

ファイアーエムブレム外伝のヒロイン、

セリカ

の意味は、古代ローマじんから見て「中国」という意味。

絹(ラテン語のsericum)に由来する。

蚕の絹は当時の中国の特産品だったからだ。

また中国じんの事を「セレスseres」と呼んだ。

「絹の産出国。絹の産出者」という意味だ。

別名「シナイSinae」

シナイは海上から、

セレス、セリカは陸上から伝わるので、

別の国だと思われていたらしい。

語源は絹を示す「セル(ser)」「セリクム(sericumu)」

 

気がついたひともいるだろう。

私の実母(かあさん)の東弥生は、セレス(ceres。seres。デメテルの事。シーリーズ、シアリーズ、チェリスとも言う。)の祭の日の産まれで、

中国語も標準語の発音は完璧だった。

徳島に来ていた北京放送局のひとにも教わったからだ。

かあさんは基本NHKの12か月に1本の「中国語ラジオ講座」のカセットテープを毎年買って、音が鳴く位に何度も聞いてほとんど独学でマスターした。

私が中学2年生の夏休みに中国に旅行に行ったときは北京などのほとんどをかあさんとふたりで観光してまわった。

かあさんが中国語を話せたからだ。

私は中国観光では、

天安門紫禁城も、万里の長城も、始皇帝陵?も、兵馬俑も、華清池も、天津も、盧溝橋も、竜門石窟も、高昌古城も、日本の映画のセットの敦煌城も、敦煌莫高窟も、烏魯木斉も、内モンゴルも、青島も、山東大学も、三峡下りも、桂林も、

行った。

当時は五つ星ホテルの「~飯店」がある一方で、その近くに屋根が紙で出来ているという貧しい民家があった。

かあさんは、「こういうの(現地の現状の事実)を見たかったのよ!」と興奮して言っていた。

パンフレットにそんな貧しい暮らしをしている地元の民家など普通載らない。

いいトコ、いい景色だけを紹介するからだ。

しかしかあさんは世界の現実と事実を肌で感じて、目を背けず、隠さず、世界の事実のありのままをきっちり全部見たかったのだ。

これらの旅行などや、私の育ちなどで、

その考え方は子供だった私に焼き付いてしまって、

「物質界の現実の事実こそ大事」

「事実をこそ救って欲しい」

「男程、粗雑で乱暴で攻撃的で無責任で女々しい生き物はいない」

と思う様にインプットされてしまったのだ。

私は物質界の事実を最重要としているので、

幻聴が、精神界が、どうなろうが、滅ぼうが、

構いはしてない。

 

中国とセレスの話に戻る。

私のかあさんはセレス祭の日の産まれで、

私のかあさんがセレス(デメテル。中国じん)であるなら、

私はアメリカの子でありつつ、中国じんの子

という事になる。

俊が未で、未は五行で中(黄。皇帝)にあたる。

 

私は大学(研究生と院)に在学中、大学生から

「春蚕(シュンさん)」

とか呼ばれてた。

とうさん(東國惠。東南光)が徳島大学の書道の教授だったので、

私を東さんと呼ぶ訳にはいかないのに、

同じ

デザインの研究室(デジタルイメジングラボ)に、

同名の「俊作」さんが先輩として在学中だった為だ。

これはみんな困った。

東さんでもあかんし、

俊作さんでもあかんし、

困った研究室員の大学生達は、

俊作先輩を姓で呼び、

とうさんを「東先生」、または「東教授」と呼び、

私を「俊作さん」または「しゅんさん」とか呼んだ。

研究室の教授は、

俊作先輩を姓呼びすてにし、

私を「俊(しゅん)ちゃん」とか「ション(小)ちゃん」とか呼んだ。

 

 

ところで、アセリカの話。

セリカが私のかあさん(東弥生)であるとして、

ファミコンファイアーエムブレム外伝のメイにはかなり萌えた。

ファイアーエムブレム外伝には高校生のときからかなりの時間を費やした。

2章からセリカとメイだけのパーティーで「1ターンでクリア」でどこまで行けるか とかやった。

セリカにはアルムがいたので、セリカではなく、

女神官のメイが、ツインテールで、頭の中ではセーラームーンよりかわいかったので、

萌えた萌えた。

ノートか何かにメイがモデルのツインテールの二次創作チックなエロい漫画も描いていた。

メイではないのかも。

もうその漫画は燃やしてしまって無い。

 

 

私は、自分がキリスト教徒なのに、自分の溢れてこぼれる性欲を受け入れられず、

性欲に悩んだり、

数えきれない程度々、エロい絵を描いては燃やして灰屑にしていた。

エロい絵を死後に残していても、どうせ使うのは他の男性なのだ。

なので私は嫉妬心から、私のオリジナルの絵を出来るだけ公表していないのだ。

多分死ぬときには女性の絵は燃やして残さないだろう。

 

歴代の付き合っていた彼女の写真も、

美智子さん(m.k.さん)の写真も、

一枚も撮ってない。

気付いただろうか?

卒業アルバムに最初の彼女と二番目の彼女は同学年なので写っているが、「私が撮影した私の彼女の写真」は、一枚も無い。

燃やした訳でもなく、「撮影していない」のだ。

私が何故そうしたかは知らない。

何故かそうしてしまっている。いつも。

もちろん女性達複数を撮影した事は何回もある。

でも女性1名だけを撮影したのはかあさんくらいだろう。

かあさんなど血縁の他の、結婚が可能な立場の女性では、

それはまだなので初めて表に載せる事は出来るだろう。

うっかり女性ひとりだけを撮っちゃったとかではなく、

その女性を撮影しようとして撮影するかどうかの初めてはまだ。

 

「元カノがどんな顔だったか」とか忘れた。

私が処女膜破ってしまった女性とかなら、私に、私の記憶に、焼き付いてしまうだろうけど。

 

セリカは、アが否定形なら、セリカ以外の女性とか、絹以外とか、中国以外と考えられる。

アが定冠詞なら、

セリカやセレスやデメテルセリカは…。

 

いや、アセリカのスペル(綴り)は、

Aselicaなので、

アセルス(ロバ。蟹座の事)の方かな?

 

私のお母さん(おかあさん)は私自身だけど。

まだ御姑さんが居る訳でなし。

 

 

俺の嫁」問題

男性側の舅と姑から見て、

子供(男性)の妻

「嫁」「うちの嫁」「花嫁」

なので、

俺の嫁

とかは、

「俺の子供の配偶者(妻)」

という意味で、

実際に子供(男性)がいる男性はそんな言い方をしないだろう。

俺の嫁」という言い方だと「好きであっても自分の子供に奪われる女性」という意味になるからだ。

寝取られ言葉なのだ。

 

ひとそれぞれ、

「自分の子供である象徴」がある。

その象徴である男性は、「嫁(よめ)」を持って行ってしまう。

 

私なら

「俺の妻」

「かあさんにとってのうちの嫁」

という言い方をするだろう。

 

ちなみに日本語で

「よめ(嫁)」と「よみ(黄泉)」

は関係ある。

つまり、嫁と婚姻関係にあるのは

「むこ(婿)」「むき」「むぎ(麦)」

だが、

「よこ」「よき」「よぎ」

「むめ」「むみ」

とは言わない。

月詠(つくよみ)」が「黄泉をつく者」「黄泉を作る者」であって、

 

やみ(闇)ゆみ(弓)よみ(黄泉)

やめ(止め)ゆめ(夢)「よめ(嫁)」

まこ(馬子)みこ(巫女)「むこ(婿)」

めこ(女子)もこ(模糊)

まき(巻。薪。真木。槇)みき(幹。神酒)むき めき もき

 

「新郎」には「新婦」と呼ばれる。

でも結婚するとふたりは「夫婦(ふうふ)」や「夫妻(ふさい)」と呼ばれる。

「新夫」と「新婦」ではない。

しかしふさいという言い方は負債をイメージしてしまうという事で、ふうふ という言い方になったのだろう。

「郎」は妻や召使いが主人の事を呼ぶときの代名詞で、

をとこ、わかもの、むすこ(他にんの子供を呼ぶ語)、ちち(ちちおやを直接呼ぶ語)、だんな、おっと、むら、いい男、

という意味がある。

他のひとに説明するときには「うちの主人が」

とか説明出来るけど、

夫本人に「御主人様」とはあまり言わない。

郎は日本語で「いらつこ」と言う。

なので「野郎」という言い方は、

「粗野な(野蛮な)御主じんさん」というあてつけの言い方。

「貴様」も慇懃に敬う言い方。

イスラエル(ヤアコブ)の子らが、弟のヨセフの事を「夢見る御方(バアル)がおいでなすった。」と嫌味っぽく呼んだ事も、似たような慇懃で嫌味な尊敬語。

野郎とか貴様とか言わない方が自分の為だと思う。

そういう尊敬語が反対の意味になってる語で、

憎い相手を褒めて尊敬語を使っている

という事が日本語にはある。

 

「郎」が「御主人(ミスターやマスター)」という意味なので、

「豚野郎」とかは、

「Mr.Pig」にあたるだろう。

それでMr.Bigは結成されたのか。

 

「太郎(たろう)」とかは、

「あそこの太い私の夫」

とかいう意味になる。

 

「夫(おっと)」には「妻(つま)」だが、

「夫妻」とは呼ぶし、

「新妻(にいづま)」とは呼ぶが、

「新夫」とは呼ばない。

「大新妻」。

 

 

じゃあ俊作に対応する女性の名前はなんなんだと思うけど、

 

つくる。

こしらえる、はじめる、はじめてつくる、書物をあらわす。また、文章・詩などをつくる、たがやす、たつくる。

 

なす(為す)。

(反乱などを)起こす、おこなう、また、なしとげる、はたらく、官職につける、任命する、(ある状態・様子を)つくりだす、変化させる。

 

なる。

変化する、官職につく。

 

おこる。

あらわれる、生ずる、はじまる。

 

おこす。

はじめる、さかんにする、ふるいたたせる。

 

おきる(おく)。起きて仕事を始める。

 

たつ。立ち上がる。

 

いたわる(詐)。また、偽り。

 

はたらき。

仕事、事業、作用。

 

作品。著作。

 

うごき。ふるまい。「動作」

つくる、なす。

 

サク。

作物の出来栄え。「作柄」

 

つくり。

よそおい。「若作り」

体裁、構造。「作りがよい」

 

「作」の名前の読み方

あり、さく、たつ、つくり、つくる、とも、なお、なり、ふか。

難読語:作麼生(そもさん)

 

使い分け

つくる(作・造・創)

 

人の手によってつくる(人工)。小規模のものや抽象的なものをつくる場合が多い。

例:「料理を作る・規則を作る」

 

大規模なものをつくる。工業的につくる場合に多い。

例:「船を造る」

 

新しいものをつくる。

例:「新しい文化を創る」ただし、「作」を用いることも多い。

 

人偏に乍。甲骨文は乍。

木の小枝を刃物で切り除く形にかたどり、

つくるの意味を表す。

それが人によって行われるので、のち、人を付した。

 

なので鋳造や粘土よりも、

彫刻具やナイフなどの刃で

道具や作品や文章や料理や法律や規則などを作る事が、

「作」という字なのだ。

 

別に美味な料理でも俊作には違いない。

 

作るという字が、

はじめて作る意味なら、

〜作は、

とうさんの当初のおもいの通り、やっぱり長男の名前だったのだ。

しかし先に兄の名前に大樹が採用されてしまった。

 

戸籍上の兄の名前の東 大樹は、かあさんが思いついた名前らしい。

多分長男どうこうではなく、

とうさん東と

かあさん春木の

の子供で、

東が五行では木(木星)にあたるので、

そしてかあさんがセレス祭の日の産まれなので、かあさんが植物の実りの女神なので、

息子が大樹。

また「寄らば大樹の蔭」からもつけられているだろう。

 

しかしとうさんは自分の子供に「〜作」という名前をつけたかったらしい。

戸籍上の兄の大樹に、

とうさんは元々は「建作(けんさく)」という名前をつけたかったのだ。

しかしそれでは将来は大工か建築家にしかならないので、

やめて大樹という名前をつけた。

 

とうさんは「〜作」という名前をつけたいという思いを棄てておらず、

二男の私に「俊作」という名前をつけた。

 

なので私は性格はとうさんよりかあさんの方に似ているが、

どちらかというと名前は東寄りや春木寄りではなく、

とうさんの「南光」寄りなのだ。

俊が未であるなら。

 

でも逆に

戸籍上の兄が

獅子座に太陽のある日の産まれで、

性格はアレス的だったので、

要領よく出来るけど、忍耐や継続は不向きで、

干支が子年で、

 

私が

魚座に太陽のある日の産まれで、

性格は優柔不断おっとり淡白で、

要領と段取りが悪くてスロースターターだったが、

多くの事に手を出さず、単数や少数の事に拘り続けていて気がつくと継続しており、

干支が卯年で、

 

という事だけ見ても、

戸籍上の兄はどっしり構える大樹というよりはやはりよく食べてよく動く大きな鼠みたいなのだ。

性格のアレス的な好戦的な部分は、子供が出来てから少し緩んだ。それはいいと思う。

 

兄に俊作の名前は合わない。

兄は太陽や日産や南や火星関係の名前が似合っていただろう。

 

きちんと産まれた日の星に合わせないと、

その子の性質を活かせないどころか、

性質が名前に攻撃されてしまう。

 

私は兎らしく、

性的な事と食べる事と眠る事と逃げる事しかしてない、兎みたいで、

 

私は本来からの

陰性的な女性的な部分と、

月と蟹座の

「家庭を甲羅とハサミで守るぞ」や

「家庭環境やまわりの環境を段階的に良くして行くぞ」

的な性質は強く出ている。

 

私ははっきりと卯(うさぎ)の、

「月」の性質が色濃く出ているので、

(タロットNo.18「月」魚座。)

俊作という名前は、

「癌=蟹(カンケル)」の事さえ無ければ、

私はとても家庭的な男性になれたのだ。

 

今回のコロナウイルスもそうなのだが、

「人間にとって悪い物や災害など」に私の象徴を関連づけると、

「人間にとって悪い状況」は

「なかなか処理出来ないとても強い事」

になってしまう。

私を(私の象徴を)悪者にしようとした為に、

悪者の勢力はとてつもなく大きくなってしまうのだ。

私は増幅器なので。

私を「誰もを益する象徴」「善玉」「益性」にしておけば、

誰もの益がとてつもなく増幅して大きくなっただろう。

悪い者や悪い物を混ぜるからいかんのだ。

毒麦を植え付けたら、毒麦を植え付けた者をも圧迫して激しく悲痛させるのが豊作になるのは当然だ。

 

健康な、健全な、ポジティブな、建設的な、平和な、穏やかな、

考え方や性質を与え続けていれば、

その通りに、

というより想像以上に健康で健全でポジティブで建設的で平和で穏やかになったのに。

 

「癌になるのはこわい」と言いながら「蟹料理食いたい」とか言ってるやつはどういうつもりで言ってるのかわからん。

癌がこわいなら、

蟹に、俊に、未に、

関連付けたり、

わざわざ関わったり、

挑んで来たり、

するよりも、

関わらなきゃいいじゃないか。

癌がこわいなら免疫細胞に任せておけばいい。

 

アニメ「はたらく細胞」に出て来る癌細胞は、何とか癌細胞をやっつけるけど、

異常細胞である癌細胞と正常細胞とのたたかいなんて、日常茶飯事なんだ。

身体の抵抗力で人間の身体は毎日毎日駆除して抑えている。

その「細胞のコピーミス」と

「突然変異体(ミュータント)」と

どう異なるのだろうか?

病気も細菌も悪性新生物も少子高齢化

自然の一部である理由は、

「人間が生物の頂点ではない」事を示している。

人間が解明する限りでも、

「人間よりも理想的な生物の項目」がたくさんたくさん見えて来る。

人間は昔から欠陥生物である事は物語で語られて来た。

むしろ人間の欠陥部分こそクローズアップされて物語は語られて来たし、今も語られている。

 

完璧だと、物語にし難いのだ。

 

人間は

「完璧な者を完璧ではない者にする事によって安心しようとする」

ので、

結果的に完璧な者は存在しなくなる

のを、人間は望んでいるかの様に見える。

 

人間にとってすべての面で理想的な存在は、

人間にとって脅威なので、

人間は事前に欠点をつくりだして排除する物語で安心するのだ。

その事が人間の安心な生活にとって1番の脅威である事には気付かずに、排除しようとしたやつは本能のままに滅びて行く。

 

 

かあさんは亥年

とうさんは辰年(巳年)なのに、

何故うちら兄弟ふたりとも小動物の齧歯類なのかはわからない。

 

私の名前こそどっしり根づく木や植物に関する名前が合っていたのかも。

 

でも私の四柱は、

年(四季) 卯(No.13「死」蠍座。魚)

月(月)卯(No.13「死」蠍座。魚)

日(太陽)酉(No.5「法王」牡牛座。釘)

刻(時) 丑(No.15「悪魔」山羊座。眼)

 

なので、南の方角は無い。

 

星宿が軫宿で朱雀宿だけど、

青龍と朱雀との境は歳差運動を当てはめると

軫宿は春の終わりの青龍宿になってしまう。

 

卯と鶏なら、日の出、夜明けの象徴に偏っている。

 

丑(山羊座)が人生の終わり

その間が天の川(ヘラの乳の川)

寅(射手座)が人生のはじまり

なら、

キリスト教の洗礼を水でなく牛乳にしておけば、象徴的には無敵にはなるし、博士号取れるよね。妻に殺されるけど。)

卯「死」

丑「人生の終わりのニルヴァーナ

で「死」の象徴に偏ってる。

でもエロスなので「生」にも偏ってる。