fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

見えない相手を好きになれるかどうか。

私は見えない相手を好きにはなれないし。

男性幻聴「いがう!」

いがうは好きだろ?という意味で言ったんだろうけど、

いがうのものはかわいいけど、

見えない相手を好きにはなれないというのは、

見えない相手は結果的に好きを維持出来ないという意味だ。


エロスとプシュケーの話は有名でしょ?

エロスは

「疑念と愛は相容れない、疑念と愛は一緒には居られない」

と言う。

しかしプシュケーからすれば

「見えない相手には常に疑念がつきもの」

で、まさに私の状況は常にプシュケー状態、常に疑念状態なのだ。

誰なのか?信用出来るのか?は、何も見えない。

見えない相手を信用なんて出来ない。

表情も見えない。感情が見えない。真意が見えない。

見て確認したくなるんだよ。


物質界の女性は

見える。

触る事が出来る。

喋る事が出来る人なら、話して確認すれば把握出来る。


でも、幻聴や精神世界はどう?

いつ見られるかわからない。

確認出来ない。


私は確認出来ない様な不安要素がある状態では、

相手を愛する事は出来ない。


普段愛の「確認を繰り返した実績に基づいて」、

「信じる」事が出来る様になる。

でも私は誰ともその段階まで行ってない。


いつも心は揺れ動き、いつも不安。

いつも疑っている。


勝利が信仰であるなら、

敗北が不信や疑念という事になる。

残念ながら、

私は「信じる事」よりも「疑う事」の方が多い。

様々な疑いの思いを巡らす事により、判断している、確認しているのだ。

多分消去法で。


確認しているのは、試みている訳ではない。


不確かな事を信用していては誤解があった場合に事が大きくなる。


私は信仰を確かなものにする為に確認しているのだ。




私は「嫌(いや)」という言葉を使いたくない。

漢字で「女兼ねる」と書くからだ。

私は不快な事柄や不快な対象について、

「嫌」という言葉を使わず、「不快」と言う。


その事を普段生活のひと達は気付いてくれない。

普通のひと達は決まった形式の言葉を使うからだ。それが当たり前だと思い込んでいる。

私は私的に出来るだけ正確に喋りたいのに。

ため息「ーーー…(ため息鼻息)」



私は「わかる」という言葉を使いたくない。

セフィロトの木で、

理解、判断、知性、つまりわかる事は、

女性原理の卵子に相当する。

知恵が精子だ。


私は「生殖本能より貞操観念の方が強い」ので、


理解、判断、知性、わかるという言葉に、

すぐに不快感を感じる。

もちろん自分の配偶者と2人きりだけで暮らし過ごしているなら、そんな問題は発生しないだろう。

ため息「ーー…(ため息鼻息)」


私は

「私の心の貞操は信用していないが、私の本心は貞操を1番大事にしたいと思っている」

のだ。

貞操権とかも大事にしたいし。

私の本心を他の方々も大事にして欲しい。

?「貞操の女神と結婚すれば?」

まあ出来ればすると思う。


私に男性の画像や映像見せて貞操を守らせようとするのは間違いだ。

何故なら男性にとって男性も性対象になるひとはいるからだ。

私に男性の画像や映像を見せる事は、むしろ不倫をすすめている。