fatimariaの日記

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魅力と飽きについて。

絵を描いていた頃は、「これが描きたい!」っていう「描きたいもの」というのがあったから描けたのだ。
最近は「描きたいものと言えるくらい魅力的なもの」が見当たらない。
そうだ。描きたいくらい「魅力的なもの」 が見当たらないのだ。
 
刺激というのは同じ刺激ではマンネリであきてしまう。
でもたとえばマックのポテトを食べたいと思う気持ちは毎日食べないとあきない。
期間を置くとあきないのだ。
1年に1回のイベントにあきたりしないのは、1年に1回だからなのだ。
 
漫画の内容などは覚えてしまうとあきてしまう。
私の場合、漫画を読んでるとき、何回も読んでいてもたいてい内容を忘れているからあきない。覚えているとあきている。
 
魅力的なもの、美しいもの もそうで、特徴的に美しいと、あきるのだ。美しいポスターとかでも見飽きる。
覚えてしまうからだ。
その美しいポスターが1年に1回1日しか見られないなら、あきる事はないだろう。秘仏も同じような希少性で注目される。
雛人形が1年中飾ってあるなら、ひな祭りの意味が無い。
たとえば着せ替え人形なら、お洋服や着物を収集する事で飽きなくて済む。
結婚した相手にどんどん気に入った似合う服をプレゼントして着て貰うのもマンネリ化しない手のひとつだ。
私ならお金があればやるだろう。かわいいひとのコーディネートをしたい。わくわくする。
私自身では今の体型が気に入らないのであんまりトキメかない。
 
したい事が見つかった。
「かわいい人の服のコーディネートがしたい」のだ。
テックアーツ3Dの「3Dカスタム少女」とか買ったら満足しちゃってやりたい事ではなくなるかな?
それともリアルでコーデしたくなってしまうだろうか?
USBオナホールとか要らない。無いバージョンで安くならないかな?
オナホールとかバイブとか、あっても使わないだろう。買わないと無いけど。 
 
本当にしたい事は
「自分だけの伴侶(法的には自分の配偶者)となる人と互いに純愛恋愛結婚して、その人と夫婦で自分達の子供(遺伝的にも自分達の子供)を平和に明るく楽しく健康に育て上げてから、同じ伴侶(法的には自分の配偶者)と互いに平和に明るく楽しく健康に老後まで死んでも添い遂げたい。」
ってのがあるんだよね。
それがしあわせな結婚ってもんだろ?
素朴ながら、結構実現できているひとはまだ少ないんじゃないかな?という気がするけど。親の話を聞いていると。
 
2次元で飽きられるのは、パターンが決まっていると覚えてしまうからだ。ランダムでポーズが頻繁に変わっていたらあきにくい。
気に入った雛人形はずっと止まっているのに飽きたりしない。実は見ている側が動いている(ヴューが変化している)からだ(これはフィギュアも同じ)。そしてひな祭りが過ぎたら片付けてしまうからだ。
雛人形はフィギュアみたいに「こっち向いてないから気に入らない」とか無い。
すましてて微笑んでないから気に入らないとか聞いた事無い。
目の細い雛人形が笑ってたらシタリ顔にも見えてこなくも無い。
気に入ったフィギュアは「所有してる」ってだけでうれしいものかもだ。コレクター魂というやつか。
 
フィギュアってあきるものなんだろうか?私はフィギュア飾ってないのでわからない。
なんか抵抗あるんだよね。フィギュアとかポスターとか抱き枕とか飾るの。親も部屋に入る事があるからだ。
飾るならパソコン内って事になるんだ。
かあさんはパソコン内にそういうの持ってるって知ってるけどね。
かあさんはプライバシーを侵害したりしようとしないひとだ。
 
誰かのライブ、「(そのひとのライブに)飽きたから」もう行かないとかいうひとはあまりいないと思う。いつも感触が異なるはずだ。そのひとにあきたからもう行かないというのはあっても。
ライブとかいったい1年に何回行くだろうか?私はインドア派なので行く気しないが。
 
でも私は阿波踊りに飽きた。
型が決まってしまっていて、型どおりにきれいに踊れるのがうまいとされる。
型どおりなら3DCGでも3D映像でもいつもきれいに踊ってくれるよ。触るわけでなし。
私は男踊りの「がに股」を見ると、「汚らしい」という気持ちが先行してしまうのだ。見たくない。かあさん達は男踊りは威勢がいいのがいいと言うが、私からすれば野郎がいるだけで気に入らない。
女踊りだけなら見に行くだろうけど、そんな日は無い。→阿波踊りを見に行きたくない。
美しいものを見たくても、わざわざ時間割いて50%以上の醜いものも見に行きたくないのだ(女性も男踊りする為、50%以上。つまり女踊りは40%くらいの割合。見に行くには低すぎ。)。
 
だいたいの作品群は焼きがまわっている。トキメかない。