fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

今日は洗礼者ヨハネ誕生記念日。

言いたい事は気付けなくもないけど、

表示する期間がまだ無くならないので、

鬱陶しいので表示します。

私の作った広告じゃないよ。

誰のかは知らない。

 

この広告。

f:id:fatimaria:20230624120828j:image

こちらも真眼で見たら?

f:id:fatimaria:20230624120820j:image

まわりが暗いと光の当たってるトコと白い線(輪郭)が強く見えるでしょ?

広告の言いたい事(光が当たっていない者のコントラストの強さ、でも誰もが困ってる)と、

私の言いたい事と、

気付ける?

それぞれの頭の中では、

どの色で周りが見えているか、

気付ける?

心の中の暗いひとが

黒い質問が見えているかどうか?

も気付ける?

 

みんな困ってても、

どんな風に世界が見えているか?

世界が明るく見えている者は暗く沈んだ者に目を向けて手を差し伸べる事が出来る。

でも実際は誰もが困ってる。

そう言いたいのだろうけど、

それに、

心の中の暗いひとにはこう見えている

というのを付け加えてみました。

ひとの助言なんて見えていない。

見えているのは自分達の心の中の色から見えるコントラスト。

心の中の暗いひとは心の中の暗いひとに配慮出来ないんだよ。

そんな余裕ないんだよ。自分も暗いから他の暗いひとは見えないし。

配慮出来るひともいるだろうけど、

配慮出来るそのひとの心の中が暗いかと言うと、暗いとは限らないし。

 

自分は自分の色で見るので自分が見えない、自分を判断出来ないものだ。

 

私が創形美術学校に通っていたとき、

批評で、画面のバランスと完成度を考えずに月だけを描いていた男の子に、教官が、

 

教官ふたり「まわり暗くすりゃ、そりゃ光るわな!あははは(嘲笑)!!」

 

と批評した。

私は当時キリスト教の聖書を読んでいる私のストレスで周りのひと達の表情を暗く沈ませていたので、

私への指摘の様にも感じられた。

キリスト教の、周りを暗く沈ませて光る「世の光のシステム」について、悩んだものだ。

 

私はいまだにひとの近くにいるとき、

私の緊張感で、

ひとから笑顔が消える事について悩んでいる。

ひとがこわいので緊張してしまうのだ。

精神統一しないと自然に振る舞えない。

一度心に強く傷を受けた猫は、警戒心が無くなる事はない。

でも私を見て緊張しているひと達が、煙草を吸うひと達が多い様な気がするのは気のせいだろうか?

私が俊作なので

癌をおそれているのだろうか?

煙草による発癌性、癌を発症する確率の異常な高さは、言うまでも無い。

癌がこわいのに煙草吸ってるひとは、

そのスリルも楽しんでいるのだろう。

でもその煙草を吸ったときの発癌性は、

「ひとは誰でも死ぬ」

位、確実な発癌性だ。

そういうのをスリルとは言わない。

 

煙草を吸って迷惑をかけるのは、

まず、

未来のご自分と未来のご家族だ。

そして吸っているときの周りのひと達。

 

煙草を吸うという事は、

周りに、

煙草を吸いたいのでお前らの癌細胞を活発にさせてくれ。

という事でしょ。

何故そんな酷い事が出来るのかは私には理解不可能だ。

熱煙草で煙が出なくても、

それによる健康被害はまだデータが出てない。

 

それでも私は煙草を吸うひと達と普通に接する。

「煙草という悪いやつと付き合うのがやめられないひと」が、必ずしも「悪いやつ」とは限らない。

悪いやつなのは煙草であって、

煙草との付き合いをやめたら、

悪いやつなのかどうかはそのひと次第に戻る。

でも煙草を吸っている間は、

「悪いやつ」に見られる事も事実だ。

 

私も、太る飲み物食べ物や、カフェインや、マスターベーションや、性的な萌え画像の収集をやめられない。

それは私をカッコ悪くみっともなくし、私を結婚から遠ざけている様に思う。

 

「やめられない」や「依存症」は、

煙草吸ってるひとだけに限らない。

たいてい誰でも持っているものだ。

それが

健康的な習慣か、

不健康な習慣か、

の異なり、

自分を害しない習慣か、

自分を害する習慣か、

の異なり、

他にんに迷惑をかけない習慣か、

他にんに迷惑かける習慣か、

の異なりなのだ。

 

私が初めて煙草吸ったのは小学生の頃で、

接客してたとうさんが珍しく吸ってた煙草吸わされた。

とうさんは、酒も煙草も、経験として 飲ませてみたらええやんか という感じだったのだ。

どっちもあまりにも不味過ぎて習慣にはならなかった。

まだ美味い酒も美味い煙草も家に無い頃だったのもあるかも。

 

2回目は高校生の頃で、

吸おうとしてみたけど火が点かなくて、

リュックに入れっぱにしてたらリュックごと煙草が雨で濡れて学校でくっさい異臭がしてて、

うちのクラスの女子達は煙草を吸うひとを快く思っていない様子だったので、

持って帰ってリュックごと棄てた。

 

3回目は中学生のときの同級生の安定悟が吸うで?と言うので私が咥えて火をつけてくれたけど、

火がつかない。

安定「息吸うて!」

吸わないと火が点かない事知らなかった。

普段から煙草一切吸ってないのバレバレ。

案の定ゲホガハゴホゴホやって吸えなかった。

 

4回目は大学院前の研究生の頃で、

先輩に吸ってみるで?と言われ吸ったのが強いセブンスターで、

ゲホゴホガハゴホ!!

ってなって、それから、煙草不味いし臭いし、自分は煙草吸えない人間なのだとはっきり気付いた。

 

セブンスターやマイルドセブンのセブン(7)は、

タロットNo.7「戦車(蟹座)」のキャンサー(カンケル)=癌の7。

スリーセブンの777も、癌癌癌なのだ。

 

 

幻聴「原京子さん」

旦那さんのいる絵本作家の?

私が東俊作だから?

じゃあ俊作は何処行ったんだよ?

本名が 京 羊産(ヨム)さんとか言う処女ならまだしも。

ヨムはヘブライ語で英語で言うDayを意味する。

未産(みう)さんや美産(みう)さんとかでもいいのかも。

 

原京子さんの絵本読んだ事ないと思うけど、

それ以前に既婚者を紹介するなよ。

少子高齢化考えたら

そんな暇無いだろ。

 

雅号や芸名がどうであろうと「関係ない」。

私には雅号も芸名も「無い」からだ。

つり合わない。

ペンネームやあだ名がどうであろうと、

私をあだ名で呼ぶ様なひとは周りに居ない。

 

たいてい、氏の、

「あずまさん」で、

とうさんかあさん関係や書道関係のひとは

「俊作(しゅんさく)さん」や

「俊(しゅん)ちゃん」と呼ぶ。

親戚のひとは「俊(しゅん)ちゃん」と呼ぶ。

 

 

私を好きなら私がどう言おうが素直になって私を好きにすればいいじゃないか。

男性は受け入れられないけど。

 

私を好きな気持ちが、

私の言葉(私の屁理屈)に負ける位で、

私とやって行ける訳ないでしょ。

好きという気持ちはもっと衝動的だと思うけど。

私を好きという気持ちに、私が抗えるとは思えないけど…。

私を好きという女性には何故かほとんど出会った事が無いなぁ。

面と向かって言われた事無いし。

 

ヘテロとLGBTQ+には誰でも配慮するべきだ。

私が男性で、

「男性とは無理(ヘテロセクシャルだから)」

って言ってるのは本当なんだから、

そこは配慮すべきなんだよ。

人間として誰でも当たり前に。

 

 

アセクシャルって、

無性愛者って書くと、

性愛感情が無いのか、

無性(生殖器や生殖機能や性的魅力や性愛感情などを含めた「性」の全く無い者)への愛情しか無いのか、

わからない。

性愛皆無者 とかの方が表現しやすいかも。

 

同性愛者という枠組みでも、

男性の身体に女性の心だけど性嗜好が男性のひとが、

男性の身体に男性の心だけど性嗜好が男性のひとと付き合うと、

多分心の性が嗜好と異なるのでやがて歪みが出て来て別れると思うんだけど、

これは同性愛なのだろうか?

 

私は

男性の身体に女性の心だけど嗜好は女性なので、

女性の身体に女性の心だけど嗜好は男性の女性だと、

心の嗜好と異なるので付き合うのは難しいけど、

こう考えたらいいんじゃないだろうか?

 

私は、

男性の身体に女性の心で、

嗜好は女性の身体に女性の心の女性が好みで、

 

私と合う女性は、

女性の身体に女性の心で、

嗜好は男性の身体に女性の心の男性が好み

 

なのだろう。

嗜好も身体の嗜好と心の嗜好は異なるという事。

でも私を好きになってくれるひといるのかこれ?

私のタイプを好きになる女性はかなり少数派じゃないか?

幻聴「すごいなこれ…」

 

身体と心が女性で、

嗜好が身体が男性で心も男性の男性を好む女性だと、

私を好きにはならないだろうと思う。

純粋に、男らしさ、男臭さ、を求める女性になってしまうからだ。

私はそういう純粋な男臭い男ではない。

ぬいぐるみ遊びトカしてた様な心は女性的な、

身体は毛むくじゃらの青ヒゲの濃い男性なのだ。

顔が変態入ってる「ニャア専用」

会社で着てて反応してくれたのはふたりだけ。

f:id:fatimaria:20230624203037j:image
f:id:fatimaria:20230624203033j:image
f:id:fatimaria:20230624203029j:image

恵比寿顔を作ろうとして失敗したWのポーズ。

会社でこの服に反応してくれたのはひとりだけ。

 

例えばバイセクシャルの女性がいたとしても、

身体は女性だけど心は男性で、

嗜好は身体はレズだけど心はバイセクシャルの女性が好み

とか、

かなり複雑なひともいるのかも。

 

女性男性と決めず、

「個性」

と思えばジェンダー問題的にいいとNHKでは言ってたけど、

私の場合は

身体は男性、心は女性、

嗜好の身体は女性、嗜好の心は女性

と言うのは、

分かり易い。

実際の身体の性別と、心の性格の傾向と、

嗜好の区別において、

こんなにもはっきりしているのに、

個性という言葉で曖昧にされると、

私の

性格や嗜好には興味ない

と壁を作られた様に感じる。

安全圏に居る為に壁を作っておきたいのだろうか?

私ほど安全な男はあまり居ないと思うけど。

LGBTQ+への理解はあっても、

私の様なヘテロへの理解は必要ないという事だろうか?

それとも私の様な例は、LGBTQ+の内に入るのだろうか?

私は嗜好の対象が女性だからって、

男らしい男、男臭い男でもない、

女々しい男だ。

それはヘテロセクシャルという定義でいいのだろうか?

 

私は、

話した事がほとんどないから話題がわからないとか、

好きになりそうで恥ずかしいとか、

天邪鬼な態度とりそうとか、

嫌われるのがこわいとかで、

未婚女性にどう声をかければいいかわからないので、

基本的に

未婚女性とは距離を置いて、勤務の話しかせず、

男性と既婚女性や年上の女性が互いにその気が無くて安全なので話しかける事が多く、

ゲイと間違われる事があったかも。

 

男性と既婚女性と年上の女性なら、

好かれても恋愛じゃないし、

好かれなくても全然困らないのに、

 

未婚女性に嫌われると立ち直るのに時間がかかるもの。

未婚女性にフられたり嫌われたりすると、

私自身の価値が無い様な気がして傷つく。

私と合わない事は多分にあるだろう。

私と合わない女性はたくさんいるだろう。

でもそんなときなかなか割り切れない。

どうも私の心の中で、私の人間的価値と私の男性的価値が分けきれてないのだろう。

結婚したいけどなかなか自分でも未婚女性に近づけなくて…。

傷つくのがこわい…。

 

私の人間的価値は少しはあったとして、

私の男性的価値はあるのだろうか?

童貞の癖にち◯ぽ太いだけじゃん

トカ言われたらどうしよう?

(普通言わねぇよ。)

心は女性だから自分に男性的価値を求めなくてもいいのか?

 

かと言って自分に女性的価値はあるのか?

あったとして男性を惹きつけても意味ないし、

女性的優しさとかの点で言えば、

人間的価値とどう区別すればいいの?

 

今日は洗礼者ヨハネ(金星に乗る者)誕生記念日。