fatimariaの日記

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指輪。

私が持っている指輪は、一つを除いて、

かあさんが買った指輪だ。

 

指輪のサイズははかった事なかったのだけど、

ひとつ私の薬指にピッタリはまる無地の銀色の指輪(鳴門の地場産で千円で買った)があって、

その内径をはかってみると、

2cmだった。

つまり私の薬指の指輪のサイズは

22号

だ。

指輪がまわるくらい少し緩い感じだけど、

薬指の関節にいったん引っかかる位なので、

1.97cmだとキツいのかも。

そこら辺は専門家でもないし、一般的な知識も無いし、知らないんだけどね。

 

ちなみに私が常におメダイと共に持っている私が買った指輪のサイズは内径1.7cm

13号

だ。

他にかあさんから貰ったフクロウのラピスラズリの指輪は

内径1.74cmの14号

 

かあさんが「俊ちゃんにはこれ。」と選んだという、かあさんの死後伯母から渡して貰った2匹のうさぎのムーンストーンの指輪は

内径1.64cmの11号

とりあえず母からのプレゼントなのでだいたいいつも持っている。

 

何故私への指輪がそのサイズかと言うと、

私の銀色の指輪の内径サイズを聞いて、

かあさんが病床で見ていた

テレビショッピングの通販の指輪に、22号が無かったかららしいのだ。

(そりゃそうか)

でもうさぎ年の私にはこれと決めたかあさんの気持ちを汲み取って、伯母がきちんと私に渡してくれたのだ。

 

私が持っている指輪はそれ位だ。

 

 

何年か前、

既婚者のバイトの先輩に、

「(あずま君の)指輪のサイズなんて知らんよなぁ…。」

と聞かれて、

私「お…俺のサイズですか?」

先輩が頷く。

私「いや知らないですよ。指輪作った事ないもん。」

先輩「そうやなぁ…。」

と困った顔している。

どういう意図でそれを聞いたのかわからないけど、

誰かを私にプロポーズさせたくて言っていた様な気がして、ちょっと残念な気もしたけど、

じゃあはかってみようよ とかいうノリの積極性も見られないし、

先輩にとって特に重要な問題でもなさそうな気もしたのでその場は流した。

 

でもそれから、私の指輪のサイズっていくつだろう?と考える様にはなった。

 

 

左手薬指への結婚指輪の儀式は、古代からのものらしい(昔は家の鍵が指輪だったらしいけど)

離婚が許されていないカソリックでは左手薬指

離婚が許されているプロテスタントではだいたい右手薬指に結婚指輪をするのがならわしらしい。

そういうと左手薬指に着けたくなるよね。

左手薬指はガブリエルが嫉妬を司る月の領域。

右手薬指は傲慢を司る木星の領域。

入って来た西洋キリスト教文化はカソリックが基本だったのかも。

なのでだいたいの日本じんの一般的な常識では左手薬指に結婚指輪をはめるのが通例になっている。

国によって結婚指輪をつける場所が異なる。

 

私は妻の両手薬指につけるつもりだ。

私の編集した絵にはだいたい両手薬指に着けている。

 

アレクサンドリアの聖カタリナは夢に聖母とキリストが現れて、

聖母がキリストに「あなたはアレクサンドリアのカタリナを嫁として迎えますか?」と聞いて、

キリストは、

「いいえ。彼女はそれほど美しくはありません。」

起きてから彼女は不思議に思って、それほど美しくはないとはどういう意味か悩んだ。

カタリナはキリスト教の洗礼を正式に受けた。

するとその晩にキリストが現れて、カタリナを花嫁として迎えると語り、彼女の指に指輪をはめた。

夢から覚めたカタリナは自分の指に婚約指輪がはめられている事に気付いた。

それほど美しくはないというのは、洗礼を受けていなかった事を示唆していた。

カタリナは終生をキリストの妻として暮らす事を誓ったという。

キリスト教にはそういう伝説がある。

その為、

修道女は修道女になるときに指輪を渡される。

キリストの妻としてそれからを過ごす為だ。

オードリー・ヘップバーンの映画「尼僧物語」に指輪のシーンがある。