fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

音楽

とうさんかあさんはノートパソコンを好んで買う。
私は据え置き型のスピードでないとイライラしてやってられない。
かあさんは持ち運び可能なCDラジカセを買う。
私はONKYOさんのウーファーとサラウンド音声のAVセンターに分配する、
レコード
カセット
MD
VHS、S-VHS、DVD、DVD-R、DVD-RAM
TVゲーム機
をセット。
今はプレステ3はリビングのテレビに繋いである。
AVセンターからそれぞれのスピーカーで聴くよりも、一つの機械で擬似サラウンドの方がいいと最近思う。
この部屋内装の配置がえしてからスピーカーをきちんと配置してないので、AVセンターの意味が無い。
 
携帯音楽プレイヤーはiPhoneで事足りる。
興味ないので、邦楽も聴かないし、洋楽も聴かないし。
 
そういやAKB48の歌とか、曲名一つも知らない。これは明らかに興味無いって事だよね。私はアキバ系じゃないのかな?
でもモーニング娘とどう違うの?別にAKB48のみんなは「声優さん達」なわけじゃないんだよね?ゲームソング専属、アニソン専属でもないよね?
AKBである理由がはっきりしない。地方地方から出てきてアキバっ娘でもないよね?
意味わかんない。一般人向けの普通のアイドルグループとどう違うの?違う部分はアキバと関係あるの?どの辺がアキバ?
みんな情報に踊らされてる。
アキバ系ならみんなコスプレすればいいじゃんか。みんなスポンサーになってくれるよ。
AKB48AKB48用の衣装しか見た事無い。
そういう中途半端なところがオタクの私が聴かない結果になってるんだと思う。
思い入れのとっかかりが無いんだ。
 
私は邦楽も、洋楽も、興味無い。
昔からゲームミュージックのCDとかばっかり買ってた。兄の影響で邦楽も買ってたけどね。
魍魎戦記Madara2 オリジナルサウンドトラックの
「マダラ2のテーマ」は気に入ってたなぁ(めっちゃ東洋音楽やし。いい曲だと思う。)。
ゲームミュージックって基本的には歌じゃなくて恋愛あんまり関係ないから、余計な人間関係の細かい事関係なく聴けるからね。
エニックスアクトレイザー1のPsalmとTownも気に入ってたな。
スクエアのファイナルファンタジー6のティナのテーマとSearching Friendsも気に入ってたから、
私は多分透きとおるようにのびる笛の機械音が結構すきなんだろう。東洋西洋にかかわらず。
フルートとかは吹奏楽みたいな破裂音だからゲームミュージックのあんないいリコーダーみたいな音出てない。
 
笛に息の風を通す感じ。「吹く」んじゃないんだ。私は息継ぎに気付くと息継ぎの気の変化で精神状態が不安定になる。
だから機械の笛の音は凄く安心して音ののびを楽しめるんだ。吹いてないから。
演奏者が実際に吹いてると、息継ぎと、演奏を間違えないかと、音をとちらないかがハラハラ気になって音楽を安心して聴けない。
だからコンサートやライブより、CDの方がいいんだ。
でもCDでも笛の息継ぎに気付くと気になって安心して聴けない。
 
私は自分が歌うとエネルギーが外に抜け出て行くのがわかる。
それで途中で苦しくなって歌えなくなるんだ。
息継ぎしてもエネルギーが身体に戻らないんだ。多分酸素とは違う。
漠然と言うと、「気」だと思う。
ひょっとするとこれは漫画「ふしぎ遊戯」のあみぼしと同じような感じだろうか。
あみぼしはマウストゥマウスで相手にエネルギーを吹き込める。
 
私は「気」の練り方を知らないから、「気」が自然に発生するのを待っている。
他が笑ったり、まわりの電化製品が起動したりすると、自分が歌ったときみたいに私のエネルギーが抜け出て行くのがわかる。
ドラクエとかのMP(マジックパワー)みたいに消費したら消費したまま。基本的には眠るまで回復しない。
歌もこれが当てはまってて、歌える曲の数ってのがだいたい決まっててそれ以上歌うと声が割れたり、声が出なかったりしてくる。高い音から出なくなってくる。
私は気が満ちているときだけオクターブの広い高い声から低い声まで出せる。だんだんオクターブが狭くなって歌えなくなってくる。私は気を放出して歌ってる。しゃべってる。
だからできればできるだけしゃべりたくないし、歌いたくない。
でも気を溜めておいてもいきなりまわりのひとのおしゃべりや車の行き来だけで気を奪われてしまう。
気が枯渇してるときは、傍に誰かがいてしゃべる、あるいは呼吸しているだけで、私がエネルギーを奪われてしんどいのだ。
みんなしゃべるのにまわりのエネルギーを使ってしゃべっている。私はそれに気がついた。だからみんなしゃべっている事に注目できるのだ。
この吸収型のしゃべりのひとは、ひとを欠けさせて、ひとを足りなくして惹き込めるので、吸引力が大きいひとほど魅力的にうつるかもだ。
でも私はそういうタイプが傍にいると動けなくなるくらい瀕死になるかもだ。
 
アニメ初期「エヴァンゲリオン」で、出産の天使が攻めてきたとき、アスカ・ラングレー「私…汚されちゃった…。」
というシーンがある。
これはゲーム「ファイナルファンタジー7」のティファのライフストリームに包まれたときのセリフ
「入って来ないで!」
気やデータが入ってくるのが、汚された と感じる。
じゃあ呼吸は?食事は?視覚、聴覚、嗅覚、味覚、は?これデータ入ってきてる。
私はこれをできるだけ止めようとしている。
理由は、「美しいもの、いいもの(いい影響)だけ入れたいから」。そしたら汚されたとは思わない。
人間を区別するとき、視覚的部分が大部分を占める。
一般人も感じたくない。
精神科医とその事も話した。
精神科医「私やもそら見た感じ(醜かったら)ウッってなるときはありますよ。でもそれを忘れるぐらい他の事に考えを切りかえられますからね。」
私は美に拘り過ぎている。排他的要素が病気の域だ。
スクエアのゲームボーイの作品「サガ2秘宝伝説」の中ボスのヴィーナスと同じだ。
美しいもの以外価値が無いと思ってる感じがある。
 
ゲーム「ファイアーエムブレム」では、私のプレイでは、
かっこいい、きれい、かわいい、美しい、
どれにも当たらないキャラは登場時からデータ確認もせずに二軍落ちとなる。
老齢者もキャラデータ確認もせずに二軍落ちだ。
あのゲームは戦闘に登場させる事ができる一軍キャラの総人数が少ない。
だったら、
若い、かっこいい、きれい、かわいい、美しい、でかためる事になる。
上見て気付くと思うけど、渋いは無い。
 
ドーガとか、ジェイガンとか、はじめのマップに出ていて戦えても、一回も使わないでクリアする。武器ははじめから他に全部渡すのだ。実質戦えなくしておく。強くても戦力外通告だ。
 
スポーツ選手とかでもスポーツの成績がよくても、ニュースでアップになったとき顔やスタイルが悪いと応援したりしない。応援するかしないかを、見た目だけで決めているのだ。
性格などは注意深くそのひとを観察していないとわからないからだ。
ニュースで出てるだけのひとを、何故応援するだろうか?
 
自分は鏡見ないと見えないから最近全然身だしなみに気を使わないけど、
見えるもの、聞こえるものの「美」を少しでも妥協すれば、必ず妥協点がパンパンに膨れ上がってきてそれだけしか見えなくなってくる。
妥協できない。
相手が人間ならそんなわけにいかない。
人間にはいろんな状態があって、そのイレギュラーを楽しまなければ付き合っていけない。
 
私は自分の絵に、「これでいい。」と満足したところまで完成させた事が一度も無い。
際限が無いので途中でタイムリミットでおいておくのだ。
これは妥協に入らない。本腰も入れてないテキトーに描いている。
私の絵は上手くなっていない。「ここがうまい事かけた」ぐらいなら、高校のときとそんなに変わってない。
ひとの動きは木でできてるみたいにかたい。
以前のHPの絵を見ても、前向いて直立してる絵が多い。
絵描きの登場人物の描写はそのまま自分の状態を表している。必ず自分が素っ裸に出る。専門家ならカウンセリングだってできるだろう。
私の心の動きは前向いて直立しているのだ。ガチガチにかたい。あらゆる融通性がない。
 
太陽神サヴィトリ(ビーナーを弾く弁財天サラスヴァティー)は、恒星なので放出タイプの歌い手だ。
陽の気。火星である梵天との夫婦だと、最も陽の気の、午の方角(真南)には持って来いの主宰者となる。
 
ところが私が歌ってるとすぐエネルギー切れするのは、放出タイプの源が不完全だからだ。
月の位置の放出型の陽の気に反して、
私の産まれ日の四柱は「全部マイナス」の「七曜五行グランドクロス」となっている。吸収型のマイナススパイラルなのだ。これでもかと言うぐらいマイナス。
 
木星海王星は女性を得るのに積極的だ。でも私はヘタレだ。
軟派師の木星には千手千眼の一が、
レイプ魔の海王星にはシメオンが、
それぞれ相殺としてついているからだ。
 
5月14日の方はというと、氐宿(ヴァイシャーカーの月の満月の日)で、
氐宿の主宰はインドラとアグニ、帝釈天と火天、木星と金星だ。
十五夜の主宰は祖霊(ピタラ)。アルヤマン(アーリマン。帝釈天)の事だ。木星
守護星はお牛座との境目、お羊座の「天陰」あたりに太陽があるので、火星(マーズ)だ。
 
帝釈天、火天、マーズ。
木星、金星、火星
これはサイクロンの星々だ。
 
天秤座が火星の韋駄天スカンダなら、西洋と東洋でいきなり主宰補完できてしまう。
アグニはスカンダの父だからだ。
 
マイナス
吸引のマイナスが源になれば、ひとびとを惹き込んでみんなからエネルギーを吸い上げて放出するタイプの歌い手、しゃべり手になってしまうだろう。
でも私は私のあらゆる象徴をひとつひとつ厳密さをもって補完した。
発動して不安定にならないように封印(シール)暗示してあるとも言える。
みんなの気を食って足りなかった部分を埋めたのかも。みんなも食事で食品からそれをしている。
みんなの気で埋めたからみんなとの気の境界が無くて、気を身体にひきとめておけないのかも。
食われるような気の激動がしんどかった。
おととし、去年、今年、と、
漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のホーリーのスタンドみたいにはっきりとバックファイアしていた。
 
お風呂で歌いたいから歌うのはかなり気が充実してるときだ。気が塞いでるときは歌えない。
ネガティヴな感情のときネガティヴな歌を歌うと非常にマズい。バンシーみたいにまわりに悪い影響が出る。
入院前に幻聴に怒鳴りつけてたとき、かあさんが折れそうに弱まって倒れた。
私はいい影響を受けないとまわりが被害を受けるんだ。バイクはマズい…。どうにかならないか…。
 
補完は動力にはならない。
安心させて鎮めてしまう。
 
アニメ「Kanon」の舞は、自分の力を有益に制御できずに魔物を生み出してしまう。
魔物を倒すごとに自分の力をひとつひとつ相殺して行く。
この魔物を倒して力を失った状態が、アニメ「涼宮ハルヒの消失」のあるキャラとハルヒの状態に似ている。
 
封神とは使えるものを使えなくする事。