fatimariaの日記

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大気の変化

私は流れを身体で気付く。
 
漫画「風の谷のナウシカ」で、
ナウシカ「醜い船。風を切って走る。」
というセリフがあって、いつも乗るメーヴェが風に乗って飛ぶ乗り物なのに対して、風を切って走る飛行機を「醜い」と表現している。
これを読んだとき、凄く苦しかった。気が収縮するのを感じた。
 
私も大気の変化に気付く身体になってしまった。
昔は「何故調子悪くなるか」に気付かないで調子悪くなっていたけれど、今はその「何故」に気付いてしまっている。
 
悟空とかかわるうちに気の変化にスカウター無しで気付くようになったベジータが、「お前らの甘さがうつっちまった」と泣くシーンがある。あれを読んで、思った。
 
気の変化に気付く身体は、本当に疲れるのだ。
私はその気の変化を止めようとしている。不快だからだ。
私が気の変化に反応しているというより、私の気は境界無くまわりの一部になっており、私はそれが不快で、出入りする気の変化を頑張って必死に止めようとしている事にいつも気づく。
 
ので、バイクが来ると、ひっかかるのだ。
少し前に気が私から流れて行って、あるいは心が乱れて、から、
冷蔵庫が動き出す、パソコンが起動する、誰かが笑い出す、バイクが来る、など、何かが、誰かが、動き出したり事が起こったりする。
目覚まし時計が鳴る数秒前に起きるのは、目覚まし時計にエネルギーが吸われてから、目覚まし時計が鳴り出す。
定時のアラームもそうだ。
時報が鳴る少し前に心が乱されてから、時報が鳴るようになっている。
そんな寸前の、「具体的に何が起こる」とかいうのが知らされない感知では実際の役に立たない。
 
たとえばバイクが来る とかいうのが「必ず事前に気付ける」のであれば、爆音に備えて窓をしめるなどの対策ができる。
 
役に立たない無駄な能力は生かせないのでは害になっているだけなのだ。
 
でも台風が来ると何故かわくわくする。テンションが上がる。
 
かあさんは雨が降る前は気圧の変化からか、とても肩が凝るという。降り始めたらスーっと肩こりが治る。
アレルギーのひとは正確にアレルゲンに反応する。
生かせる能力なのだ。でも今のところ役に立っていない。害になっている。
 
人間も含めた「自然」が奏でる調べに、反応してしまうのだ。
誰かが笑うときに笑う為のエネルギーをまわりから吸って笑ってるなんて、誰が思って笑ってるだろう?
でも私は気付いてしまったのだ。
だからあまり笑わなくなった。
 
格闘アクションゲームで、技を出すときに実際に自分の気を溜めてから出してるものは弱い。
もっと機械的に操作した方が強い。
でも私はいちいち自分の気が左右されてしまうのだ。
 
スポーツを観戦していて、試合に一喜一憂するひと達は、試合に集中している。
私は一喜一憂できても、普段でもまわりの雑気も全部感知してしまう。凄く疲れるのだ。
私以外誰も居ない方が疲れない。
 
私は無意識にまわりのひとの動きを常に見張っているのだ。
 
サッカーとか野球とか長くて見てられない。間がもたない。見てる間じっとしてるなんて苦痛で仕方ない。
ふと、観戦してる他のひとを観察、監視している事にいつも気付く。
全く試合に集中していない。
阿波踊りもだ。踊りなんて見ていない。映画館もそうだ。レストランもそうだ。
まわりのひとが気になって座っているのが苦痛なのだ。
 
兔のように縄張り意識が強すぎてストレスになってしまっている。
 
仕事も同じ感じだ。最初の勤務は覚えたらひとりでする勤務内容だったので順調にできた。
次の勤務は手伝わないといけないのに自分の事に追われて私が少しも手伝わないから、みんなに、一緒に勤務時間を過ごすのが気に入らないと言われた。
別の勤務は数人のチームでやるから、意思の疎通は怒声で言われる事が多い。荒くて耐えられない。
 
私は一人仕事の方がはかどるのは確かだ。寝食を忘れて際限無く仕事に没頭してしまうだろう。
いつもかあさんに「限度を知らないから困る。」とよく言われる。
孤独に強いというよりは、子供の頃からひとりでこもってる方が安心で楽だったのだ。
活動的なアウトドアのアキバ系というよりは、部屋でひとりのオタク。
外出が苦痛。
外出の用事はまとめて片付ける。
部屋でいかに快適に過ごすか。というところがオタらしいところだ。