アメリカと中国が美しいという意味の「俊」で、
俊という字が「丑 (醜い という意味)」の反対の意味というのは、
英語ではなく、
中国語の漢字。
「丑」が「醜」の字のかきかえなのはそんなに昔の事ではない。
私の名前は俊作だが、丑の刻の産まれだ。
中国から見てアメリカが美国。
「俊」が、「美」や「米」や「未」である理由は、
中国語の漢字の基準なのだ。
十二支も東洋の基準。
アメリカが中国と同じ、黄色の、皇帝の中の方角「未(蟹座のプレセペ)」であると考えた理由は、
アメリカの国鳥が鷲(福音書記者ヨハネのエムブレム)である事もあわさっているが、
漢字の法則性で
未の意味が「美しい」
アメリカが「美国」
であるからであって、
中国を中の黄金の龍に考えなくもないけど、今はもう皇帝は居らず、
中華(中夏)なので、正午と同じ「午(馬)」とも考えられる。
獅子座の方角なので「眠れる獅子」と呼ばれていた、今は「目覚めた獅子」。
なので中国は「赤色」が好きなのだ。
なので
アメリカが真ん中の皇帝にあたり、
中国は南の朱雀にあたる。
中国はすでに皇帝を捨てて、
皇帝の色の黄色や金色ではなく、
社会主義の赤色を好む。
世界の真ん中(黄色)はアメリカであり、
中国は中国なのに中華人民共和国なので南の方角の中夏となる。
中国は中の土用ではなく、
「夏の真ん中(夏至)」「正午」。
朱色と赤色は異なるかもだけどね。
夏 には「中国人」の意味の他に、五行全部の色の意味もある。
(しかし
中華のカはhua
夏のカはxia
)
華にも美しいという意味はあり、
花、花が咲く、ひかり、かがやき、うわべ、みえ、すぐれた、りっぱな、中国の自称。
草木の花が美しく咲く という意味がある。
ファティマの称号 「ザハラ」に似た意味となっている。
アズハル、ゾハル、ゼファル、ゼピュロス
色々呼び方はあるが、
女やもめに華は咲き、男やもめに蛆がわく。
聖書「明日は炉に入れられる花さえも咲き誇る。」
どんなに華やかでも、花が美しくても、時間が経って萎れたら棄てられて燃やされる という事。
中国は中華なので美国であるはずなのに、音写なのか、中国自身がアメリカを美国と呼ぶ。
「美」は大きい羊が肥え太って美味しそうである事から、「美」という字になっている。
「俊」は肉を食べられてしまう事が前提で「美しい」のだ。
華は色や花びらのゴージャス加減だろうか?
うわべだけの華やかさ、
見た目だけの華やかさ。
美とは少し異なるだろうか?
美(mei)
うまい、うつくしい、うるわしい、きりょうがよい、りっぱ、よい、善、よくする、美しくする、ほめる、よみする。醜いの逆。
やっぱり「飲食」に関する意味が大きい。
華は「花」の意味が大きい。
アメリカ(美国meiguoメイクオ)にも皇帝は居ない。
アメリカ合衆国という「国」が皇帝なのだ。
世界の真ん中。
中国の旗は星5つだが、
軍事力の火星は南の方角の朱雀(池、湾)になるが、
中の皇帝(アメリカ)の為の軍事力なのだ。
中国は1番栄えている夏の方角の真ん中であっても、皇帝(アメリカ)に仕える朱雀という事になる。
朱夏より若い青春(ジャパンブルー)より栄えているのが朱夏で、
「夏の終わりの土用の未の日」が正しく一年の真ん中の、五行で黄色の皇帝の日。
夏と間違ってるから鰻が漁獲出来ないのだ。
丑は山羊座なので、山羊座の守護星が土星である為に「土用の丑の日」と注目されたが、
本来は「山羊座に太陽のある時期の土用の丑の日」が土星の影響が強い日なのだ。
なので中国の終わりにアメリカが位置する。
別に何処ひいきとかではなく、法則性を述べている。
ファティマの称号ザハラとしての意味の美しいは華や花だが、
私の名前「俊作」としての「俊」の意味は
「丑(醜い)」に対して
「俊(美しい)」だとすると、
肥え太った未(ひつじ)の「美」の意味もあるわけで。
そりゃ私は美術の方に進むよね。
肥え太って美味しそうなのは見た目に美味しそうな訳だから視覚的「美」味覚的「美」
空腹(食欲)を満たす的「美」。
ファティマがぱっと花開くザハラでも、
千手千眼観音が餓鬼道救済観音であるならば、
どう考えても「食品関係」、特に「羊酪農家」や「羊料理人」等が考えられるのに、
私は絵を描いている。
私は美味しい羊肉ってまだ食べた事がない。
羊肉の味と少しだけパサつくような食感が、美味しいとは思わない。
やはり和牛肉やマグロの方が美味しく感じる。
羊料理はまだまだ無理だ。
未より丑の方が美味しいってどーゆー事よ?