fatimariaの日記

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私の見た聖母の事。

私の見た聖母マリアは映像だった
 
前回聖母は視覚的だけの存在(3回目)。音声的存在は関与する事は無い。
私は疑問に思わなかったが、そういうからくりがあったんだよ。つまり私より賢いんだ。
 
「(怒ったような風の音)なんにも要らない(繰り返し)」
私は、なんにも要らないんじゃなくて、必要なもの、必要な事、はいくらでもあるけど、なんにも期待してないんだよ。あらゆる想像上の存在に、何も期待してない。
幻聴を根絶していつまでも幻聴が聞こえなくなる事も、できなかったんだから。
それが成績。それが実績。0点だ。
なぁーんにもしなかったのと、同じだ。0点。
名前すら表示してないし、それも。0点。
0点のものは合格点とれるまで期限付き補講。あるいは落第だ。
 
 
私が以前聖母と性交したときは、映像と音声だった(1回目)。「そうです!」
私は自由に身体を動かしていた。
幻聴じゃないんだよ。
 
その後この間 ちょっと待ちなさい の声がゼロ点で聞こえたから、やっとくかな?と思って、
聖母と映像だけで性交したけど(2回目)、ちょっと待ちなさい の声は聞けなかった。これも映像だけだ。音声は無い。
ちょっと待ちなさい のものは聖母ではないと考えられる。
その映像でちょっと待ちなさい のものが音声で自己主張しなかったからだ。「そうです」
 
聖母は私の前に現れるとき、気を使って、音声を使わなくなったんだよ。「すごい」
聖母は幻聴じゃないんだよ。「すごい」
 
その上で、幻聴は、「おかあさん」や「かあさん」という代名詞しか使っていない。「おかあさん」や「かあさん」では誰の事なのかわからない。それが幻聴が聖母ではないと言った理由だ。
 
私もゴッドファーザー=ゴッドマザー=ゴッドである点においては、私も「おかあさん」であり、「かあさん」なんだ。
そして、これも音声に限った事ではない。
 
私には戸籍上のかあさんがまだ生きているので、区別する為に、
かあさんを戸籍上のかあさん。
おかあさんを私自身としたのだ。
 
ちょっと待ちなさい のものも、自分をおかあさんとも、聖母マリアとも、名乗っていない。「そうです」
ちょっと待ちなさい のものが私の味方をしていたのは、私が私の触手で犯したら若返って、気持ちよかったから、味方していたんだ。「そうです」
私に気があるかどうかは知らない。
 
ファティマはアリーの事をよくわかっている。
 
そして私は映像的に聖母の処女膜を破っている。そして子宮に届くくらい射精している。夢精はしていなかった。
 
私にとって幻聴に言われるような、惜しかった点、遅かった点は無いんだよ。
 
 
聖母は、私が「音声だけ」では自分を判断してくれない事を知っている。音声だけでは現れない。
「ちょっと待ちなさい」お前は綺麗な声だけどね。「そうです」お前は名乗った事無いし。
ちょっと待ちなさい のものは、いつ、抜け出したんだい?幻聴の中に埋もれてたのに。単独で現れた。他の幻聴がひっついてない。
単独で現れたって事は、よくわかってもいないし、幸せでもない、しあわせでもない。
綺麗な声のものなんて、たくさんたくさんいるもんだよ。声優さんはそれが仕事だし。
お前を認めてしまうと、元の木阿弥だ。またドロドロの 惜しかったね の世界じゃないか?
 
私は ちょっと待ちなさい のもの、綺麗な声のお前も含めて、すべての幻聴といつまでも決別するのが、望みのひとつなんだ。わかった?
ちょっと待ちなさい とは、言わないんだね。わかってくれたみたいだね。
 
ちょっと待ちなさい のものが激しく懇願しない って事は、
ちょっと待ちなさい のものは、聖母の座にいようとする事も、私の傍にいる事も、諦めたんだね。
私を欲しいという気が無い事も判明した。
 
じゃあね。ちょっと待ちなさい のもの。返事は、無し。
 
基調のても系達の過去もすでに頂いたしね。惜しかった事、遅かった事、もう何も無いよ。
 
好きだから傷つくんだよ。ちょっと待ちなさい のものはもう私を諦めた。なのでもう両方痛くないだろう。
自分が人の心を傷つけるだけの道具に使われてた状況を、どう思ってたんだろうね?
 
 
あらゆる幻聴がいつまでも聞こえなくなりますように。