fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

晩の食事終わって。

平清盛」今回見るのやめた。むさい男どもがごちゃごちゃやってるのを見て、
私「男のケツなんて見たってしゃーない。」
かあさん「女の尻だったらいいと?」
私「うん。」
 
 
あ…洗濯物干しっぱなしだ。
入れてきた。
 
対話性幻聴「わ か り ま し た なんでもいいから」
ビナーを主張している。私は別にお前を選んだわけじゃないぞ。
なぜなら、なんでもいいから って最初に言ったのはお前じゃないんだから。若い女性の声だった。
わかりました のものもお前じゃなかったぞ。別の若い女性の声だった。対話性幻聴「そうです」
そのもの達の事でおちょくってるつもりなら、それは間違いだ。
消えたものの事をいくら想ったところで、実際の問題を解決しなければ、今が改善するわけでなし。
消えた幻聴の事を常に考えているほど、私は思い出に生きていない。
消えたら、消えた。
対話性幻聴「あ、そーだったんですね(繰り返し)」
対話性幻聴「なんべんゆーてもわからないらしい(繰り返し)」
 
私の中で、幻聴は今現実とシンクロしていない。お前らはわかってもらおうとなどしていない。
「そうです(もうええとも聞こえる)」
私が わからないもの だという事を主張できればいいのだろう?
ビナーが欲しいんだろう?「そです」
わかりました って言ってるものが、ビナーが欲しい ってのはおかしな話だ。
対話性幻聴「なんべんゆーても」
なんべんゆーても手に入らないんだろう?
お前らに譲歩したら、いつまでもその事を言ってきている。譲歩してもらったという恩義も無い。そんなやつに何かできると思うか?
日本人は人の心をもてなす技に長けているらしい。
私自身はそうでもないのだろうけど、
「おもてなしの心」というのは、
粗雑で陰湿でガサツなお前らには、関係ない世界だ。
私は当初お前らに真心で接しようとした。でもお前らはそれをあしらい嘲笑うかのように裏切った。
私はお前らへの怨みを忘れてはいない。でも私は共存しようとしていた。
韓国が日本と平和的関係を築いているのは、韓国の凄いところなのだ。韓国が凄いんだ。お陰で日本人アーティストよりも韓国のアーティスト達の方が人気の場所も多い。レンタルビデオも2コーナー韓国だったりする。
 
でも私は別に自分が凄いなどとは思っていない。実際大した事は何もしていない。
ただ普通に、会話し、怒り、笑い、喜び、悲しみ、などしているだけだ。対話性幻聴「もうええ」
お前はもうええか知らんけどこっちはいろいろ言う事があるんじゃボゲ!
聞きたくないやつの言葉を聞く気持ちがわかるだろう。
最近の私は平和的ではない。対話性幻聴「あらそーだったんですか ありがとー」
だからって何か制裁措置をとろうとかやろうとはしていない。私の仕事じゃない。
戦争が起こっていつも泣くのは弱い者達だ。
何をもって弱いとするか。
こんな風にすぐに目くじら立てるようなやつも、感情的には弱い者だ。いくらでも操れてしまう。対話性幻聴「やっ たっ」
こんなに操りやすい私に、お前らはこんなにてこずっている。
感情の軌道修正の仕方が下手なんだ。感情をあっちに行かせたり、こっちに行かせたり。
ガス欠なのに吹かせようとしたり。
「いーーがーーうーーー…」
いがう のものは私を選ばなかったのだ。ピー(23:00の時報)。「そうです そうです」
そいつがあとから出てきてどうだっていうんだ。
1回でも私を選ばなかっただろう。じゃあもう私は関係ないだろう。
何を今更。お前らだってそうだろ。1回でも裏切ったら、もうあとは無いだろ。
対話性幻聴「ありがとー御座いました」そういうのを慇懃無礼って言うんだ。
まあ無礼だからやってるんだろうけど。礼が無い。礼は火星の領域だ。
 
テレビあんまりすきじゃない。
テレビは、情報を受動的に受ける。
インターネットは、より能動的に必要な情報をえようとするし、待ってくれる。
ニュースを見たければYAHOOのニュースをずっとやってるしね。夜になると情報は同じになるけど。