fatimariaの日記

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「父」について。

寝てたら聞こえてきた。
「先生のお陰でジュースだー!って言ってたよ」
って聞こえた。
ラボニ(ラビ)が居たからって事?
それとも中国語で先生(Mr.)?
まあ日本語で先生って言ってるんだから、先生なんだろう。
ラボニ(師匠、「先生」。キリスト者はキリストの事を言う。)と、
お稽古の先生みたいな「先生」と、どっちだろうね?
ジュースって葡萄ジュースの事か?
 
1コリント
12:27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
12:28 そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。
12:29 みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。
12:30 みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。
 
新改訳も新共同訳も、「教師」となっている。これは明らかに「先生」の事ではない。
キリストが「先生」で、からだの第三が「教師」なのだ。
というわけで、「教師」と呼ばれる事は禁止されていない。
 
また一眠りした。
それから右の背中が痛い。
心臓じゃないんだな。
日本人が、牧師とか、神父とか、
教育者を先生と定義したのはキリスト教文化を進めない為(教理をまもらせない為、諦めさせる為)の言語魔術的言霊結界だ。
 
新共同訳マタイによる福音書23:8
だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。
また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
 
これも日本でのつまずきの石。隅の親石に立ち向かおうなど意味の無い事だ。
セフィロトの木では、これを解決する為に、
天 に、地球以外のどの惑星もの先祖のうち男の先祖であるウラノスを置いている。
しかし実際の天とは宇宙の事。ビナーが天なのだ。
キリスト教で父とは、当然アダム(土星)の事で、
キリストや預言者が自分の事を「人の子(バルアダム。アダムの子)」と呼ぶのは、ただ一人の先祖がアダムだからだ。アダムをかたどってセツ(セト)が作られたなら、我々はエヴァ(ハヴァー)の子孫ではないのだ。
「そうです」
「かたどって作られた」なら「神々」も先祖になるが。
ギリシャ神話で言うパンドラ(「すべての賜物を持った」)とは、アダムの事。
アダムが土星ならこの「神々」とはガイアとウラノスという事になる。「そうです」
この辺がややこしいところで、人の子ならアダムの子。
天の父なら?
ちなみにウラノスはガイアひとりで産んだ子で、ウラノスに父は居ない。
天の父って?
ウラノスは尻尾人?
人間にも尾てい骨はあるけどね。
男性は真ん中に尻尾生えてる。
ちょんぎるのが受精だ。
まあセフィロトの木の思想があるからって、混ぜてても仕方ない。
バルアダムなら父はアダムなのだ。
地上の者を父と呼んではならない。…か。キリストの教えはキリストに返しなさい。
 
新共同訳聖書マルコによる福音書
7:10 モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。
7:11 それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、
7:12 その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。
7:13 こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
 
新改訳聖書マルコ書
7:10 モーセは、『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言っています。
7:11 それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
7:12 その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。
7:13 こうしてあなたがたは、自分たちが受け継いだ言い伝えによって、神のことばを空文にしています。そして、これと同じようなことを、たくさんしているのです。」
 
口語訳聖書マルコ伝
7:10 モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
7:11 それだのに、あなたがたは、もし人が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、
7:12 その人は父母に対して、もう何もしないで済むのだと言っている。
7:13 こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている。また、このような事をしばしばおこなっている」。
 
人が、父または母に向かって。…ね。
新共同訳では意味合いが異なっている。
新共同訳は巧妙に意味合いを捻じ曲げている。
これはコルバンがお供え物としていて、父と母にはお供え物以外の事もせよとしているのだ。
幻聴は、「捧げ物か。くだらない。」と言っていた。幻聴が神かどうかはおいておいて、
神にはお供え物など要らないのだ。どうせ食べないし。焦げを残すだけ。なめるだけ。
汚物も、
料理も、
火で焼く。
捧げ物が「愛」のすべてじゃないだろうという思想。
「燃えるゴミ」はゴミを火に捧げているのだろうか?
ゴミは要らないからゴミなのだ。
 
信者が聖書で不義の世界(コスモス)と呼んでいる火。
火が神だ、バプティスマ(洗礼)はenだ、と聖書で言っているのは信者で、これはキリスト教の教理にはなる。
 
だけど、
キリストの言葉として福音書に残る言葉には無く、
キリストは父なる神と自分の事を、
罪に定めないen(1の中性形。「中に、間に、よって、で、に」の意味。)だと言っている。
enは「中に、あいだに」。接着剤だ。
 
マタイ23:9にこんな記述がある。
あなたがたの父は天の父おひとり(エイス)だけだ。
eis(1) なぜなら ~である あなた その 父(パテール) その 天の(オウラニオス)
天の父はエイス(eis)であると書いてあるのだ。
 
マタイ19:17
 
口語訳聖書マタイ伝
エスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
 
新改訳聖書マタイ書
エスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」
 
新共同訳聖書マタイによる福音書
エスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
 
善い方、良い方、よい方(agathos)は、エイスだけである。と書いてある。これが罪に定めない方。
enもeisも罪に定めないのだ。
 
enは両性形でも無性形でもない。中性形だ。
中性ってかなり難しい定義だ。
どちらもの性の特徴があるなら両性だし、どちらもの性の特徴が無いなら無性だし。
人間の性の特徴は、あるかないかぐらいはっきりと区別できる。
未熟でもあるなら、あるだろう。
機能がないなら、無いだろう。
どちらの特徴とも言えない中間の特徴だけがあるのが、中性だ。
父と呼んでいるのだから、男性なのだ。
でも中性なのだ。→ 宦官やカストラートのような、ニューハーフ。
でも俗に言うニューハーフは手術して女性のようになった男性で、
ユニセックス的中性とは異なる。
 
中性はどちらの特徴も無いのに、中間の特徴だけある、別の構造の性なのだ。
 
    両性
男性 中性 女性
    無性
 
インペリアルクロスの完成だ。(ちゃうだろ)
 
ヒゲが生えていれば男性の特徴が「ある」。
ペニスが生えているなら男性の特徴が「ある」。
クリトリスとしての形なら女性の特徴が「ある」(尿道が繋がっていない)。
乳房があれば女性の特徴が「ある」。
母乳が出るなら女性の特徴が「ある」。
子宮や卵巣があるなら女性の特徴が「ある」。
これらが一切「無い」のに、無性ではない、中性。それが中性だ。
中間は尿道の位置だろうか?
 
小説「ドラゴンランス戦記」のタニスだったかな?ハーフエルフは。
ヒゲの生えたハーフエルフが、ヒゲの生えないエルフにも、人間にも、仲間と認めてもらえず、葛藤するシーンがある。
 
キリスト教の教理では神は不義の世界(コスモス)である火(舌)だけど、
キリストの思想では地上の者でない、天の父なる神である「1(中性形)」が神なのだ。
キリストはただ一人の先祖である「アダム」をイメージしていたか、
あるいは「死んだ聖ヨセフ」をイメージしていたか。
自分の事をバルアダムと呼んでいた事から、アダムを父(titi)と考えていたのだろう。
ただ、アダム(赤。土tuti)なのだ。
天の赤とは、朝日、夕日、火星、アンタレスなど天球の赤い星々。
天球に赤い星が一つだけしかない状態は、太陽、あるいは月だけだ。
外国では太陽はオレンジなのだ。
日本では太陽は赤。
 
日本では
本人との続き柄に、正式書類では、戸籍上のとうさんの事を「父」と書かねばならないし、
電話や正式の場でも他人に対してとうさんを呼ぶ呼び名を「父」と呼ばなければならない。
まわりは空気読め と力で強要し、
妻の親を「お父さん」と呼ばせる事には重きを置いている。
死んで居なかったら地上の者ではないのだ。
 
実際は、
掟と律法を神に押し付け、
キリストの教えをキリストに押し付けたら、もう誰も障らない。
神の掟と律法を神に、キリストの教えをキリストに、押し付ける。それがキリストの教えなのだから。
税金の話からそこまで発展する。
たとえば一万円の裏には多分鳳凰が描かれている。
一万円を、鳳凰に返すのか、福沢諭吉に返すのか、難しいところだ。
二千円を、守礼門に返すのか樋口一葉に返すのか、難しいところだ。
一千円を、富士山に返すのか、野口英世(元てんぼう)に返すのか、難しいところだ。
どうする?キリスト。
父を敬えばいいのか、母を敬えばいいのか、難しいところだ。
どうする?イェホヴァ・エロヒームよ。
仕事と私とどっちが大切なの!?
どうする?(なんだそのたとえは?)
 
問題ない事に気付くまでの保護措置としては、
先生には教諭、教官、教師。
牧師、神父には祭司という呼び方ができる。
ちょっと苦しいけどね。
「父」はどうしようもないよね。変えようが無い正式書類だ。生きている限り変わらない事だ。口先で勘当すると言っても、出生届上変えようが無い。国のシステムがダウンしても私の手元やかかわったどこかの企業に書類が残っていれば復旧する。市役所がダウンしてもバックアップくらいどこかにあるだろう。
実際の遺伝的親であるなら、その事も変えようが無い。