fatimariaの日記

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運命に耐え

高校生卒業式の答辞「天を恨まず、運命に耐え、」
 
クローズアップされたのは、天を恨まず。
私が着目したのは、運命に耐え。
 
アーウェルンクス、
それは回避できない不幸な運命の事だ。
 
この子にとって運命は、耐えなくてはならないものだったんだね…。
でもファティマの私は不幸と幸運は同じだと考えている。
システムのひとつだ。
運命が耐えないといけないものと考えるものは、不幸に直面し、生きる為に前に進もうとしたもの。
運命を不幸と考えている。アーウェルンクス。
 
あるアニメのキャッチコピー、「運命を切り裂け」、これもそうだ。運命は悪いものだという考えだ。
この言い分ではいい運命さえ切り裂く事になる。
「自分で決める」そう思っている。
でもそれは「過去の現実から逃げている」「未来予知しない」だけの事だ。
未来予知のはずを未来予測にしただけを運命を切り裂く、運命を切り開くとは言わない。
過去、現在、未来の事が運命であって、
意味合いでは、過去の現実から逃げる事、未来予知しない事、が運命を切り裂く、運命を切り開く、なのだ。
でも、運命を切り裂く、運命を切り開く、と、未来は現在にならない。つまり死ぬという事だ。
未来予知だと思っていた事を、未来予測にしただけで、やっぱり「今から起こる事は運命」なのだ。
 
回避不可能な事柄を運命だと考えるなら、
時間軸などで未来予知を可能にしたものは、ある事なす事運命を受け入れざるをえない。
「未来予知した事」=すべて「運命」となるからだ。
しかも回避不可能だ。未来予測ではなく、未来予知なのだから。
 
未来人のタイムトラベラーが居たなら、これから起こる運命をご存知だろう。
未来について知っている事すべて運命だ。回避不可能。
 
この答辞の子の話に戻ろう。この子は不幸である現実を受け入れた上で、前に進む事を決意している。
不幸な事や失敗した事で得る事は、たくさんある。
問題のクリアというものは、その都度してきているから経験となり、大きく成長する。
不幸な出来事は、今は耐え難くても、回復したとき、自分にとって大きな力となる。
 
ファティマの私は不幸と幸運は同じだと考えている。
 
毒づいて、あるいはあざ笑って言うかもしれない。「じゃあ不幸になってみろ!」と。
 
幸とは手かせ(手錠)をはめられた状態。
漫画「聖闘士星矢」で言えば、聖衣(クロス)のある状態。コスモが無いと聖衣はとても重たい金属の塊。
幸に絶対服従の奴隷にならないと、幸は幸として機能しない。限りなく重い。
 
不幸とは手錠をはめられていない状態だ。運命は切り裂かれている状態?というか運命を切り裂くまでもなく、自由な状態だ。
 
幸に絶対服従の奴隷となるか、幸に従わずに鎧より重たい幸をひきずって歩くか、自由な不幸を選ぶか。
鎧を着て歩いた事の無いものには、わかりにくい表現だね。
軽量化されたレプリカの鎧で20kg。米袋持ってみよう。10kgでどれぐらいの重さか。
 
こういう事言うと、「運命はやっぱり悪いものだ。」と考えるだろうか?
 
私はこう考えている。「運命は事実でしかない」と。
時間軸的に未来であろうが、過去であろうが、現在であろうが、「運命は事実」なのだ。
それに絶対服従したからと言って、何も問題は無い。誰にも偽ってない。
事実に従わずに歩くから、重たいのだ。
 
オレが自由にしてやる?
私はすでに自由だ。
私はすでに不幸だ。
ときどきこわばって動けないけどね。拘束状態。金縛りとかそういう意味じゃないよ。調子悪くなると、動きが緩慢になる。こわばって、自由がきかない。
自由と言ってもなにかしら選択肢は限られているわけで、人間は常に何かに拘束されている。
 
出生
過去
経済力
時間
仕事
身体能力
住むところ
 
などなど。人間は実は厳密には自由ではない。
 
選択肢は結構少ないのだ。「動機にきっかけを求める」ならば、だ。
チャンスをうかがっているものはきっかけを逃さない。
チャンスをうかがっていない、待っていないもの、待機していないものは、きっかけをきっかけと思わない。
「人事を尽くして天命を待つ」
(きちんと休む事も含めて)自分にできる事を常にやり尽くしていながら、チャンスに待機している状態だ。
 
たとえば子宮は精子による受精卵を待ってずっと待機しているけど、だいたい月に1回、この回は諦める をして新しくし、また待機する というのを繰り返している。ずっと待っているのだ。
待っているから着床しやすい。
待っていないなら、妊娠期が1年に1回とか決まっている事だろう。でも人間にそれはない。閉経はあるけどね。