fatimariaの日記

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私が、 ひきこもる理由 自殺しようとする理由

私には友達は居ませんが。
別に困ってない。人間不信だし。
私は全部所有するより、醜いものは、要らない…。
 
美術系の勉強ばっかりしてきたから、眼だけ肥えちゃって、
道端歩いてる普通の美しさレベルのひと見たって、声聞いたって「傍に来るな!!」って、殺したいぐらい強烈な不快感を感じるほど重症だ。
病気だ。
「美」中毒症。
それを常に我慢している。我慢しているんだ。常にストレスになっている。
めちゃくちゃ心狭い。
これは、ゲーム「サガ2秘宝伝説」の中ボス、ヴィーナスの「醜い」性質。
 
だから自殺もしようとした。
 
人間のヒゲや陰毛を「醜い」と思ってしまう。
これを、時間経ちすぎて、いろいろあり過ぎて、腐ってる状態、
「黴(カビ)」
と表現しているのはそういう理由。
ロリコン」と言われるのはそういう点なんだろうけど、ロリコンでもないだけどなぁ…。
昔の結婚適齢期と、今の結婚時期は、全然違うからね…。
私は、対応できてない、古いんじゃない?考え方が。
てゆーか、16歳なら、生えてるひと多いでしょ?
初潮が9歳くらいからなら、「9歳くらいから、生物的には妊娠できる」って事だからね。「そうです」
でも、法律的には、犯罪なんだ。
法的許可のある年齢でないなら、互いに、意図的な性交の方の者が、性犯罪だ。
漫画「マリオネット・ジェネレーション」にも、法的な事が書いてある。
普通に考えて、物心ついていないのにせまるなら、児童虐待とか、いろんな犯罪になるだろう。
 
普通に考えて、本人が出産したくても、母体が妊娠出産に耐えうるかどうかの方も問題だけど。
 
普通に道歩いてるひとが、
不快で我慢ならず、毎日限界まで我慢しているので、
律儀なつきあい(普通に思った事をそのまま言うけど、関係はうわべだけ。いつでも切る用意している)をクリアして、
できるだけピンポイントに用を済ませたら、すぐに「インドア」に引っ込むようでは、
人間との社会生活が、普通に、できるわけがない。
 
ひとが多いところ、好きじゃないんだ。
「人間不信」なだけじゃない。
「人間のほとんどが視覚的にも音声的にも、いろんな識(センス)に於いて、不快」なんだ。ほとんどのものが。
病気だ。心の病気だ。
心が狭すぎる。
窮屈で、誰かが入っていられるわけがない。
普通に生活できる、心が広いものが羨ましいぐらいかもだ。
 
この「美」ってのは、
日本語の「きれい」と似たようなニュアンスで、今、説明していて、「汚れてない」っていう意味も含まれてる。
手をきれいにしましょう。 → 手を清潔にしましょう。
 
清い、潔い
つまり、ばい菌や埃や汚れなどっていう、不純物を取り除き、
色褪せてない健康な「純」である事。
 
庭でいえば、雑草を取り除き、整然と整えられて荒れてない状態。
部屋でいえば、ゴミは棄てられ、埃は棄てられ、拭かれ、磨かれた状態。
 
これを「きれい」という。
 
この部屋どうだ? 物を踏まないと歩けない。
泥棒が入ってもこんな酷い状態にはならない。
盗人は、入った事を、感づかれないように、盗んで出て行くものだ。
 
部屋は、部屋で生活するものの精神状態をそのままあらわしているものだ。
荒れ放題。
はっきり言って、「美」を語れるような部屋かよ!?っていうような部屋だ。
 
私の普段使ってる言葉の「きれい」は、「美しい」の意味だ。
普段、手を洗う洗わないに、あまり、「手をきれいにする」とかいう表現をしないように思う。
 
でも、「純粋に、きれい、美しい」には、「衛生的に清潔である。汚れてない」ってのも普通含まれる。
 
だからヴィーナスは、「美の女神ぃ~!?ふざけんな!」
って思うんだよ。
 
ヴィーナスは、多くの神話では、もう処女じゃないでしょ。
憑依した女性が処女なら、身体的に処女かもだけどね。
 
これ読んだら、
「処女じゃなかったら汚いのかよ!ふざけんな!」
ってひともいるかも。
 
何故、軟派師が、子連れを狙わないか。
子持ち → 夫がいる。 = 守備範囲外=汚れているから忌避すべき。という、汚れの考え方。
 
これは「テリトリーを荒らさない」という「他の夫に対する、配慮、思いやり」による、「汚れの考え方」。
こういう思考でできてる。
 
「処女だから汚れているのではなくて」、「処女を奪ったものへのテリトリーを荒らさない為」の、一夫一妻制の「汚れ思想」だ。
一夫一妻制を付け加えておかないと、レイプ横行されたら困るでしょ?
人間達はそこまで身体的に外道じゃないから、「性文化」が発達するんだけど、
精神的に外道なひとは、数え切れないほど増えてしまっている気がする。
まあ外道な部分ばっかりでもないけどね。
 
 
きれい、美しい
声が憎しみや厚かましさで歪んでてもいけないし、
容姿的、心情的、音声的、嗅覚的、など、
あらゆる点に於いて、識(センス)「だけ」磨いてたら、
「人間には難しいぞ…。まわりに人間が要らない…。」ってなってくるんだ。
 
識(センス)「だけ」成長して、当の「本人のレベル、いろんな技術力」が上がらない。
 
私はもう「バランス崩れてる」んだ。
 
これ、まず、眼で見てるから、みんな本人が自負するほどの心のきれいさ、とか、一切見えてない。
 
音声なら、まず、声色のきれいさ、だけしか聞いてない。
 
どんなやつかとか、すでに「聞いた声色」で優劣判断「最初に聞いた瞬間についてる」。
 
それが他にお手つきなら、どんなにきれい、かわいくても、
廃棄処理方向に向かってしまう。自分で制御できない。
 
「自分が醜くて、自殺すら実行してしまう」くらいだ。
殺す相手、自分だぞ。みんなは、できるか?
理由:「醜いから」。いろんな面において。
それだけで。
 
大切にする、大事にする、価値とする、ってのが、非常に難しい。
 
つまり、「醜い、というだけで、殺せる覚悟がある」って事だ。
「かあさん弱気で困ったな…」
 
他がごちゃごちゃ言う必要無い。 → 雑音。植物で言えば雑草。
他が何回も言う必要無い。→ 雑音。植物で言えば雑草。
何回言おうが、最初のかかわり方、でアウトなやつは、どんなに努力しても、結局、アウトなんだ。
 
 
前回の高校生のときの彼女が、「出会った場所が他の男の部屋」とか、
 
職場でラブレター渡したひとに、「もうフラれた(さっぱり処理完了してる)」のに、
おととしの年末に、精神科に行ったとき、テレビで名前ごちゃごちゃ言われてた。
「来いよ!~(多分名前。処理もう完了してたから、もう名前覚えてないけど。)!」
親切心のつもりなのだろうか?人物の重要度がかけ離れ過ぎている。
 
 私の心の中「ぶっ殺すぞ!!処理済みの項目だ!!あ・と・か・ら・ごちゃごちゃぬかすなボゲが!!!!一緒に抹消してやろうか!!!!」
って感じなんだよ。
 
ファーストアクセスで、関係は、
「はじめから関係無い!速やかに棄てたい。あるいは、殺して抹消したい。」
でも、殺せば、それを背負う事になって払拭できないので、廃棄処理。
早く切り離したい、払拭したい。→ 「義理チョコアタックでフラれて、やった!(ガッツポーズ)」のイメージ。
 
付き合ってる間、どんなに途中依存しようと、必ずそこにかえってしまう事に気づいてるから → あっさり、すっぱり、棄てる。→ 何度アクセスしても、どんなに努力しても、結局双方関係を維持できない。
身体が拒んでるからだ。生理的なものだ。
我慢でどうにかできる事ではないんだ。
我慢できるなら自殺未遂は起こらない。
 
もし、声がもう汚れてしまったなら → きれいでない → 棄てても惜しくない。
明日は炉に入れられる花も、咲き誇る。
 
はっきり言って、多分普通に考えると、
この文って、「人間の心を持ってない思想」じゃないだろうか?読んでるものは、
「こいつ、心無い!人間ちゃうぞ!」
っていうぐらい厳密だ。「そうです」
 
つまり、はっきりと、心の病気だ。
幻聴の症状だけじゃないんだ。病気なのは。「凄い」
 
覚悟が足らんのじゃよ。
本気で死ぬ覚悟で貞淑貞節貞操をまもるものでないと、私が殺してしまう。 これは、私に関するなら、ね。
今、バックグラウンドで歌歌ってるやつも、私にかかわっているやつだろう。どっか行けや。
キリストであろうが、イェホヴァ・エロヒームであろうが、関係無い。御自分の御力で死ね。
不倫したのなら、一点一画もおちる事の無い律法に定められたとおり、死ね!!!!
御自分の決められた事を、神がまもれないのか?
神のものは神に。
 
私は、人だ。
寛容でない心や激情もあるんだ。
シフって誰だった?
 
 
ひきこもる理由
 
人間不信。
人間が識的に不快なものが多過ぎる。
 
 
自殺しようとする理由
 
自分が気に入らない。
(ヒゲも生えてくる醜い身体。ぶっ殺したいくらい「荒い」ときがある。すでに自分を独占できていないので、「もう、要らないモード、廃棄処理モード」に入っている。)。
 
他も自分がいなくなる事を望んでいるっぽい。
 
=全会一致だと思った → 自殺しようとした → 死んでなかった。「あれ…?」 だよね。「そうです」
 
つまり、
自殺しようとする理由 → 自分に価値としているものが見当たらない上に、自分も自分を価値としていない。
利用価値とするものは、価値以下に見ている。利用価値が無くなれば棄てる事ができるもの。
 
たとえばよ、たとえばだ、
自分が御飯を食べる為に食事処で割る「使い棄て」である割り箸と、
自分が長年必要で、やっと手に入れた、結局廃棄しないと邪魔になる「消耗品」である車とかと、
自分が長年必要で、やっと手に入れた、置いておいてもokaねかからない手元に残せる「出版物」である本とかと、
自分が長年好きで、やっと手に入れた、一夫一妻制であろうとなかろうと「個体として世界にひとりしかいない」伴侶と、
 
大事なのは、上記4で、どれだろうか?
 
それをどれも「大事にできない」ものは、それら、どうなる?
朽ちて行く、劣化しやすいでしょ?自分も含めて。
 
結果の優劣で、長年必要だと求めこがれるだろうか?
 
食事処てゆーか、「蕎麦処」で、洗い箸が無いのに、「割り箸がもう無い」、店長か店のものは、「割り箸を早急に買いに行く」でしょ? でも「衛生上、使った日に棄てる」だろう。
 
これは注射器の針の方がわかりやすくて、「衛生上、使い棄てしないと、注射の意味が無くなる。別の問題が余計酷くなる。」。
そういう針は、作品ではなく、製品として、大量生産する。「用途が、使い棄てでないと使用できない」から。
 
 
長年欲しかった車なら、大事にするかも。欲しかった理由、個々人さまざまだ。
明確に「他の車種との違い」があるからだ。
でも、いつか乗れなくなる。寿命は人間より短い事もデータ出てる。
これは、ペットや建物や電化製品も同じ。「基本的に、人間より確実に寿命短い」。
 
わかりやすく言うと、「すぐ死ぬ」。
 
ペットに長寿の「鮫」を子鮫の頃から飼えるほどの家は、そんなに無い。餌代も苦労する。会話も無い。
それ以前に「鮫」が愛玩動物である「ペット」であるかどうかの問題もある。
 
自分が長年必要で買った本は、資料価値だ。
すでにpdfの画像本ファイルなどでいつでも印刷できる、いつでも見られるなら、買うだろうか? 買うとすれば、「他の付加価値のある本」である可能性が高い。
 
「この世界」が複数あったら、えらいこっちゃ。
その伴侶は「世界に1名しかいない」なら、伴侶であろうが無かろうが、1名しかいないのが当然なのだが、
「大事にする理由」って、それだけで事足りるけど、
 
「誰でも大事にしてくれるわけではない。」これを念頭に置いて私はしゃべってたんだ。
聖なるものを犬にやるな。豚に真珠をくれてやるな。
これは、犬と、豚が、問題なのではなくて、
「大事にしてくれるかどうかの最適性」な話なだけだ。
それぐらい、気づかないのかな…?
 
要るか要らないか、価値観の問題だ。
 
自分が要らないから棄てる → 自殺しようとする。
それだけの処理だ。
でもこれは、育ての親である戸籍上のかあさんには、我慢ならないらしい。それが母親ってもんだ。
 
作者の作品だって似たようなものだ。ぞんざいに扱われたら、酷評されたら、作者は傷つくもんだ。
ぞんざいに扱われて傷つかないなら、どこか、ぞんざいに制作している。
 
自分の子供をほめられたら、多分親はうれしいのが普通だろう。居心地悪いものもいるかもだけど。