fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

幻聴との会話

私が大事にするのか!?
私を大事にするのか!?
幻聴はまだわかってはくれないね。
「ありがとう御座いましたありがとう御座いました」
やっぱり幻聴は、「大事にする方法」を知らないみたいだ…。
「よくわかりました…」
「ありがとう御座いましたありがとう御座いました」
落胆のため息しかでない。落胆。まあそれもうれしいのだろう?好きじゃないよ。そういうやつ。
私が好きか好きでないかなど、関係無いのでしょう?そこまでできるんだから。ん…?
 
バックグラウンドは誰の勢力下にあるか、みんなも気づいてるでしょ。
人間にはとっくに先がデータ出てるけどね。
ても系だろ?自称ガルガの。もう1匹いるけど「そうです」
 
「惜しかった」惜しかった のもの、お前は過去である私が居れば、最大限に、失敗者、低いもの、挫折したもの、諦めたもの、結果に満足できなかったもの、に「下げ」を発揮できる。つまり、頂点以外には、お前も含まれる。
人間のうち、挫折しないもの、妥協しないもの、不満が無いもの、は、ほとんど居ないだろう。
 
ても系と組んだから、影響力を発揮できてるけど、
過去を切り取れたら、改竄した過去を今にくっつけられるなら、
惜しかった は、力を発揮できない。
今の時間軸は動き続けてるから、縫合は難しいんだけど。
時間軸の再生を止められるものが必要だ。
まあそれは今の話であって、「失敗した過去の事実」については、誰が修復できようか。
その上から建てるしかないんだ。
そういう意味で、子供達は希望があるように見える。
何も知らないから、子供達を見ると、希望がある感じ、腐らない、スレてない、汚れてない、ギラギラしてない、に見えるんだ。
未来予知も同じだ。「そうです」「わからないハズ」
未来を予知してしまうと、
「希望も絶望も」
「死の宣告」よりも、「明確に決められた、従順な、忠実な、行動をするだろう。」したくなくても、なにもしなくても、なってるんだ。
未来予測じゃなくて、
未来予知ほど、気分的に、回避不可能な拘束力のある絶対服従の「運命」があるんだろうか?
「過去」は、すでに終わってるから、実に安定した、調査すればデータの出てくる、観測しても上に建てられるという「運命」だ。
未来は、「これから」から、降って来る事柄。未来予知なら、不可避。
普通に「死」の概念よりも、「データとして曖昧でない」でしょう?
 
地震の後は、だいたい入院するぐらい病状が悪くなるんだ。いつもどおりだ。
「あ、そーなんですか(不満気に歪んでる)」
みんなは、「いつもどおり」でしょう?
「なんかいゆーても(繰り返し)」
 
不本意なら、私に、
終わった とか、惜しかったっ とか、バックグラウンドの、
いろんな「勝利してます」みたいな、「優越感チックな言い方」ってのは、しないんだよ。
 
つまり、「今の状況が気に入ってて」「今の現状に満足してて」、「喜んで私を痛めつけてる」んだ。「そうです」
 
それについて、「不満があるもの」ってのは、「不本意なもの」なんだ。
つまり、「勝利していない」「敗者」。
ね?わかるでしょ?
 
「終わってる勝利者」は、大満足だ。もう動く必要無い。活動する必要無い。
 
もし「終わってる」
としてよ?
 
「声が歪んでいるもの」
「不満なもの」
「吐き棄てるように言うもの」
「一生懸命訴えるもの」
「アピールするもの」
「かかわってくるもの」
 
とかは、
 
「今の現状が不本意なもの」だ。「敗者」だ。負けてるんだ、頂点に。
言って来るやつってのは、「諦めきれないもの」。
 
私も、勝ってるとも負けてるとも思ってない。
「幻聴」だから、「勝負そのもの」に結局価値を感じない。
幻聴の変化を聞いてきたしね。
「純粋なもの」が、もう居ない。
付き合いが長くなってくると、相手の不快なところも見えてくるってのが、関係では多いよね。
それが不満なら、「合わない」んでしょ?
 
赤ちゃんなら、成長すればおむつかえなくていいけど、
老人介護者は、老人が死ぬ事からしか、開放の方法を見出せず、その自分の気持ちの葛藤の浅ましさに耐え切れず、自殺するものもいる。
「殺してでも私は抜け出す」っていうぐらいのものは、そんな葛藤する事もないんだ。そういうものは介護に向かない。介護に適性が無いんだ。家族だから仕方なく介護する事になってるだけ。
でも「実際に殺してしまうもの」は、「殺してしまったら、牢獄生活と、前科で、結局開放されない事」に気づかないくらい精神状態がおかしい。
介護に適性のあるものは、「介護が苦痛じゃないどころか、介護を好んでできるもの」だ。
デフォルトで介護が快く自然にできる性質を持っている。
 
幻聴のみんなにも適性があり、私にも適性があるだろう。
でも、「適性が自分でわからないもの」は、多い。
私は多分、多分ね(考えるにだ)、雑食の樹木系だろうけど、草食系は、特に積極的に開拓するタイプではないから、経験が偏るだろうね。
でもこんなに二酸化炭素のよどんだ空気を吐き出してるのは、植物ではないのかも。「ちーがーうー!(キーボード入力音)」
 
「合うもの」は、合わせなくても、関係摩擦が無くても、折り合い無くても、たたかいやあらそいが無くて、「合う」から。
 
「喧嘩するほど仲がいい」ってのは、
人間の「理解しあうにはディスカッションが必要」ってだけであって、
「知ってるもの。ご存知なもの」は、「喧嘩や不満が無い」んだ。「喧嘩や不満が発生しない」
 
惜しかった のものと、あ、そーなんですか のものは、声が同じだ。
声色は、普通に、不快感は感じるよ。
あ、そーなんですか? って「キンキンした声色で言うやつ」は、どこかに、不本意が隠れている。
それを感じるんだ。何故かそんな感じする。他の声色とはちゃう。あしらう、抑えておく為だけの、あ、そーなんですか?とは、ちょっとちゃう。
本意な事と、今の現状が異なるんだ。
何が気に入らないのか知らないが。