美少女になるおっさんの名前
橘日向(たちばなひなた)
不快がらせか!
日向はひむかし。つまりひがし(東)の事。
全部見たけど笑ろたわホンマ!
この作品では2回、デジャヴがあった。
私が見た事ないこのアニメの内容を、
チラリと一部分頭の中だけで見たのを覚えていた。
誰かがこのアニメ見ているのを私が一瞬シンクロして見たのかも。
そういや私も、
常に危うい。
幼馴染ではないけど、
男性にも女性にも老若男女誰にでも惹かれてたとき、
苦悩したときがあるわ。
今でも
女性に惹かれそうになったときも必死に否定するけど、
男性に惹かれそうになったときも必死に否定してて、
もし猿やゴリラやかわいくない犬に惹かれそうになったら否定するだろうけど、
猫やフィギュアや絵や女神様に惹かれたときは素直になれるのに、
何故人間や猿やゴリラやかわいくない犬だとこんなに困るのだろう?
まあ「のちのちの関係が困る相手」だと困るのだろう。
「のちのちの関係が困らない相手」である物や猫や女神様では素直になれるのだろう。
女神様に素直になれていないって?
そうかも。素直になる事に照れてるんだよね多分。
あとフられて傷つけられるのがこわいとか。
美しい者に惹かれると心では否定していないが、表の言葉では否定したりする。
相手に迷惑がかからない様にだ。
醜い者に惹かれると本心で否定している。
なんなのもう…。なんで醜い者にも惹かれたりしたの?
天使であり大魔王で肢体無き者である神エロス様の不快がらせかな?
あ、言っとくけどキリスト教の「神」は、ギリシア語で書かれている以上、一柱だけでは済まない。
新約聖書の内容のほとんどが神や女神の名前で構成されているのだ。
旧約聖書はYHWH・エロヒームのエロヒームという言葉そのものが神々という言葉だ。
一神教などに書いていない。
唯一神の一神教だと言ってる者は、信仰上の都合という利己的な理由で言ってるだけだ。
ギリシア神話の神々の名前は、日本神話の神々よりも
言語そのもの的、概念的だ。
日本神話はむしろ物や者に宿る神。
何かを見て、何かを触って、そこに居ると感じられる神々。
日本神話は物質界的なのだ。
日本じんがフィギュアが好きなのは、概念よりも、見たまま、触るままに、そこにあるからだ。
昔からお地蔵さんに手を合わせてきたのも、
お地蔵さんという物質がそこにあるから、手を合わせられてきた。
「言葉が神」であったキリスト教は、より概念的な神々であった。
天はウラノスで、地はゲー(ガイア)。見たままな神々は日本と同じ様。
では平和という概念が神や女神である事については?
それが言葉は神であったという言葉なのだろう。
西洋のカソリックは十字架やカルヴァリー(キリスト像)という媒介を通して神と繋がろうとするというキリストの偶像を作る上手い言い訳を作り出した。
結局人間は形を持たない視覚的に不確かなものを信じるのは難しいらしい。
私は自分の恋愛感情はまず疑う。
目に見えている老若男女やフィギュアや絵や動物の誰にでも惹かれた私だ。
惹かれているのはまず不確かな感情だろう。
多分、
「今、目の前に見えて居るから」
という理由だけで惹かれていると考えた方が正確なのかも。
それ、「遺伝的に遠い、惹かれ合う異性」の事か?
ちゃうでしょ。
なので私は自分の恋愛感情はまず疑う。
これ書いてる途中ずっと、
結束バンドの「忘れてやらない」が頭の中にかかってたんだけど、
忘れてやらない の歌詞は、
私(東俊作)を切り離したい という気持ちは伝わるけど、
忘れてやらない は、認知症との戦いだ。
忘れない為には疲れ過ぎない程度に脳活して適切な時間眠るしかないかな?
認知(ミタ。冥王星の領域ダアト。知識、善悪の知識)と、
認知の否定形(阿弥陀)との戦い。
南無阿弥陀仏と唱えた、言った事のあるひとは認知症になってもおかしくない。
女の子の声の幻聴「シトロカルロ様…それからずっと って……」