書き足しました。
運動というのは、
「運ぶ動く」
という意味だけでなく、
勝敗のあるスポーツなら、
「運気の動き」
という意味もある。
私は運気の動きを肌で感じてしまうから、
勝敗のあるスポーツは、
どちらに肩入れしてなくても、
私のエネルギーが浮き沈みをしてしまう。
勝ちか負けかを、気力なのか、勘なのか、感なのか、一瞬前に気付くのだ。
一瞬前なので何の役にもたたないけど。
一瞬前なので賭け事で儲けたりも出来ないし、
たまに外れたりもした。
一喜一憂ではなく、
予感的なそのエネルギーの浮き沈みを、
不快に感じてしまう為もあり、
「勝負事やスポーツが好きじゃない」
と言っているのだ。下に続く
ウトウト中の幻聴「お互いに そんな事ではない、」
ウトウト中の幻聴「ちょっと、 無理かな」
まあ私は「身体を動かす」という事を、
あまり積極的にはしていない。
スポーツもストレッチもしていない。
勤務内容ならやるけど、
休みの日はゴロゴロしている。
休みの日だけど
怠惰にゴロゴロするのっていいよねー。
幻聴「別のひと持って来るのにどれだけ!」
男性持って来たって無理だよ。
それで、
私の意図関係なく「私の心の中が勝手に」賞賛した方が勝つ方へ少し進むのだけど、
必ずしも、
私が勝たせたいと心の中で思っている者や、
私の御贔屓さんが、
私の心の中で注目、賞賛される訳ではなく、
私は運気に気付くからこそ、
勝たせたい者の事で
心の中でヤキモキするのだ。
それも不快だ。
でも私は心の中でも口で喋るのでも、
お世辞を言うので、
本意とは限らない。
お世辞は勝ちとは関係しない。
勝つかどうかは運命様が私からすれば突然勝手に決める事なので、
私がほめるほめないは関係ない。
それから勝つか勝たないかは、
私が本意で判断している善悪も関係しない。
私の善意の本意だけが反映されるなら、
ロシアが戦場で勝ったりしない。
なので、
気付いた方もいると思うけれど、
私を揺さぶってみても、
私に媚びを売っても、
勝敗にはなんにも関係無くて、
勝負は既に決まっている。
私はやはり運気の観測機でしか無いのだと。
でもやっぱり、
運命でない者や運命でない物を「運命」と言った所でそんな事は何も関係ないけど、
運命に逆らおう、抗おうとしても、
運命は結局執行されてしまう。
私がごく稀に、一瞬だけどデジャヴの様に未来予知した事柄って、ことごとく当たった。
でもそれは完全受動的未来予知なので、
自分が未来を支配するとか、
自分が運命を支配するとか、
出来た事は無い。
運命を敬いたいからそう言ってるのだろう とか思うひともいるかもだけど、
運命を敬いたい気持ちはあるけど、
私は今迄起こった現象についてありのままを説明しているだけであって、
他意はない。
個人的な挑戦に付き合う程の体力も気力も闘争心も全く無い。
この現象は、
たとえば
漫画「ドラゴンボール」で、ベジータが、悟空達の気が変化する事に気がついて、それを身につけたあとに
弱さがうつっちまった と泣くシーンがある。
私がこの気の変化に気付く弱さを手に入れたのは、
漫画「風の谷のナウシカ」で、
「醜い船。風を切って飛ぶ。メーヴェなら風に乗って飛ぶのに。」
の様なセリフを思うシーンがあって、
それを読んだときに、
急激に気力が低下した。
子供の頃から気力を他に奪われてばかりいたのだろう。
意識が移り気だった為、集中力の無い子供だった。
私は
断食自殺企図をする事によって、
気力を食ってしまう、
気力を奪ってしまう様になり、
専門学校生のとき、同級生や下宿の隣りの部屋のお姉さん達の気力を食ってしまい、
大変迷惑をかけた。
グロッキーにして死んだ様に動けなくしてしまったのだ。
精神病を発病して、
そのナウシカのセリフを読んだとき、
私は気付いていなかった気力の奪い奪われの
「気力の奪い合い」
に気が付いたのだ。
そして、心が弱くなったのと同時に、
気の変化を敏感に感じる様になった。
運命は決まっているので変えられないけど、
運気の流れは気力で変える事が出来る。
気力によって勝負を有利に変化させる事も出来る。
なので、私を味方にすれば勝ち易いという事を言ったのだ。
でも私の気力を使うという事は
私が疲れるという事や、
私のお腹が空くという事や、
私の目の下の隈(死相)が濃くなるという事で、
食べたうちの、
運気の流れの変化に使える栄養素量はそんなに無いので、
私にたかられても、
たとえば
1億にんに1億円プレゼントしようと、
ひとり1円である様に、
応援する相手が少なければ少ない程、
伴侶の数が少なければ少ない程、
応援する相手や、伴侶を有利に出来るという事だと思う。
私は気力が小さい、弱いから、一夫一妻ぐらいじゃないと体力気力がもたない。モテない。
パソコンやスマホやタブレットやテレビなどの画面を長時間見ているせいもあるかもだけど、
目の下の隈が濃くなって、顔が病んデレみたいになって来ているひとは、
気の変化や、ひとの表情の変化や、ストレスの激流にさらされているひとだと思う。
気の変化と説明したけど、
天気痛や気象病のあるひとは、
気圧の変化に弱いという事で、
気力の変化に気づき易いひとなのだ。
気圧って目に見えないでしょ?
でも身体は感じとっている。
気圧を感じとる器官が気力を感じとる器官かどうかは私は知らない。
専門家が調べればいい事だけど、
気力って湧いて来るときがある。
そんなとき、「温かい」と感じた事は無いだろうか?
その感覚が、気圧を感じとる器官が感じとっている感覚と同じだろうか?
ちょっと考え難いけど。
気力の事が記述されている。
マタイ伝(マタイによる福音書)9:20
マルコ伝(マルコによる福音書)5:25
ルカ伝(ルカによる福音書)8:43,44
に、
十二年間長血(ながち)を患っていた女性が、
後ろからキリストの衣のふさに触ったとき、長血がたちまち止まった。
それでキリストは、
「わたしに触ったのは誰か?」と聞いた。
弟子達は、「こんなに群衆がひしめき合っているのです。」と言ったが、
キリスト「誰かがわたしに触った。力がわたしから出て行くのを感じたのだ。」
女性は震えながら進み出て、ひれ伏し、イエスに触った事と、さわるとたちまち治った事をみんなの前で話した。
キリストはその信じた心を賞賛した。
とある。
気力とは奇跡を起こせるエネルギーで、
そのエネルギーは、
「流れ」なので、いつまでも留まっているものではない。
さわられるとリミットブレイクするし、自分から有意義に使うしかない。
そして、気力は、奇跡であるが故に、
断食と祈りとの様に大量の周りの犠牲によって吸収されたエネルギーや自分の寿命とひきかえに今そこにあるのだ。
なので目の下の隈(死相)が濃くなるのだ。
漫画「ぱらいそロード」に出て来るけど、
気力は使っているばかりだと、
逆流したとき気力が枯渇して死んだ様に動けなくなる。
多くのひと達に繋がって多くのひとから気力を貰って使っているだけのひとは、
気力が逆流したとき、それだけの多くのひと達にエネルギーを吸われてしまう。
私はよく、
自分の本意の善意と比べて、
自分の心の中の言動が
不本意だったり、
失敗した!と思ったりすると、
緊張して、気を濁してしまう。
その濁った汚い気は、周りのひとの痰が詰まる程の不快な空気だ。
多分ストレスによって体から何か不快に感じる成分が出てるのだろう。
コレクターが寿命を削ってコレクションを集めているなら、目の下の隈は濃くなる。
しかしコレクションと一緒に居られる時間もまた、削っている事になる。
占い師は占う毎に運気を消費するという。
ゲームで言うMPや霊力の様なものだろう。
初期ドラゴンクエストでは
HPはヒットポイントだが、
MPは
マジックポイントではなく、
マジックパワーである事が説明書に書いてある。
ファミコンのカセットの説明書を読んだひとしかわからなかったであろう設定。