fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

何故か疲れている。

頭が痛いので薬をエビリファイに変えたのだけど、
もうものすごーくだるくて…。しんどい という状態だ。
以前エビリファイにしたときは体重が異様に減ったが、常に不安感があるので止めた。
今回は不安感は無いが、だるさがあるのと、気力が無い事。
だけどこんなに心身が弱ってるのに、バイクも、吹かす車も、この辺が通り道らしいヘリも、聞こえても全然ひっかからなくなった。障らない。どこ吹く風だ。それはうれしい。
でも…だるい…。ものすごーく…だるい…。
この辺り一帯が、私の縄張りじゃなくなったのかも。私の管轄、守備範囲の外になったのかも。
 
寝てるときの幻聴に、 ここで干乾びとってな(ここで干乾びていてね の意味) って言われた事があったね。
当然神が許可したから、言えた幻聴なのだ。
私はその言葉を承認する気はないが、
言おうとする意味、と、言う事ができた意味、が、神の御心にかなうから発言できるのだ。
どんなひどい言葉でも、どんな陰湿な言葉でも、どんな醜い言葉でも、どんな卑しい言葉でも、やっかみでも、いじめでも、暴言でも、嘘でも、妄言でも、失言でも、神の御心にかなうから発言できるのだ。
神が許可している。神の権限において発言している。
私が見る夢も、私が見る悪夢も、神が許可しているから見るのだ。それが神の御心にかなうらしい。
不運にさらされると神を呪うひともいる。
しかし私は夢においての、神の無神経さに呆れる。あまりにもひどい。まあ神は人間ではないからね…。
人間にどれだけ譲歩するつもりなのか。
私は勝負が好きじゃない。負けるものがいる時点で、神は敗北している。
神々にとっては、女神アルテミス(「屠殺するもの」の意味)さえ、そんなに取るに足らないものなのか?そんなに要らないものか?
私には理解不可能だ。
もちろんアルテミス(屠殺者)の名は作品群で使われたりする。その時点ですでに神々は棄てているのかもしれない。「神々よりエンデュミオンやオリオンを選んだ」という事の復讐か?
地上は自由に狩りのできるような場所ではない(狩りの女神の力は小さい)けど、
これ以上人間や女神達を私にとって不快な者にするのは我慢ならん。
私は人間が好きじゃないけど、人間と接するときは努力している!その努力をみんな踏みにじる!
だからますます好きじゃなくなり、人間という生き物が不快になるのだ。
その夢を、「私に見せた理由」が必ずある。
予知夢、象徴夢、不安感を視覚化、いろいろある。
でも、
私が夢で見た旧暦五日産まれの男性は既婚者だ。以前見た名誉教授も既婚者だ。浮気行為を奨励するのか?どこまで腐ってやがる?あいつの奥さんにはあいつしかいないんだ!奥さんは身体障害者だぞ!!何考えてるんだ!!
ムカつく!!
私がそれら男性と「仲直り」する事が不可能になるようにしている。別に仲直りは望んでいない。でもそのやり方が気に入らない。
私はやっと一人になったのだ。なのに何故過去に出会った人物を登場させて私を苦しめる?
私はあの奥さんが気に入らないけど、奥さんとあいつとの仲が破綻する事は望んでいない。結婚式にも出たしね。
まあ私は月の女神にも見棄てられたわけだ。
月の女神にまもられているから私が童貞なわけではなく、「私に魅力が無いから私は童貞なだけ」というのを伝えたかったのだろう。はいはいすみませんでしたっ。どーせそうでしょうよ。
でも私が童貞なのは事実だ。
月の女神ですらまもっていない(月の女神はエンデュミオンやゼウスの子を産んだ。)貞操を、私はまもっている。
 
もし、私が入院していたときに、夜寝てる間に童貞奪われて、それ録画されてても、「それが私である」という証拠を、映像では証明できないのだ。映像は編集できるから。そっくりさんかもしれないし。
ベッドとかは毎朝濡れてなかったけどね。私は私が童貞である事を覚えている。
もしそんな映像を使うとすれば、私本人に見せても私に訴えられる。
「私を好きになった者」に見せるから効果があるのだろう。
「私を好きになる者」が居るとは私には思えない。
「私の事が本当に好きだった者」が居たとは私には思えない。
だから私は童貞なのだ。
見当たらないし、みんな私から去って行く。それでいい。
私は人間を信用していない。神も味方してはくれない。その実績が証明している。今回の夢も私にとっては証明だ。
動物の考えるのは自分の事だけ。
 
新約聖書のルカ伝のたとえには、
13:23 すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。
13:24 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。
13:25 家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。
13:26 そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、
13:27 彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。
13:28 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
 
これは「悔しい、悲しい」であろう事がわかっていながら、もれる事無く「すべて救う方ではない」という事だ。
 
これは磔刑後、バルナバの方が布教に相応しいのに、自分の努力や力量は関係なしにただ神の意志によって(つまり くじ で)選ばれ、十二使徒となったマティアスの意味に反しないだろうか?
まあマティアスは殉教した→死んだ ので、マティアスが「信じていた」とは限らない。という事になるが、
 
「死ぬ事は無い」のか、「死んでも生きる」のか、どっちやねん。
「死ぬ事はない!」「死にました。」「死んでも生きる!」って感じかな?
死ぬ事はない?う・そ・つ・きっ。使徒のうち誰が死にませんでしたか?
スティグマ(聖痕)の思想は、頭砕けて死んだひとの身内とかを救えない。
神の国で復活したとして、どんな姿だと思うの?
 
悪事という事は、「善悪の判断基準がある」という事を示す。
これも努力によらない。人間が神の判断基準において悪事を働くのは、神が決めてそうするようにしているから人間は行う。我々人間達の意思や希望は関係ない。神が気に入るか気に入らないかだけの話だ。
悪事を働くものさえ神に忠実だから行っているのだ。
神に気に入られないものは、どんな努力をしても結局神は気に入ってくれないのだ。どんな努力をするかも神が決めている。
そういう意味では、マティアスは計画によって十二使徒に決められていた人物であり、
私がもし神の国に入れないのであれば、それははじめから神に決められていた事なのだ。神の御心のままに神は行う。
 
この「家」とは「神の国」の事であり、「家の主人」とは「神の国の主人」つまり「神」の事だろうと考えられる。 
 
 
運命を変更する事柄は無い。
 
すでにあった過去が運命であり、
すでに起こっている現在が運命であり、
すでに決まっている未来が運命なのだ。
 
変更される事が無いから「運命」と呼ばれる。
変更がきくなら「運命」や「過去」や「現在」や「未来」とは呼ばれない。
 
夢を見た事は事実。
 
 
運命であるファティマに、あらゆる融通性は皆無だ。
人間達が掲げていた「法側」っぽい言い方だけどね。
私は、どちら側とか、無い。
何故なら、
法側は混沌側の部分に過ぎない。
混沌は、「変化する法の集まり」で構成されている。
混沌でさえ、「法則性」というものから逃れる事はかなわない。
変化が早ければ腐りやすい。
オーダーメイドである「1」で割り切れない数字があるだろうか?
すべてを内包する数字「1」は、どんなに相手の法則性が変化しようと、割り切れる。
「あなたは、あなただから。」
 
実に羨ましい事だ。変化にとらわれたりしないのだ。
変化観音と言われた千手千眼観音もびっくりだ。 
 
 
眠りの深い時間がほとんど無かったから、こんなに疲れているのだろう。
昨日寝てたらガクッと眠りに入った途端、ビクンッ!ってなって起きる。
よくある話だと思うが(授業中もよくやってたなぁ。)、
ひょっとして「ためしてガッテン」でやってた、睡眠時の癲癇(てんかん)症状じゃないだろうか?
 
睡眠てんかんの発作は、睡眠直後と起床1~2時間前に起こりやすい。
ビクンッとなっていつも起きているので、満足に眠れなかったのだ。
今日もなるようなら以前の薬に戻さないといけないかな?
…はぁ…だるい…。