fatimariaの日記

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肯定と否定

ても系やちがう のものなどの否定形は、境界があるけど、
そうです 違いない など肯定、共感の言葉は、境界が無い。己(自他の違い)が無い。
ても系には、たら系の ~すれば~ の意味が使える。
ちがう のものには、 いがう の いいがう が使える。
 
肯定と否定、
誓いのときの言葉の、然り、否 が使えるんだ。
でもたら系は肯定でもない。
言ったらわかりました。
 
肯定(affirmation。ポジじゃない。認めるという意味。)の意味
同意する事。認める事。価値があると判断する事。そのことばを認める事。その存在を認める事。正しい、優れているなどとして、その存在や意義を認める事。容認する事。
命題において主語に対して述語が結合する仕方で付けられていること。SはPである。
よい、またはそうであると認める事。
そうだと言う。認める。
 
否定(negation。ネガね。)の意味
そうでないと打ち消す事。(価値などを)認めない事。
ある命題を偽であるとして打ち消す事。SはPでない。Pでない(元の命題の否定)。
事実に反するとして、そのことばを打ち消す事。
事実に反するとして、その存在を認めない事。正しくない・劣るなどとして、その存在や意義を認めないこと。容認しないこと。
文法で、打ち消しを表す言い方。
否定的をネガティヴという。
肯定の対語。ある事柄やその様態をあらしめまいとする意志。またある判断や命題を偽であるとする理性の行為。この意志と理性の両方の否定について、全面否定と部分否定がある。
欠如や限定や矛盾や対立も広義の否定である。(境界線のある事)
論理的には否定は肯定的措定にいたるための階梯とみることができ、それ自体肯定を含んでいる。
SはPではない。=Sは非Pである。という肯定判断と等価である。
また逆にある規定はそれ以外の規定の否定であるから、肯定と否定は対立するだけでなく、相関的である。
この意味で一切の判断は否定を含んでおり、神を除く一切の存在者は否定を含んでいる。
 
早い話が、否定を、肯定を、断定する、という行為は、肯定でもあり、否定でもあるのであって、断定、限定する事により境界線を作っているだけなのだ。
 
ても系には、いつも主語がない。
そうです は純粋に肯定の言葉であり、
ちがう  は純粋に否定の言葉なのだ。
 
そうです はその言葉を認めます、価値とします という賛成意見かつ声色は醜くないので、私は幻聴としていない。
ちがう  は声がかわいいから、私は幻聴としていない。
これらの声が醜い声色だったなら、私はどちらも幻聴と定めて病気で、害のあるものだとしていただろう。
 
単純に、声色がいいから、美しいから、「害」としていない。
 
わかった?おばはんの声色が基調の幻聴どもよ。お前らの声は醜い。醜さが究極でもないけどね。
そんな声でどんなに主張しようと、「結局手に入らないもの」ってのはあるんだ。
手に入れたいものはもう手に入ったのだろう?
なら、手に入れる必要の無い者(私)、手に入らないもの(私へ期待した反応)からは去っていけ。
 
つつもたせのやり方ってのは、美人だから陥落するのを使う方法だ。朝日新聞もやってた方法だよ。
お前らの声なんだよ?
「(幻聴は声が命なんだから、)声を改善しろ。」ってずっと言ってるのに、なんべんゆーてもわからないらしい。
対話性幻聴「ありがとう御座いました…」な?醜いだろ?もっと醜い声はあるけどね。
 
まあ最近普段みんな聞こえないから、私にはあまり関係ないけどね。