fatimariaの日記

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雑談009

私は人間が好きじゃないのに、人間が笑っている姿が好きじゃないのに(笑いの裏に隠されてるのは弱泣強笑。醜い。)、人間が(間接的にでも)不満ぶつけたり、説得したりするなよな。
なんべんゆーたらわかる?
向こうがアピールしてくればするほど憎しみしか湧いてこない。
そのうち忘れるよ。
私が不快なら、不快な事はさっさと忘れてしまえ。
かかわるな。
でも自分がした事で真意どおりよろこんでくれたらうれしい。ここに自分勝手な自分本位な「思いどおり行けばうれしい」という気持ちがある。我(が)があるんだ。
アガペーの滅私奉公とは関係ない、よろこんでくれるという報酬を求めている。
イレギュラーを楽しむ余裕が無い。
イレギュラーも楽しめる域に達したら、何でも楽しめるだろう。
レールどおり、思いどおり、がつまらなくなってきたら、イレギュラーを楽しむ素養がある。
昔の不良とかそうだ。
身体で、経験で、覚える。
 
 
誰かを悪者にして取り入ろうとか、虫唾が走る。
悪者もいい者も要らない。目障りなやつは「現れない」というのが正解。
テレビとかに出すなよな。目障りなだけだ。
テレビ見てて私にひっかからないやつが残るんだ。ひっかかったやつは事故とか事件とか死亡とか…。平和とは程遠い。
ひっかからないというのは、かなり淡い。アクの強いやつは結局残らない。「ある時代のひと」で終わりだ。
刺身なら、赤身より白身の方が上等だったりする。臭みが無いからだ。
健康食品は、香料で強い香りのものより、無味無臭のものの方が、日本では売れる。+αとして、何にでも合わせられるからだ。
日本人はかなり神経質で、我を出さない事がきれいとされる。
無神経は悪い事とされる。
敏感な(気がきく)方がいいとされる。
繊細なアンテナ伸ばしてる方がいいとされる。
木綿豆腐より絹ごし豆腐の方が食感がいいとされる。
木綿より絹の方が上等とされる。
私は絹物なんか着ていたくない。弱弱しい。面倒くさい。だいたい私の肌に似合わない。
絹に合わせた繊細な肌より、綿や麻に合わせた強い肌の方が、健康だ。
逞しい、がさつなもの、荒いもの、利用価値しか探してないもの、が合うわけではないけど、
弱い(繊細過ぎる)と私の相手にならない。結局私に耐えられない。結局私を価値としない。
逞しい、がさつなもの、荒いもの、利用価値しか探してないものも、結局私を価値としない。本当の繋がりを棄てた上でひとと付き合っているもの達だからだ。
そんなもの達は、ひとよりも、メリットだろう。誰とも合うわけがない。
 
日本の美徳は、「滅私奉公仕らん」「親の死にめより仕事を選べ」「自分よりも仕事道具を大事にしろ」。潔い。かっこいい。とされる。
中国は「我」だけ。
昔の日本人はプライベートを軽んじる。
意味わからん。プライベート以外に何がある?
仕事なら殺人でもやる。それが仕事人。
ここに、「自分を受け止めてくれる場所・ひとが、仕事にある」現実が見えている。
退職の事を考えないで突っ走る。
家族は内部でバラバラ。
子供は親と一緒にいる事がウザい。子供の世界観的に、親のやる事なす事センス悪いと思っている。
昔の日本人はプライベートを軽んじる。
サラリーマン川柳読んでたら、そういう犠牲者だけで社会は成り立っているみたいに見えてくる。
それを当たり前だと思っている。
これが少し前の日本。
今はプライベートを大事にするひとは多い。人生においてのプライベートの重要さに気付いたのだろう。
何故なら、先輩達が、子供や家庭より、仕事を選んだ為に、日本の子供達が崩壊していた現実を、子供達は身に染みて知っているからだ。
子供達がうじゃうじゃいて、ほっておかれた逞しい世代には、理解不可能だっただろう。
何故この程度で…って。
たとえば人工授精すれば、次の世代は人工授精でしか産めなくなる。生物として弱くなる。
これは環境適応能力で、豊かな生活だと、豊かな状態に適応するのだ。
草食系男子世代は、我(が)が強くないのに、プライベートを大切にできる、実は「生物として」ではなく「人間として」逞しい世代。
中国みたいに我(が)が強い状態は、「生物としては強いけど、人間としてはきらわれている」点で、人間としては弱い。
ここに日本人の強さがある。
戦後を生きてきた逞しい世代よりも、草食系男子世代の方が、日本的 なのだ。
無骨な幕府より、繊細な朝廷が残る。
刺身なら、赤身より白身の方が上等だったりする。臭みが無いからだ。
肉なら蛋白質の赤身より、とろけるしもふりを上等とする。
アクが強いものは、厚苦しいとか、ウザいとか、飽きたとか、なってきて、棄てられる。
特に、「飽きた」、これはどうしようもない。
そのワンスタイル、個性、から離れ去っているからだ。
広告とかウザいだけ。あと広告棄てるのは広告を貰ったひとなんだ。

新人さんとかごちゃごちゃ出てきたら、いちいち覚えてられない。思い入れもそれぞれみんな薄れて行く。忘れるにはちょうどいいけどね。

一番いい状態だけ見て判断していたら、あと付加される評価は悪い評価のみだ。

私は残る以前に、表舞台に出てもいないからね。残るはずがない。消えて行く。
結局ひとびとにデータ残すつもりもない(残しておいたって仕方ないだろ。「要らないものは棄てる。必要な者へ、必要な物に、リサイクルする。」)。
実際死ねば多く情報は残らない。私は嫉妬深いのだ。
男性のY染色体は萎縮して、男系は、どうせ遺伝情報は消えて行く。「あの男の遺伝情報は残したくない。」と思わなくても、どうせ男性遺伝子はいつか消える。ま、遠い話だけどね。女の子が産まれたらいきなり消えるし。
だったらいいとこ取りのX染色体を残せばいい。
哺乳類は、ねずみで知られてるように、雄の生殖機能と思われていた部分は、雄の性と関係無くならないと子孫が残せない事がわかっている。
ある魚は、雄がある年齢になると雌になり、また年齢で雄になるという。
人間で考えてみよう。
少年が婦人になり、婦人がヒゲ面のおっさんになる。
考えただけでもおぞましい。
雄と雌は「多様性」だ。環境に対しての多様性。
単細胞生物が単体であらゆる環境で生き残れるなら、「多様性」は産まれない。
遺伝的に遠いひとを選ぼうとする、近親を性的に醜いと思うのは、この多様性プログラムが働いている。
遺伝的に遠いひとをガチに思うのだ。
私は目が悪いので目が悪くないひとに惹かれている→眼鏡のひとが好きじゃない。
私は毛深いので毛深くないひとに惹かれている
私は目の形が鋭いので、目が優しそうな異性に惹かれている
私は天然ウエーブの髪なので、天然ストレートヘアの異性に惹かれている
多分だいたいそうなのだろう。
でも私が細かい屁理屈分析野郎だからって、アバウトでテキトーな異性には惹かれない。
何故なら私は、他についてや自分の心情分析などに細かいわりには、自分の言動はアバウトでラフでテキトーだ。
逆の異性なら、その異性は、自分の言動には詳細な分析管理できているが、私が筒抜けに心情分析して、それに感心するという構図になる。それに依存してしまう。
それだけ分析できているのだから、なんとかすれば?って思うかもだ。
頭でわかっている事柄と、身体でわかってる事柄は、別問題だからね。
でも外国人を見ても魅力を感じない。
これはどういう事だ?
「種族が異なる」と認識してるのか?
黒髪なのに黒髪に惹かれている。
これはどういう事だ?
ああそうか、かあさんは量の多い赤くて薄い茶色の大きなウエーブの髪だ。私のX染色体は多分茶髪のウエーブなんだ。
とうさんの黒髪と細かいウエーブとかあさんの大きなウエーブが出てるだけだ。
だから女性は黒髪か金髪の天然ストレートが好きなんだ。これが遺伝的に一番遠い女性なんだ。
嫉妬は滅公奉私。奉私活動。
これに滅私奉公のアガペーを加えると、
滅私 滅公 滅他 奉公 奉私。
私と他や公を、本筋でなく、物事の脇に置いておいて(自分も含めた誰も要らない)、公私を奉る(自分も含めたみんな大事)。
自他の損益、自他の利害を考えず、愛する。
滅茶苦茶だ。はっきり言って迷惑なやつ。
何がしたいのかよくわからない。
奉っているのに、誰も立てない。
意味わからん。
滅茶(めっちゃ)茶髪を滅する。
無茶(むっちゃ)茶髪が無い。
みんな必ず居るのだが、ひいひいおじいちゃんがどんなひとであったか、知ってるひとがどれだけいるだろうか?みんな自分の生活でいっぱいいっぱいだ。
みんな何故自分の生活を大事にしないのか?
意味わからん。
どんなに私が「私は私である。」とアピールしようが、自分を自分であると証明する事柄は、機械的な事で、
本籍も変える事が可能らしいから、出生届けで戸籍に書かれる、
誕生日


兄弟姉妹
届け出たひと
届け出た日
変わらない。
機械がダウンすれば、家族親戚が認知症になれば、証明するものは手元の証明するカードや票などとなってしまう。
他のひとの手に渡ったら?
どんなに私が「私は私である。」とアピールしようが、自分を自分であると証明する事柄は、機械的な事。
その点、有名人は顔と芸名で覚えられている。
覚えられているが故に自由が無い。

自分には心開いてくれるだろうと自惚れてたひとも、「結局無理なんだ。」とか、「もういいや。」とか、一度でも思えば軽くなるよ。それが諦めだ。
諦めると軽いね。
棄てきったら、何も魅力無くなるよ。軽くなる。
チャラい状態だ。自由だ。
ヘヴィーに、ハードに、ライトに、ソフトに、頑張ってても、人間生きてりゃいろいろあるからね。
諦め悪いと「意地張ってる。」とか言われ、
諦めると「その程度か。」とか言われ、
拘りの理由を見直す必要が出てくる。
自分にとって価値の無いものにひっかかってる状態は、不愉快な状態だ。
だったらクリアに棄ててしまえばいい。
価値が無いのだから。
不愉快の裏に、愉快が隠されている。
気持ち悪いと思うものの逆が、気持ちいいものだ。
必ず何か気持ち悪いと思う理由がある。
そこは素直でいいと思う。
生理的な事が変わるわけでなし。