fatimariaの日記

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武田さんの展覧会見に行った。

この日曜日の天使の梯子

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彫刻家の武田亜希子さんの展覧会の帰りだ。

アートギャラリーグレイスで小規模ながらやっていた。

エコバッグの様なカバンがにん気らしい。

 

武田亜希子さんが徳島大学の彫刻の研究室に在学中に、

私も徳島大学でデザイン研究室のデジタル イメジング ラボで研究生をしていた。

23年前位だ。

 

そのとき美術棟のメンバー

彫刻の木村さん(男性)

彫刻の武田さん(女性)

デザインの潮見さん(男性)

デザインの私(男性)

美術の黒田さん(女性)

美術?の杏(きょう)さん?(女性)

あとひとり名前を忘れたけど少し太めな女性の方がいて、

そのメンバーで長野県のスキー場に行った。

はじめてのスキーだったけど、

講習を受けてる間に、

一緒に講習を受けてた

初心者の名前を忘れた方が滑りを覚えたのでどうやって滑れたのかコツを教えてもらって、

私も少し滑る事が出来る様になった。

それからかなり楽しくなった。

そのときそこにいるみんなで一緒に写真を撮る事になったとき、

私はスキー用の全部覆う顔マスクをしていた。

私「私マスクつけたままでいいですか?」

杏さん「マスクつけたままやったら誰かわからんで〜(笑)。」

 

昼に潮見さんが眠っていて、

私が部屋の窓を見ていると、

いっぱいのつららが太陽の熱で溶けたのか、

ドガラズガガガガガガガガーーン

と落ちた。

私「(潮見さん起きたんじゃ!?)」

ハッとして潮見さんを見ると、

私「(寝てるし!)」

 

木村さんと黒ちゃんがかなり遠くまで滑りに行っていて、

食事の時間まで帰って来なかった。

私「(ふたりの)この食事、ふたりが帰って来るまで置いておいて貰っていいですか?」

料理担当者「すみません、衛生上の問題でそれは出来ません。」

私「そうですか…。衛生上の…。」

心配をよそに夜にふたりは少し雪をかぶって普通に帰って来た。

ふたりは滑るのベテランなので心配する必要無かったらしい。

私「食事大丈夫ですか?」

木村「?食べて来た。」

 

コースをリフトまで歩いているとスノボの遊んでそうなケバい女性がコケたらしく、何か落とし物をしていた。

ケバい女性「すみません、取って来て貰えませんか?」

私はスキー板のブーツを脱いで歩いて行って、取って来て渡した。

ケバい女性「有難う御座いました。」

 

最終日になるとレンタルしたスキー板のブーツが緩くなって来て、外れそうだったので、名残惜しいけど早めに戻る事にした。

それでもバスの準備に遅刻しそうだった。

何故ならスキー板で歩いていると氷で滑って宿まで戻れなかったから。

スキー板とブーツの外し方を知らなかった。

 

バスの帰り道、バスはお土産屋に寄って帰る事になった。

私は野沢菜が美味そうだったので買ったけど、

あとで記載をよく見ると長野県関係なかった。

バスは大阪の難波か梅田辺りに着いたので、あとはそれぞれ徳島に帰った。

 

という事が23年前位にあったのだ。

その美術棟の楽しかった思い出は、

私が、統合失調症で暗く沈んでいて自分にコンプレックスを持っていたのを取り払ってくれて、

今の明るい私に戻してくれた様な気がする。

 

それから私は大学院生になり、

武田亜希子さんは新世紀賞を受賞したと聞いたので、

武田さんに、いろいろ店をまわって手に入れたミルクセーキ

私「新世紀賞おめでとう。あげる。乳(New)セーキ賞です。」

と言ってあげた。

武田さん「東さん新世紀賞有難う。」

私「いやいや、乳セーキ賞です。」

昨日会ったとき武田さんはいきなりその事を忘れれんと言ってきた。

 

私が派遣社員をしたり引きこもったり闘病してグジグジやってる間にも、

武田さんは教諭として美術活動をずっとしていた様で、

旦那さんはアクアピッコラというレストランで働いて、娘さんもいて、娘さんは小学6年生なのに描く絵がすごくて、

武田さんは今は耳の聞こえないひとの学校で教諭をしているそうです。

 

顔は大学生のときと全然変わらないのに、

随分しっかりと(昔からしっかりしてたか。)それでいて教諭らしい人当たりのいいトコもあって、話しやすかった。

会えてよかった。

 

黒ちゃん(黒田さん)も若い男性と結婚したと武田さんから聞いたので、多分今ホクホクなんじゃないだろうか?

 

でも武田さんの展覧会で、流動食の私のエネルギーが切れかかっていて、

帰り際は会話のトーンが下がって来て、あまりいい感じではなかった。

いい感じに話してくれていた武田さんの母親もお昼時で私に早く帰ってほしい感じだったので、帰る事にした。

私はお腹が空いてエネルギーが切れかかるとノリがトーンダウンして来るので、

そこが少し悔やまれるトコだ。

 

展覧会に来てたカメラマンさんに阿波藍の展覧会が阿波銀ホールで県がかなりお金かけてやってると聞いたので、

阿波銀ホールに行ってみた。

確かにレベル高い藍関係の芸術家美術家も出品してて、

絞り染めとか、鎧とか、アンデス布とか、手間かかってるなぁー…。

と思った。

でも私が見た感じでは現代のは多くの作品が、

高い技術レベルに相応した美的センスと精度を見られなかったので、

1千万円かけて…これかぁ…。という印象だった。

徳島って…。

 

その、帰り、ゆめタウンのカートの先輩と話して元気を取り戻し、

帰っている途中に、今日も天使の梯子

この時期よく見られるのかも。

 

今日のNHKの番組で長崎のクリスチャンのひとが言ってたけど、

天使の梯子の事を

天使の階段と言うらしい。

その事を職場のひとと話していた。

 

私「階段だと足だけで登れるけど、梯子だと両手両足使ってよじ登る感じですよね。」