fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

私の心も曇るのは。

職場のTsさん、表情がやっぱり気になる…。

新聞を読んでほしかったのは、

もっと様々な事に気付いて、

満ち満ちて楽しくなってほしかったからで、

読みたくないのに無理して読んでもらう為ではないのに。

 

隅々まで読む必要はないんだ。

自分の興味を持った物事から読んでくれたらいいと思った。

時間がないなら読まなくてもいい。

自分の事を優先させたいなら自分の事を優先してもいい。

 

新聞に馴染みのないひとは、

まずテレビなどの映像でニュースを見て、

それから新聞を読めば頭に入り易い。

 

私は大学院に入ったとき、

自分の興味のある、自分の勉強したい事だけを勉強出来たから、

はじめて勉強が楽しい事だと気付いた。

強制されて面白くなかった勉強が、

こんなにも楽しい事柄に溢れているという事に気付けて、

そんな楽しい思いを、Tsさんにも体験して実って行ってほしかったから、

新聞

と言ったのだ。

 

Tsさんの表情が曇ったのはその事だけではないかもだけど、

何故曇ったのかは私は何も言われてないから

わからないけど、

私は職場のみんなが笑顔で楽しく勤務や仕事をしている事が嬉しいので、

Tsさんの表情が萎んでしまって、

私はとても悲しかった…。

 

どうしてみんなつらい事や悲しい事があるんだろう…?

 

でも職場のひと達の表情が曇ると、

私は表情に出さなくても、

私の心も曇る事は、

気付いて…!

 

無理して笑顔を作る事をすすめている訳ではないんだ。

もっとみんなが幸福になって、

みんなの健康な笑顔が見たい。

 

でも私には幻聴が取り憑いていて、私は幻聴にも悪い影響も受けるときがある。

なのでなかなかみんなの笑顔を見られるだけの幸福をふりまく事が出来ないでいる。

 

Tsさんと会社で出会ったとき、いい笑顔だった。

人柄の良さで輝いていた。

あの笑顔は失いたくない。

私は…かあさんの笑顔もとうさんの笑顔も失ってしまった。

ひとびとから嘲笑いは聞こえていた。

 

どうしてみんな居なくなってしまうの?

どうしてみんな…。

 

いけるんですか(帰らなくて大丈夫なんですか)?」と聞いたのは、

私がゆめタウンの勤務では、

法律的にも、ホワイト企業的にも、

残業もサービス残業も厳しく禁止されていたから

なのだ。

なので、

私が言った帰らなくて大丈夫なんですか?は、

帰ってほしいのではないけど、

会社員としても、会社としても、

大丈夫なんですか?

という意味だったのです。

ほんとはTsさんや他のひととも、もっとお喋りとかもしてみたい。

でもそれは叶わないと思っているから、

出来ないと思っているのです。

私はいつも我慢しているのです。

なので同じ詰所の前期高齢女性には話をしたいと言う気持ちを受け止めて貰って負担になっている様です。

 

私は自分の言った事も忘れてしまう。

思い出す事もあるけど、

私の言った事を言った相手が覚えていても、私が忘れている事もよくあった。

それは年齢的な事なのか、

それとも子供の頃からのうつろな心によるものなのかはわからないけど、

申し訳なくは思うけど、私自身ではどうする事も出来ない。

 

私はとうさんが半身麻痺して車椅子で色々な場所に連れて行ったけど、

とうさんが認知症状で無表情に空(うつろ)になって笑わなくなってから、

とうさんが何度も同じ事を確認する様に2分おきぐらいに同じ質問をする様になってから、

私がかなり正常である事と、

私もかなり認知症状が出てた頃があった様な気がする事が、

しっかりしなきゃ という思いと、

逆に 

自分ではどうにもならないんだな という思いなど、

様々な思いが、

私をゆめタウンの勤務に繋ぎ止めていた。

 

もう…親に孝行する事は出来ない。

せめて親に出来る孝行は、

私がしっかり生きて、

私が楽しく生きる事だけ。

でもいつ自殺したくなるかは、わからない。

 

 

愛子様悠仁様 の記事を書いたとき、

私の心の中で、

愛子様は軽く

私より悠仁様を選んでいたしね。

私へは未練も何も全然無いみたい。

 

でも悠仁様が成長されて、

私が愛子様についてとやかく言った事をもし根に持っていたら、

それはそれで不和の種になっている気がする。

私は出来るだけ自分を止めてたんだけどね…。

私は皇室が乱れるのも萎んで行くのも見たくない…。