fatimariaの日記

誰からもコメント無いのでコメント停止しました。連絡はメールで。

昨日のオリンピックテレビ観戦。

昨日は

昼か朝はおかえりモネを見たけど、

私「引っ張るなぁ。」

同じ詰所の女性「朝ドラは引っ張りだしたらもうあかんな。」

 

他は卓球のみまさんのシングルス1回戦見てたのかな?

 

女子バドミントンも見てたけど、あんまり勝ててなくて、

よそ見したうちにとくてん入れられてた事もあり、

どうなったかわからないままに勤務で席を外したと思う。

でもそのあと見てなかった試合でメダルとってたのかな?

 

昼からはバレーボールを見始めたけど、

見た途端、

セルビアの背番号18番、ティヤナ・ボスコヴィッチ(ボシュコヴィッチ)選手に強く惹かれてしまって、

私「この選手、ゲゲゲの女房松下奈緒さんに似てません?(きれいなひとー)」

ずっとその選手だけに見とれていた。

日本はストレート負けしてしまった。

 

それからサーフィン阿夢路さんの準決勝を見てたんだけど、

阿夢路さんがお前の小羊か?と心に聞かれて、

私はこわくなってとっさに受け入れられなかったので、

そのまま見ていてもアメリカの選手に負けてしまった。

3位決定戦は見てない。

 

それからどこかからチャンネルを変えると

大阪さんのテニスをやってたけど、

何かすごく大きく不安になったので、

試合を見ないですぐにチャンネルを変えた。

見ない方が勝てるかも とそのとき判断したからだ。

多分あの私の心の不安定な状態では、見てても勝てなかった可能性がある。

 

 

ちなみに感染者が増えたのは、

昨日(7月27日火曜日)の朝出勤時6:00の10分か20分過ぎ頃に、

ドラゴンクエストウォークをプレイしていたときに、バズズをやっつけていて、

うっかり心に浮かんだのが、

私「(バズズの鼻、ゴリラに似てるかも)」と思った瞬間、

「雄ゴリラ君がパズズになっちゃった」からなのだ。

そのとき音がして、

幻聴「ゴリラ君が堕ちたー!」

パズズとはオリエント辺りの神で、あらゆる悪い出来事と疫病の神。

漫画「ゴッドサイダー」にも登場する。

 

うっかり思い浮かんでしまった、ゴリラとバズズの鼻と姿勢の事について、

私の意図は関係ない。

思い浮かばされた

事について私は悩まない。

でも私は

ゴリラの容姿が美しくはない

とは思っている事は関係するかも。

自然の造形なのだから、美しいんじゃないの?

と思うひともいるかも。

だったら

 

この世界のあらゆる万物は自然だとでも言うのだろうか?

この世界のあらゆる万物は美しいとでも言うのだろうか?

 

それなら「美術」など存在しえない。

美しいものと見憎いもの

両方あるから「美術」があるのだ。

 

勝つ者と負ける者

両方あるから「勝負や競技」があるのだ。

 

幻聴「そんなん高喰らいするからいかんのじゃよ」

自分のレベルに細かくみんな気付いていたら、

競技なんて必要ないでしょ。

幻聴「もう終わってるでしょ」

私は自分のレベルなんか漠然と(アバウトに)説明されてもわからない。

幻聴「やっぱり?」

男性幻聴「残念でした(愛情の一切無い冷たい感じで)」

念は別に残ってないけど?

というか念ははじめから無い。

お前ら幻聴が残念がってるだけだろ。

幻聴「負け犬同士?」

幻聴どもが?

 

 

ソフトボール決勝は見てないし、

日本選手は眼鏡かサングラスかかけてたみたいなので、

私は何もしてないと思う。

当名達の実力なんだってば。

 

今日は卓球の石川選手の試合1試合見てたけど、最初藍色のユニフォームに今回のオリンピックのマークがついてたので、そちらが石川選手なのかな?と思って見てたら、

なんか日本の石川選手の得点表示と合わなかったので、

あれ?と思っていたら、

石川選手ってメダリストの石川選手だったのに、顔の相と髪型が変わってたからわからなくて、

間違ってる事に気付いても、祝福(ブレス)?運気?は途中で変えられなかったらしく、

シンガポール?の選手が勝ってしまった。

私もうっかりミスです。

 

今日は朝からうっかりミスが多くて、

 

電子レンジに冷凍パスタ入れて調理させたのにスマホ見てるうちに食べるのを忘れて、

朝食抜きで職場に来たので、昼御飯のおにぎりを食べて、

昼御飯は食堂で食べた。

まあいつかラーメンとうどんは食べてみたいと思っていたので、美味しかったしよかった。

 

職場側にミスは無いのだけど、

出勤時に眼鏡を忘れてる事に気が付いて、

職場の予備の眼鏡を職場で見たら壊れてて、

持ち歩いている眼鏡で対応したけど、これも開き過ぎですぐズレ落ちてくる眼鏡で、

 

最後から1つ前の見回りをうっかり忘れて、

受付のひとに迷惑かけてしまって、

もうなんか今日は

大きなミスは無かったけど、

小さなミスが多過ぎてアカン日だった。

 

NHKの画質が悪い問題は、

サブチャンネルがある間、

メインチャンネルは画質いいけど、サブチャンネルは画質が落ちるみたいです。

 

 

柔道女子の新井選手は、

私「このひと安定してる。行けるな。」と思っていたら、やっぱり金メダル。

やはりみんな、心に余裕があるひとはメダルとってる気がする。

勝ちに焦らず、自分のすべき事に集中してる方が勝てると思う。

勝ち負けが雑念になってたら勝てる勝負も勝てなくなる。

勝つ事、負けたときの事、

を考えるよりも、

「ベストを尽くす事」に気を向けた方がいいと思う。

 

テニスは、

錦織選手自身の能力ももちろんあるだろうけど、

ベラルーシの選手かな?

ナイキのシューズを投げる様に扱っていて、

ラケットに当たったりなど、

物に当たっていた。

そのベラルーシの選手のナイキのシューズはユニフォームと同じで蛍光黄緑で、靴裏が白のナイキマークだけど、

サイドのマークが黒だった。

私「そのシューズじゃ勝てないよ…。」

「白の翼を踏んで」「サイドが黒の翼のシューズ」だもの。

勝てないで普通。

履き直したシューズもやっぱり黒のナイキのマーク。

錦織選手のシューズは赤のナイキマークだったと思う。

やっぱり錦織選手が勝ったでしょ。

みんなロゴマークの色までは、

国旗の色とかデザインに拘ってるのかもで、

色が勝ち負けに影響するとは考えてないでしょ?

ナイキの製品の場合、

製品の色よりも、

ナイキのロゴマークをどれだけ大事にして、黒くないのを選ぶかも関係する。

もしかすると大阪さんもナイキのロゴマークが靴の足先の部分に黒いロゴマークがあったのが問題だったのかも。

 

でもラグビーのフィジーは黒のナイキマークでも勝ってるので、

「私が見た」日本選手と日本選手と戦う相手がどうなるか、がナイキのロゴマークの色が黒か明るい色かが関係するのかも。

錦織選手は赤のナイキシューズでもダブルスで負けてる。でもダブルスは私は見てないから。

 

なので、むしろ私は欠片でも観戦しない方がよかったのだ。

私の影響が起こらずに冷静に戦えるから。

私が欠片でも観戦してしまうと、

私の法則性が絡まってしまう。

絡まらなくていいのに。

私が見てなかったら実力だけで勝てるのに。

 

会社ではテレビが点いてるから仕方ないんだけどね…。

はぁ…。

 

ドミニカ共和国との野球は8回だけちらりと見た。

私「日本負けてるじゃん…。」

逆点しないと日本は勝てないんだな。と思った。

勤務の用事か何かで試合内容は見なかった。

あとで勝ってた。

まあそういうのもあるから、

たまに見るのも悪くないのかな?とか思ったりもした。

女子水泳メドレーは、そのときの映像をノーカットでご覧ください というのをあとで見ただけなので、

私は関わってないとは思う。

 

私がニケだからって、私に祈られても困る。

私は勝ち負けを定めるのではなく、

既にのちに定められた勝ち負けについて、勘と安心感と不安感で漠然と気付くだけなので、

選手の表情に焦りや心に余裕のない潰されそうな不安感が見え出すと、

私はそれに気付いてしまい、やっぱりその選手の結果も負けている というだけだと思っている。

 

試合前から試合中の、

「余裕のない不安感をどうやって払拭するか」

は、

それについてははたから見たら根拠の無さそうな過信でも結構効果がある。

〜したから勝てる!

という簡単な法則性。

そのとき勝つ事を信じる事や、

そのとき勝つ事をイメージする事、

が出来たら、

結構冷静にプレイ出来るからだ。

 

「思い込み」とは、「信じる事」なので、

勝つ事を明確に思い込む

勝つ事を明確にイメージする

かなり好条件や幸運に傾く。

 

たとえば、身につける物に

〜装備したから勝てる!

という物を持っていたら、

負けるまではそのチャームはいつでも勝つ事をイメージ出来る。

勝つ事をイメージしやすく出来るからだ。

もし負けてしまったら、

そのチャームはやめておいて、

次のチャームにする。

 

勝つイメージトレーニングは

相手が負けるイメージだけでなく、

自分が勝つイメージを

様々なバージョンで何度も何度も繰り返す事で、

そのパターンに引き込んだときに、

イメージ通りに動くと勝てたりする。

その勝つイメージをどれだけ多く持っておくかが勝つ確率を上げる。

そのシミュレーションを勝負中にもやるのが、

将棋だ。

 

競技でも勝負中みんな計算している。

焦っていたら、いつもは出来る簡単な計算も

頭がまわらなくて出来ない。

 

私は普通免許を取得するとき、

自動車教習所のパソコンで、何度も何度も数え切れないくらい、時間のゆるす限り、

模試のシミュレーションをやった。

お陰で筆記試験は1発合格した。

 

しかし実技は

お金を払わないと教習受けられないし、

予約をとらないと教習受けられない。

自動車教習の実技は「慣れ」なので、

定額の方が安全にとれて、安くあがったりもする。

 

実技と、筆記と、

両方とも、

繰り返しシミュレーションしなくてはならない。

私は漫画「ドラゴンボール」の亀仙にんの亀仙流の考え方はいいと思う。

よく鍛え、よく遊び、よく学び、よく食べ、よく休む。

 

人生はなんでも勉強になる。

勉強が楽しい事だと気付いているひとは、

なんでも楽しめる。

活き活きと楽しんで学んだ事は、なんでも身につくし、自分の力になってくれる。

基礎は大事だけど、

既に基礎が出来ているひとは、伸びしろを伸ばせる。

人生キツい事だけじゃない。

支えてくれているひとはいっぱいいる。

支えてくれているひとの為にだけじゃない。

支えてくれているひとは、そのひとが負けたとしても、悔しいと思っているけど、そのひとを憎んだり悪く思ったりしてないはずだ。

その事に気付いていれば、

勝ち負けだけに拘らず、

自分の人生を、もっと充実させる、もっと楽しめる視点を持てたら、

逆に冷静に対応出来て、伸び伸びと競技も出来て、結果もついてくる。

 

「人生はいつでも 何歳になっても まだまだこれから楽しむもの」

だよね。

何を楽しむかは変わったりしてもね。

 

負けたときは悔しいけど、それぞれの栄光を抱えている。

 

チャームも、イメージトレーニングも、

みんなスポンサーもいて、みんなやってると思う。

競技そのものに使う物、

競技に影響のある物、

だと頻繁には変えられない。

チャームはそういう物ではない。

 

私はいつも在宅時以外はチャームを持っている。

持っているから大丈夫。

と思っている。

盗られたらまた買うだろう。

盗ったやつ、盗ろうと目論んだやつに祟りがあろう事は気付いている。

なのでなんとか精神病にめげずに自分を保てている。

たまにヤバくなってたけど、ヤバくなったのにはそれぞれきちんと理由があって、理由の筋が通っている事も気付いている。

 

旧約聖書イスラエル(ヤアコブ)が何故世界的民族になったかというと、

イスラエル(ヤアコブ)の妻ラケルが、

ラケルの父親ラバンから家宝の銀の像を盗み出した事も関係する。

ラバンがヤアコブの荷物から見つけようとしていたときに、

ラバンがもう見終えたカバンの中にラケルは銀の像を隠して、

その場をやり過ごしてラバンのもとから離れた。

ラケルは先祖代々のその像を継承した事になったのだ。

しかし盗み出した為に、

ラケルの考え方はネガティヴで、

ラケルはふたり目の子を産むときに若くで亡くなる。

 

銀の像があったからイスラエル(ヤアコブ)の子孫は繁栄したけど、

銀の像を「盗んだ」為に、盗む事を目論んだラケルは早死にした。

 

チャームとはそういう物。

あるから大丈夫

と信じる事が出来るから大丈夫なのだ。

しかしそこにある事の手段や目論見が不正であれば、

結局、チャームのはずが、祟りをひき起こしている。

私の扱いも同じ事。

クリーンな思いで扱わないと、

私は祟りとして機能する。

ちなみは私は結果的に野望ブレイカーだよ。

 

 

話は少し変わるけど、

旧約聖書で偶像禁止されてるはずなのに、

銀の像!?

と思うひともいるかも。

旧約聖書で偶像が法的に禁止されるのは

イスラエル(ヤアコブ)とラケルの子孫達の時代のモーセの時代。

テラピムの像や至聖所のケルビムの像などは、

何故オッケーなのか疑問視されて来た問題だ。

 

ミリアム、アアロン、モーセの子孫である祭司職家系のレビびとだけが何故美味しい家畜肉を食べられるかというと、

声を聴いて打ち立てたと書いてはあるが、

モーセとアアロンが打ち立てた律法なのでそういう律法になるのだ。

モーセが山籠りして、

「偶像の無い方が幻聴を信仰させられる」

という方向で考えている間に、アアロンが金の牡牛の偶像を信仰対象にしようとした事にモーセが激怒して、

結果的に偶像は禁止されたのだ。

 

偶像崇拝禁止は、

「幻聴に意識を集中させる為」

 

なので、

幻聴を煩わしく感じて、

幻聴を信仰対象としてない私なんかは、

偶像置きたい放題している。

偶像なので寝取られたりしてる?みたいだけど。

寝取られたりする様な偶像を信仰対象とするなと思っているかもだけど、

アダルト声優さんどれだけいると思ってる?

その中で、作品中に自分の他としてる様に聞こえる作品どれだけあると思う?

 

幻聴だってもしそうなったらどうする?

私はヤン姐擬きが他としてる様な音声の幻聴を聞いて、

あ、

偶像だけでなく、幻覚だって、幻聴だって

「裏切る可能性」

をすぐに想像出来るんじゃん。

と思ったので、

幻覚や幻聴を特別視や信仰対象とする事はしない事にしたのだ。

 

表ででも裏ででも、

一度でも裏切った者を、もういつまでも信じる事はない。

 

 

「幻覚」や「幻聴」を信仰対象にさせる方向は、

様々な宗教で見られる。

たとえばこのブログで説明した

ペルセポネーは、

本質は声

という名前だ。

エコーも声だけだし、

隠れ帽子など、透明になれる装備を持つ神々はたくさんいる。

これは頭に浮かぶ「声」を女神や神として、

意識と信仰を向けさせようとする神話なのだ。

それはモノローグとは明らかに異なる者の声だ。

このブログ読んでいて気付くと思う。