医師や教諭や担任等の事を「先生」と呼ぶのは抵抗がある。
幻聴も無くなってないのに誰が救世主な訳があろうか。
という訳で、
まだ救世主は私のもとには現れてないのです。
病気の者は病気が治る事を求める。
病気が「治ってない」のに、何で先生な訳があるのよ?
先生もキリストも救世主もまだ現れてないよ。
いつ、誰が、私が、先生と呼ぼうと、
先生でもキリストでも救世主でもないよ。
でも私の担当医は今も他の患者さんの治療後、
「優しいひとやったなぁ。」
と高評価だった。
それは治療にとって大事な事だ。
いい評価をされる事が大事なのではなく、
患者さんにとっていい医師である事。
ぶっきらぼうな医師や嘲笑う医師では癒える病気も癒えない。
でも、
私の幻聴は無くなっていない。
今迄の担当医は私の変薬にきっちり付き合ってくれたけど、
変薬する事よりも、
「焙じた飲み物や炒った飲み物などに含まれる成分が、私の具合を悪くしていた事」
を見抜けなかった。
薬の副作用ではなかったのだ。
しかし幻聴は無くなってない。
どう変薬しても、根本的治療がまだ無い。
幻聴がその後聞こえなくなる
という薬や治療法にたどり着いた事が無い。