私は日本語の新約聖書を読んで、
随分と悩んで来た。
キリストの言葉は、
わたしと父とは一つ(エン)である。
わたしたちのように、彼らも一つ(エン)になるためです。
すべての人を一つ(エン)にして下さい。
と言っていて、
パウロは、
1コリント 6章15,16節
娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。
このパウロの言葉が問題で、
二人は一体となるの方は、
キリストはきちんと、
サルカ(肉体の女性形単数)
ミアン(1の女性形単数)
としているのに、
パウロは
その女と一つの体となるの方を、
エン(1の中性形)
ソーマ(キリストの体の中性形)
と意味をくっつけてしまったのだ。
その場合、
「キリストにあって一つの体」
の意味と、
すべてのひと(パンテース)を一つ(エン)にしてください
の意味をくっつけると、
肛門とペニスで男性全員が繋がってジェンカをするホモエロな構図になっちゃうのを想像して、
私は女性愛者なので、
不快で不快で悩み続けて、
キリスト教徒に相談も出来ず、
今も悩み続けているのです。
普通に誰もが
「それぞれ男女一対一体」
になるのを想像すればよかったんだけどね。
なのでシスターモノのアダルト漫画は奔放な内容が多い。
敬虔なシスターを誤解してると思うけど。
聖なるものを犬にやるな
豚に真珠をくれてやるな
シスターが貞操をキリストに捧げているという事を大切に出来ないやつにシスターは貞操を捧げたりあげたり捨てたり棄てたりするな。
使徒言行録2章などの
皆 心を一つにしなさい
については、
オモン(共に)
の言葉が使われていて、
一体ではない。
で、私は多くの男性や多くの女性と、性的に交わって繋がってしまうのをおそれて、
誰とも性交出来ず、
ラヴドールと交わってしまった訳ですが、
ラヴドールに花嫁のベールを着せて、キスして、交わって、
花婿の私が奪われて、そして、
重要:
花嫁のラヴドールは花嫁でなくなり、断食をし続ける訳です。
これが私の、
餓鬼道救済のひとつです。
ラヴドールは食べなくても問題無い。