fatimariaの日記

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私が実の子じゃない可能性。

1.かあさんの上等の着物箪笥には、

かあさん(松井彌生)自身のへその緒と、

とうさん(東國惠)のへその緒と、

兄貴(東大樹)のへその緒は、

奥に大事にとってあるのに、

私のへその緒が無い。見つからない。


2.子供の頃の兄貴の髪の毛は書道の筆にして、とってあるのに、

私の髪の毛は「バリバリで筆には向かんかったんやもん。」という理由を説明して、

早い話が無い。作ってない。


3.私の母子手帳を、母は「引越しのときにすてた。」と説明していた。


4.子供の頃、とうさんとかあさんが話していた内容で、

とうさん「俊ちゃんを育てるという条件で、〜したんやで。」

そのあと、

かあさん「ああ、俊ちゃん!俊ちゃん!」

とうさん「ははははは(嘲笑)!」

自分の子供にそんな事言うだろうか?


5.かあさんは「自分はハート型の双角子宮だったから、小さ過ぎて俊ちゃんを妊娠していた事をまわりは誰もわからなかった。」

と説明していた事。


6.私には奈良県での小さい子供の頃の記憶が無い。

徳島に来てからの千松幼稚園の幼稚園児からの記憶しかない。


7.子供の頃の写真に、赤ちゃんの写真は兄貴と赤ちゃんの私の写真が無い。

赤ちゃんの写真というだけでは、

兄貴なのか、

私なのか、

わからない。



細々な言い訳の様なかあさんの説明をとくとくと聞かされてきた私は、ひとつ裏を返すと、

全部の意味が、


私が実子でない可能性が高いという事になる。


とうさんやかあさんの顔に、私は似てない。

とうさんの東家の家系の顔にも、

かあさんの春木家の家系の顔にも、

似てない。

家で私だけ毛深い。

その事について、

かあさんは、「クマソはどっから出たんやろうな。」

と言っていたので、

もしかするとクマソタケルの地方の方の出身か、あるいは、あづまやは と言っていたヤマトタケルが、それ以前に撃っていたクマソタケルという、私への憎しみを込めていたか。

クマソは、

熊本県と鹿児島県の辺りの南九州。


東(あずま)の血をひいてないなら、

春木(はるき)の血をひいてないなら、

私はいったいどこの誰なんだよ?

私を何故とうさんかあさんが育てたの?



でも戸籍の届け出が、昭和50年4月9日で届け出されている。

日本のお堅いお役所が日付をどうこうするはずがない。

私を拾って、届け出をした日が1975年4月9日だったなら、

誕生日の方は異なっている可能性もある。


しかしかあさんは、「昔は届け出る誕生日の日付なんて、ええ加減なもんやったんや。」

と言っていた。



私を私たらしめていたはずの、

変わらないはずの項目の、


戸籍上の両親

生年月日

兄が兄である事、


どれも、どれも、覆されてしまう。

私の今迄の記憶と今の私と今の私の環境だけが、

今の私を今の私としているのではないだろうか?


でも、

かあさんが実母でなくても、

私にとってかあさんはかあさんでしかなく、

性対象や恋愛対象にはならない。

目の前で、臨終に付き添ったので、かあさんのそのときの様子と、死ぬときの顔を、忘れる事はないだろう。


それなのに、かあさんかあさん言うなんて、幻聴はどんだけ無神経なんだろう?

かあさんを恋愛対象に?

なるかよ。死に際の顔を覚えているのに。


家族の、死に関する事や忌み事は、

性的な事や性欲を打ち消してしまうのだ。



私の幻聴達は、

自分の母親の死に、たちあってないんじゃないかな?

私はかあさんが死ぬトコをこの目で見たのだ。

ひとが死ぬトコを肉眼ではじめて見たのだ。

映像などを通さないで。


かあさんはもう死んで居ないというのを、この目で確認したのだ。

幻聴「なるほど」