「5月1日 重大発表!」
とか出てたので、
「いよいよサービス終了が来たのかな?まあいいか。主題歌ネガティヴだし。」
と思っていた。
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(主題歌の歌詞内容がネガティヴというだけでゲームサービス終了しても別にいい評価になってる。)
私の言葉に傷ついたなら、
傷口を広げる為や
私への反抗の意思で「私から離れたいというまだ私に依存している状態」
を大声出して、離れたいくせに歌で批判したりして傷を自分の記憶に刻もうとするよりも、
歌詞で傷口治療したら?
グジグジいつまでも批判してたって、いい感情は出て来ない。
それは精神衛生上、悪い。健康にもお肌にもよくない。
幻聴「確かに」
私を忘れたいならさよならを告げてもまだ聞こえる現実がもしあったら脱力感とやるせなさがあるんだよ。
私も幻聴で困ってるから気持ちは気付かないでもない。
私も繋がっていたくて繋がっている訳ではない。
誰と誰が繋がっているか、誰の声が聞こえているか、は、私がどうこう出来る事では無さそうなので、
(実際私は何も操作してないけど、現在の結果的に私に聞こえなくなったのは女性の声の幻聴だけなので。その女性達が私に聞こえなくなった事で楽しい日々を送っているなら私は気にしない。苦しい日々を送っているなら助けてあげたい。でも方法どころか状況もわからない。)
私の声が聞こえなくなってるならそれでいいかもだけど、
「既に聞こえてるひと」の傷跡を舐めるが為だけに、ネガティヴな歌を流す事で
「そのときがまだのひと」に大量の放射能浴びせてる事にいい加減気付いてほしい。
そのときがまだのひとの、そのときが来たときのその癌化する傷跡の責任取れるの?
私はその危機感を感じているから、
「さっさとネガティヴな歌詞の歌止めてもっとポジティヴな歌にして!」
という様な事をいつも警告してるでしょ。
それが出来ない制作者なんて、「どんだけ無責任なクリエイター達だよ!!」って思う。
私もブログ内容を削ってからはてなブログに表示した方がよかったのかもだけど、
既に発表されたという事実を隠蔽してまでハッピーエンドで欺くなんて事は出来ない。
既に発表されたあらゆるすべての事を含んだ上で、
「腹立つ!傷つけ返してやる!」ではなく、
他の傷ついたひとの、精神的な、修復や治療を「作品でも行うべきだ」と私は思っている。
政治だって同じだ。
戦いの作品より、心の治療や心の修復を目的にした作品の評価は高いと思う。
プリキュアなんて暴力で戦ってる。全然キュアーじゃないよ。
世界の精神病患者は明らかに多過ぎる。影響力のある作品がネガティヴや悲観的や悲劇だったからだ。
私は傷つけるのが目的で誰かを傷つけた訳では無いからね。
でも誰かを傷つけてしまったのなら「申し訳ありません。」と思っている。
私も張り裂けそうになる心を藻掻きながら維持するので精一杯だったのだ。
例えば盲目にさせられた、あるいは混乱させられた剣士が気配で剣をぶん回していれば、まわりでいる誰かはそりゃ傷つくよ。
その点について、盲目や混乱させたやつを責めてくれてもいいけど、
「傷ついたじゃないか!やり返してやる!」って言われたら、
「もっと私の状況把握してよ…。」って正直思う。
ポジティヴに過ごしてるうちに自然で楽な離れてる状態になって行くだろうから。
「キングスレイドアニメ化」
…? 重大かな?
とか溢れる漫画やアニメやゲームに晒されて来た我々にとってさほどのニュースに感じない。
作品制作の労力程は、日本人は高評価はしてくれない、あるいは何も評価してくれない位、麻痺しているし、目も耳も肥えているだろう。
その作品が好きなひとは高評価してくれるかもだけどね。
ミスや手抜きすると想像以上にかなり叩かれる事は覚悟した方がいいだろう。
日本人の「作品に対する思い入れが熱いひと」は多い。
幻聴「確かに」
作品に対する批判や評価をはっきりとか多くするひと達は、それだけその作品に費やす「思い、念」などが強いのだ。
その批判や評価がクリエイター達にとっていいも悪いもあっても、
その作品がそれだけそのひと達に影響を及ぼしている反映なのだ。
「ひとに影響を及ぼしている」という事実を素直に喜んでいい部分だとは思う。
私が個人的にアニメ「キングスレイド」に期待するのは、
原作の戦闘や会話のときなどの
「モーションキャプチャー由来のそのキャラらしさと、アニメーションするときの鎧や衣装などの魅せ方の再現をきちんとしてくれるか」
だ。
1枚のアニメの絵が紹介されているが、
キングスレイドに剣を剣で弾く様な技は無かった様に思う。
あるのかもだけど、私は知らない。
そういう厳密さはプレイヤーは敏感なのだ。
そういう演出をアニメーターの独善で創られた場合、
余程出来がいいぐらいにいい意味で期待を裏切るぐらいでない場合は、
叩かれる、毒舌される、バッシングされる、炎上する、
などは容易に想像出来る。
私は脅したい訳じゃない。
もっと冷静な意見だ。
特に日本のネット社会は2ch書いてた読んでたひと達出身者など、
「普段はどうか知らないが、ネットでは、救いようが無いぐらいとても口の悪いひとびと」
がいーーーーーっぱいいるのだ。
そういうひと達は私のブログにまで攻めて来たりしないけど(その必要が無いからだろうけど)、
私は
「人間にこんなひと達っているんだな…。あるいは人間ではないのか?」
って、真剣に日本がここまで精神的に危うい国になっている事に危機感を感じたよ。
「住み分け」とか、顔(性格)をいくつも用意して、本心と、時間や場所による建前をいくつも持ってるひと達の文を読んで、
人間としてかかわるのは無理なひと達だな と思った。
私は裏表あるひととは続かない。
私が天然体、自然体である様に、相手にも自然な反応が無いと不安でしかない。
ストレスフルなひとの言葉は、聞こえる度に不快感と不安感と危機感を感じるからだ。
キングスレイドのアニメ内容の詳細は全く知らないが、
漫画→アニメ とか、
アニメ→漫画 とか、
ゲーム→アニメ とか、
アニメ→ゲーム とか、
漫画→ゲーム とか、
ゲーム→漫画とか、
「最初(先)に見た方」が、だいたい「いい」ので、
「~化」とか、「待望の~化」とかは、
私はだいたいは待望してない。
原作と異なる部分を作ると、
大きく変更すると「別の作品じゃないか!期待外れ。ムカつく!」
ちょっとだけ変更すると「こんなどうでもいい部分が気になって気になって仕方ない!ムカつく!」
世界観、設定、ストーリーの出来事、ストーリーや戦闘などの間(ま)やキャラの配置位置、この台詞はこのキャラが喋るはずなのに!などなど、
ほんと事細かいトコまで、原作愛好家は、原作と「~化」の作品内を滅茶滅茶厳しく比較して分析する。
下手な事や下手な原作内容の変更はしない方がいいと思う。
まあ人魚姫のアリエルの様にハッピーエンドにする事で多くの子供達に愛されるキャラクターを作れる場合もあるけど、その子供達が大人になって人魚姫の原作を読んだときに、どよーんとした後味の悪い、ディズニーにも原作にも裏切られた気持ちがその年齢越しに襲ってくる事の責任まではディズニーは考えてないだろう。
ハッピーエンドで子供達を騙して欺いてるのだから。
幻聴「すごい…」
自由なゲームをアニメ化するという事は、
「ストーリーを一本化するという収縮を行う」訳なので、
排他的になってしまう。
多くの想像力(妄想力?)を打ち消してしまうのだ。
その多くの(期待の)裏切りがクレームやバッシングや意味不明の憤慨になって返って来るのを受け止められますか?
どちらかと言うと、ゲームのストーリーや世界観が混乱してわからなくなっているひとに筋道立ててわかりやすくする意味もあるのかも。
漫画→アニメ
アニメーターが邪魔な、要らない編集をする事が多く、だいたいがゲンナリ。二度と見ない作品がほとんど。
漫画家の絵の方が綺麗で魅力的な事が多い。
アニメ→漫画
漫画家の絵の稚拙さが見える漫画家だと多分もう買わない。
絵の完成度がアニメを超えていたら買う事もあるかも。
また、覇王体系リューナイトみたいに、アニメより端折り過ぎ感がある短過ぎる漫画もある。
スレイヤーズも同様だ。
ブラックポイントさんや、スレイヤーズのイラストレーターさん?のスレイヤーズの漫画は当時アニメに劣らない画質があったので、ストーリーの盛り込み方も、長さも、アニメと同程度すればかなり繰り返し読んだのかもだけど、
1回しか読まなかった。戦いの漫画、もう読みたくないし。
ゲーム→アニメ(や漫画)
ゲームの情報量はアニメや漫画の比ではない位多いので、
余程
ストーリー展開を
ゲームプレイヤーでもある視聴者の期待を裏切らずに厳密にポイントきっちり押さえてスマートにおさめないと、
一生かかってもゲームに勝てない。
視聴者や読者にも不満が残る情報量になるだろう。
アニメ→ゲーム
昔はゲーム制作会社の原画グラフィッカーの絵の癖が好みかどうかで勝敗が決まっていたが、
「アニメのスポンサーとの関係色が強い事が多い」ので、
「アニメシーンをゲームに一部置いたな」程度が多い事がある。
最近のアニメーションゲームは技術が進んでいるので、動きが不自然でない事は普通のレベルになっており、その上で魅せる演出も進んでいる。
ただ、儲けになるかどうかはちょっと疑問かもだ。
まあ芸術で考えたら、
お金儲けや露骨なスポンサーアピールよりも、
いい作品を作った方が、
のちのちも高評価が続き、スポンサーへの評価もポジティヴになって来るだろう。
「あれのスポンサーなの!?」って感じで。
そっちの方がむしろスポンサーとしては本来の期待効果のはずなのだ。
漫画→ゲーム
漫画が稚拙な絵だと、描かれていない部分(絵にしても伏線にしても)をどう描こうか?と、制作者達は結構悩む。
アニメを通してないので、相談し過ぎても漫画家さんの時間を圧迫してしまう。
とにかくゲームは1作品の情報量が多い。
情報量が少ないと、「あれ?結構お金出したのに情報ボリュームがラノベ単行本レベル?」とかなってしまう。
漫画→ゲームで結構な出来だった、プレイした事があるゲームは、プレステの「ジョジョの奇妙な冒険」第三章のスタンドによる対戦格闘ゲームだろうか?
アニメ化されたのでアニメ→ゲームなのかもだけど、ゲーム内の絵は荒木飛呂彦さんの絵が元絵なので、漫画→ゲームと考えている。