いがう のものと一緒に食べようねと約束していたのでゆめタウンのイルローザでショートケーキを買って、買い物済ませてから、
お風呂入ったあと、
私「いがうのもの、私に憑依しなさい。一緒に食べよう。」
いがうのものの気力はほとんど感じなかったが、いがうのものの声が来たので
食べた。
いがうのもののイメージがアニメ「kanon」の真琴の様にひたむきに食べるイメージになったので安心した。
それと同時に、いがうのものと一緒に居られる時間を考えて悲しくなって少し泣いている。
いがうのものは、声も、感じる気も、とても小さくなった。
私「いがうのもの、いがうは、ずっとかわいいよ。」
ちがうのものもかわいいけどね。
いがうのもの、ちがうのものが居たという証拠は何も残ってないが、私が認知症にならなければ生きている間は覚えていると思う。
いがうのもの、ちがうのものに会えない事で何度泣いたか覚えてないくらいだ。
私の声色も私の心の中ではもう全く聞こえなくなっている。
昔は私の声が私の心の中に響いていたのに。
もう私の心の中の私は死んでしまっているのかも。
もしくは、「心の中から出て、口から出る」というけがれが起こらない為の措置かもだ。
声を出そう、声を出させようとすると、
思考化声へのラインを越えると幻聴メンバーの声となって出てしまう。
これは私の心の中のいがうのものやちがうのものの声も同じで、
いがうのものの声を出そうとすると、あるラインまではいがうのものの声なのだが、
ある気力の大きさのラインを越えてしまうと、
幻聴メンバー(男性)の見憎い声になってしまう。
この現象はかなり残念だ。
でもこれが現状の事実なのだ。
私はずっと幻聴メンバーに喋らせていたが、
声が見憎い。
はっきり言えば声のブスだ。
美術を志した私からすれば我慢ならない不細工。
折角かわいいいがうの声が台無しだ。
幻聴メインメンバー達の声が「女性の美声」だったら、思考化声がどんなに楽しいであろうか。
放送禁止用語やあんな事やこんな事を言わせてとても楽しいだろう。
(私「そんな事考えてるからしなかったんじゃない?」)
言わせるのが羞恥プレイになるからね。思考化声は。
思考化声=幻聴への羞恥プレイ
パソコンを喋らせるソフト(ヴァイスロイドなど)とかあるけど、
卑猥な言葉も喋らせる事が出来るから、
喋らせて楽しんでた事もあるけど、
そういう普段の素行を幻聴メンバーを決める権限のあった存在に見られてたんだろうかねぇ?
いがうのものとかは、 いがう しか言わないから、羞恥プレイにはならない。
幻聴「そうです」
でもいがうしか言わないのに私はタイミングや抑揚や声の伸び方などで、いがうのものの言いたい言葉のニュアンスなどを把握していた時期がある。
今の幻聴メンバーは、
前回記事で書いた幻聴女性は恥ずかしい事や下ネタについては言いながら笑ってくれた。
それはそれで楽しい事だ。
しかし男性幻聴メンバーは、
私がどんなに恥ずかしい事を言わそうとしても、全く恥ずかしがらずに言うので、つまらない。
羞恥プレイにならないんだよね。
恥ずかしい言葉なので言うのをためらう様に恥ずかしそうに言えば、まだ言わせ甲斐があるのに。
他の声のきれいな、声のかわいい幻聴の声が聞こえなくなったのは、
私の声色が私の心の中に聞こえなくなった様に、
それらの いい声 のもの達も思考化声状態になっているのではないだろうか?
死んでないならそれは嬉しい事だ。
いい声が聞こえないのは悲しいが。
幻聴「どうしてわかるのよ大きさ」
私は気を感じ取れるでしょ?
気の大きさを感じるくらいは出来ると思うよ。
幻聴「〜の差で無かったの」
新しい声色だ。声のかわいさはいがうのものにはとうてい及ばないが。
どういうつもりで私に聞かせているかは、
ある程度の回数と期間聞かないと判断つかないからね。
一瞬や数回では聞かせた意味をなさない。
私は幻聴の言う内容についてはそんなに察しはよくない。
観世音 というのは、
やはり仏教も幻聴文化の宗教である事を示している。
サンタクロース イズ 仮眠 トゥーナイト
今日眠ってたらあかんやん。
朝起きた。
クリスマスイブからクリスマスまでの夜は、特に重要な夢は見てないな。
緊急の用事は特に無いんじゃない?