fatimariaの日記

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気力の借金について。

この世界の片隅に
は、漫画だけ読んだ事ある。
感想は…
数え切れない人間ドラマで人間達の世界は成り立ってる という事を考えた。
戦時中もやっぱり数え切れない人間ドラマで。


私は考えるけど、
ひとが死ぬ、ひとが傷つく、傷がその後も続く、住む場所を失う
のは、普通に考えても悲しい事であって、
戦争をはじめるという事は、
ひとを殺す、ひとを傷つける、その後も続く傷をつける、住む場所を奪う、
を、しようとして する事。

だいたいは
被害者はいつまでも覚えているが、
加害者は覚えてない。

私なら、うっかり傷つける言葉を言ってしまう事はあっても、意図的に傷つけようとする事は多分ない。
嫌われたくないからだ。

近づきたくない、好かれたくないひと達へも、
恨まれたくない、怨まれたくない為に、
傷つけようとはしない。

私はいつでも誰とでも距離をとっている。
近づかれない為だ。
傷つけさせない、傷つけない、為に。

誰とでも無防備に自然体で話はするようにしてきた。私は人間を信用はしていないが、自然のシステムを信用している部分はある。
人間達は自然のシステム(歯車)の一部に過ぎないからだ。
なので無防備。

自然や運命に任せていると、
明日は明日の風が吹く でも、
無常 でも、
人事を尽くして天命を待つ でも、
運命と自然は、
どういう選択をした という選択をとやかく言われたりするが、
「どういう選択をしようと結局結果は同じ。」
というシステムなんだから、無理しなくなるんだよね。
努力はすべきだろうけど、数え切れない失敗はしてるだろうけど、

失敗しないように意図的に部分的確率(因果律編集も)を上げたって、結局シワ寄せが来るんだよね。結局何かで確率を上げた対価を払わないといけない。

歳取ると無理出来ない身体になったというのは、無理すれば無理しただけの対価が支払われる、つまりたとえば、

身体に無理をする = 身体に借金をする

という事。
その借金を返すあてが無いのだから、無理出来ないのは当然だ。
無理出来ないとはそういう意味だ。

自己実現の確率を上げる方法もそんなようなものだ。

部分的に確率を上げる、無理に勝たせる
= 何かに借金をしている

借金を返すあてが無い
= 部分的に確率を上げる事や無理に勝たせる事が出来ない。

私は多分気力で確率を上げている、勝たせているが、
私の気力なんてすぐ切れている。

私の気力は、地道に、

食べ物飲み物から摂取したエネルギー
幸福な事から充填したエネルギー
休んだり睡眠を取ったりして回復したエネルギー

くらいしか無いのだから、すぐ切れている。
なので、私は必ず勝てる訳では無い。
むしろ私は勝てた事の方が少ない。

気力に無理したって、気力を返すあては無いのだから、無理は出来ない。

失敗するのも負けるのも、
「結局決まっていた事」
だと言われれば、選択の失敗による心的苦痛は軽減されるのだ。
「運命」という言い方はそういう効果がある。
受け入れられない事実による苦痛を軽減して
事実を事実として受け入れさせる為の方便でもある。
幻聴「すごい」
私はそういう「運命の役割のひとつ」を高評価しているから、自然体でいられる。

ひとと話すとき緊張する事もあったけどね。


私は「運がいい」と言われる事があるが、
いつもいつも私の理想通りな訳ではなかったし、
裕福な生活をしている訳でもない。
しかし戦後の日本に産まれて、
幻聴や律法や断食や人間関係で悩んだり苦労もしたけど、助けてくれるひとや理解者もいて、
そして食うに困った事は無い。
これは運がいいと言えなくも無い。

普段は自然体で
「人事を尽くして天命(舞い込むチャンス)を待つ」
をしていればいいと思う。

仕事や家庭や家族や子供の為に無理や努力しなきゃ
というのは、この人事に含まれる。

無理して疲れてる とかぼやいてても、
無理出来る間はまだマシだ。

考えてみて。
本格的に身体壊したり、病気になったりして、
無理も出来ない身体になったら、
無理のワンクッション(身体の借金のクレジットカード払い)が無くなる。

自己実現の為の気力の借金が、このワンクッション無くなったらどうなる?


食べ物飲み物から必要な気力のエネルギーを摂取する為に大量に食べても、食べた分きっちり太ってるのに、気力は気力なんだからあっさり流れ行ってしまったりあっさりかき消えたりする。
また食べる、また流れる。
太るのは当然だ。

そして
買った食べ物の代金分の
「お金を消費して気力を得ている」のだ。

私はかき消えたり流れ行ったりする気力の為にお金と時間を払っているのだ。

そんな訳で私はもっと気力を大事にしたいのに、気力は節操なく流れた。
腹立たしいですよ。ほんとに。

そう。私は自分の気力を大事にしたいのに、
気力は私を大事にしてはくれなかった。
気力は私に留まってくれなかった。

私はこんなにも気を練っているのに。

気は流れなので、
滞る(とどこおる)とよどんでくるかもだが、必ず戻ってくるなら流せるけど、
川の様に流れるけど雨が降らないなら川は干上がって無くなる。
気力の川、気力の海、気力の蒸気、気力の雨。
気力の循環。

お金の循環がある様に、気力の循環もある。
しかしお金が尽きる事がある様に、気力が尽きる事もある。
ガス欠という事だ。