fatimariaの日記

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令和について萬葉集注釈を調べてみた。

天平二年正月十三日というのは、
陽暦天平二年2月8日。

太宰府大伴旅人の邸で梅花の宴が催された時の作。大伴百代の作(3・392)とここの作とが相前後するものと思われる。

文選(十五)張平子(張衡)の歸田賦(帰田賦)に、
「於是仲春令月、時和氣清」
とあり、注に
「儀?(示豊)曰令月吉日、鄭玄曰令善也」

「氣淑風和」は
歸田賦
(6世紀の書物の「文選」の一部「帰田賦」)
(フォントが見つかっていなかったので、わかり難い載せ方になって申し訳ありません。)
にも類似の句があり
蘭亭のじょにも似た句があり

早い話が、
萬葉集から選んだが、その歌の令月~和 自体が中国の漢文から来ていたという事で、
結局中国から。と。

粉は白粉。昔は米粉を顔料にしたらしい。
蘭は七草のひとつフジバカマなど。
ここは梅と相対したもので、春蘭と呼ばれるものをさしたのであろう。

とか色々書いてある。

「落梅之篇」とか
笛の曲名「梅花落」とか
続いている。

オチまでついとるんか。